1952年、初のクリスマス放送を行うエリザベス女王。
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- 1952年に即位したイギリスのエリザベス女王は、2022年に在位70周年を迎え、記念式典「プラチナ・ジュビリー」が挙行される。
- 1952年当時、アメリカではハリー・トルーマンが大統領、イギリスではウィンストン・チャーチルが首相を務めていた。
- 当時はコーヒー1杯が30セントで、ポリオが猛威を振るっていた。
エリザベス女王(Queen Elizabeth)は1952年に即位したが、戴冠式が行われたのは翌年の1953年だった
戴冠式当日のエリザベス女王。
Associated Press
1952年2月6日、女王の父・国王ジョージ6世(George VI)が逝去し、エリザベス女王は25歳で王位を継承し、1953年6月2日に戴冠式が行われた。
1952年当時、世界の人口は約26億人だった
1952年アメリカ、カンザス州アビリーンにて。
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アメリカ国勢調査局(USCB)によると、現在の世界人口は約78億人だ。
当時、アメリカ合衆国の大統領はハリー・トルーマン(Harry Truman)だった
1951年、当時王女だったエリザベス女王とハリー・トルーマン大統領。アメリカ、ワシントンDCで。
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トルーマンは、エリザベス女王が王女時代に会った唯一のアメリカ大統領だ。1951年、彼女は国賓としてホワイトハウスを訪れた。
当時、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)がイギリスの首相を務めていた。チャーチルと女王は親密な関係を築いていた
1953年、エリザベス女王とウィンストン・チャーチル。
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サリー・ベデル・スミスの著書『Elizabeth The Queen: The Life of a Modern Monarch(エリザベス女王:現代の君主の生涯)』によると、チャーチルと女王はお互いに交友を楽しんでいたという。
エリザベス女王の秘書官を務めていたサー・「トミー」・ラッセルズ(Sir "Tommy" Lascelles)は二人の会談について次のように記している。
「二人が何を話しているのか私には聞こえなかったが、たいていは笑い声が聞こえ、ウィンストンは目をぬぐいながら出てきた」
1952年当時、コーヒー1杯の値段は約30セントだった
1952年、撮影現場でコーヒーを受け取るアメリカの女優ジャネット・リー(Janet Leigh)。
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ゴーバンキングレート(GoBankingRates)によると、2021年のホットコーヒー1杯の平均価格は2.70ドル(約351円)。
70年前のファーストクラス(速達扱い)郵便に必要な切手の値段は、アメリカでは3セント、イギリスでは3.5ペンスだった
1946年、自身の切手のコレクションを見るエリザベス女王。
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エリザベス女王の戴冠式の記念切手は、実施された1953年6月3日の翌日に発行された。
現在、ファーストクラスの切手の価格は、アメリカでは58セント(約75円)、イギリスでは95ペンス(約154円)だ。
当時のアメリカ人の平均寿命は、女性が約71歳、男性が約65歳だった
リビングルームのソファに座る家族。
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カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)のデータによると1952年、アメリカ女性の平均寿命は71.6歳、男性は65.8歳だった。アメリカ中央情報局(CIA)によると、現在の女性の平均寿命は82.65歳、男性は78.18歳となっている。
1952年、アメリカでは朝の情報ニュース番組『トゥデイ(Today)』の放送が始まり、初代アンカーをデイヴ・ギャロウェー(Dave Garroway) が務めた
1952年、『トゥデイ』の初回放送で司会を務めるデイヴ・ギャロウェー。
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ギャロウェーは9年間『トゥデイ』の司会を務めた。他に司会を務めた有名ジャーナリストには、バーバラ・ウォルターズ(Barbara Walters)、トム・ブロコウ(Tom Brokaw)、ケイティ・クーリック(Katie Couric)などがいる。現在は、サバンナ・ガスリー(Savannah Guthrie)とホーダ・コットビー(Hoda Kotb)が共同司会を務めている。
1952年はアメリカでポリオが大流行し、新たに5万8000人が発症した
ポリオの患者。
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1952年、アメリカでは3145人がポリオで死亡し、2万1269人が半身不随になった。
アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によると、1953年に医学研究者のジョナス・ソーク(Jonas Salk)博士がポリオワクチンを開発し、1979年以降はアメリカではポリオの発症が報告されていないという。
避妊薬はまだアメリカ食品医薬品局(FDA)に認可されていなかった
1965年に撮影された避妊薬(ピル)。
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アメリカ食品医薬品局(FDA)は「ピル」を1960年に認可したが、使用はまだ制限されていた。
アメリカでは、1965年、グリスウォルド対コネチカット州事件(Griswold v. Connecticut)での最高裁判所の判決により、夫婦が避妊する法的権利を獲得した。未婚の女性は、1972年のアイゼンシュタット対ベアード事件(Eisenstadt v. Baird)の判決まで避妊は認められていなかった。
CDCによると、現在、15歳から49歳の女性の14%が経口避妊薬を服用しているという。
[原文:10 photos of what the world looked like when Queen Elizabeth began her reign in 1952]
(翻訳:大場真由子、編集:Toshihiko Inoue)