撮影:三ツ村崇志、井上祥
日本国内で、「持続可能な航空燃料」(SAF:Sustainable aviation fuel)の展開が加速している。
伊藤忠商事は5月27日、SAF世界最大手のNeste(フィンランド)の燃料をエティハド航空(UAE)に供給する契約を締結した。日本の空港で海外航空会社向けにSAFを供給できる体制を構築したことになる。
気候変動対策で注目のSAFは各商社も「脱炭素」ビジネスとして取り組んでいるが、商用化したのは伊藤忠のみ。しかし、伊藤忠は岡藤正広会長兼CEOが「非資源ナンバーワン商社」を標榜するほど、非資源分野に強みを持った商社として知られている存在だ。
資源・エネルギーのSAF事業で、なぜ伊藤忠がリードできたのか、資源を得意とする三井物産や三菱商事の動きとともに見ていこう。
再生燃料大手のNesteは世界中から引き合い
(左から)伊藤忠商事の山田哲也エネルギー部門長、エティハド航空の稲場則夫日本支社長、Nesteのサミ・ヤゥヒアィネンアジア太平洋地域SAF事業統括。
提供:伊藤忠商事
伊藤忠は、2020年に全日本空輸(ANA)に対して一定量のNeste製SAFの供給を開始した。羽田空港や成田空港で給油できる体制を確立すると、2022年2月にはNeste製のSAFを日本国内で独占販売できる総代理店契約を締結。国内での展開を加速させている。
Nesteは、動物性油脂、調理利用後の油、廃油などを原料にSAFや、“自動車向けSAF”とも言える「再生可能ディーゼル燃料」を製造する再生燃料メーカーだ。
同社のSAFは、独自技術で原料から硫黄、窒素などの不純物や、酸素を取り除いた炭化水素系の燃料で、国際規格によれば最大50%までジェット燃料と混合して使用される。NesteがSAFの製造からジェット燃料との混合までを行い、伊藤忠が日本へ海上輸送し、空港で航空会社が給油できるよう流通網を構築する。空港の給油施設利用などの契約も伊藤忠が担う。
世界のSAF供給MAP。円の大きさが供給量、青い円が供給を開始しているプラントを意味する。日本にある青い円は、ユーグレナ社のプラント。
ICAO
国連専門機関「国際民間航空機関(ICAO)」の資料によると、世界では資源会社や化学メーカーがSAF製造に取り組んでいるものの、商用化できているのは英BPやNesteなど数社に過ぎない。
Nesteは10万トンを生産する世界最大手だ。「引く手あまたで、価格交渉でも優位を保てる」との航空業界の声が聞こえる。
実際、27日の会見にオンラインで出席したNesteのサミ・ヤゥヒアィネンアジア太平洋地域SAF事業統括は「SAFの需要は順調に伸びており、世界中の航空会社から引き合いがある」と述べた。
なぜ非資源を得意とする伊藤忠が、SAFでNesteという業界最大手とタッグを組み、他商社をリードできたのだろうか?
原点は2013年の「再生可能ディーゼル事業」
原点は2013年のアメリカ事業にある。伊藤忠の現地子会社IPC (USA), Inc. が、Nesteが製造していた自動車向け「再生可能ディーゼル燃料」をカリフォルニア州で供給するビジネスを始めたのだ。
伊藤忠は当時、環境規制で先進的な同州の住民に対して、有効な製品を提供できないかと商機をうかがっていた。そこで目を付けたのが、すでに再生可能ディーゼルの商用化において一歩先んじていたNesteだった。
この事業が軌道に乗ったことで、その後、今回のエティハド航空への供給契約に至るまで、伊藤忠とNesteの関係が続いている。
SAFが空港の競争力を左右する
NesteのSAFはアメリカ・サンフランシスコや、ドイツ・フランクフルト、オランダ・アムステルダム、成田空港など世界のごく一部の空港でしか供給されていない。
今後、航空会社に温室効果ガス削減への取り組みが問われる中、SAFを供給できない空港は「使われなくなるリスク」もある。アジアの主要空港である仁川(韓国)や上海(中国)などに先駆けて、羽田空港や成田空港でSAFをコンスタントに供給できるようになれば、海外の航空会社を引き寄せるアピールポイントにもなる。
Nesteは現在製造するSAF(写真)だけではなく、新たな製造法や原料も開発中だ
撮影:三ツ村崇志
Nesteのヤゥヒアィネン氏は、SAFを提供する空港の条件として「需要がある場所というのは基本として、温室効果ガス排出削減に先鋭的に取り組む航空会社が就航していること、政府の支援枠組み、供給網を構築できるビジネスや人材が存在するか、などといった観点から勘案します」と語った。
アメリカでプラント建設中の三井物産
「資源の物産」にとっても、脱炭素ビジネスは成長領域。
撮影:井上祥
日本でもプラントや化学メーカー、石油元売りに加えて商社もSAF市場へ参入している。が、多くの場合、商用化は2~3年後だ。商用化後は当面、需要過多が予想される。では、資源に強い商社はどう動いているのだろうか。
資源・エネルギー事業が利益の6割を超える三井物産は、2020年に米LanzaTech社からカーブアウトして設立されたLanzaJet社に出資。同社は、米ジョージア州にSAFの小規模プラントを建造中で、2023年中の完成を目指す。
同社のSAFの主原料は排ガス由来のエタノールだ。製鉄所や製油所の排ガスに含まれる二酸化炭素や一酸化炭素、水素ガスを、微生物によって発酵させてエタノールを製造。このエタノールから触媒を用いてSAFを製造する。LanzaJetのSAFはANAにも提供される予定だ。
国産SAF目指す三菱商事
三菱商事は後発ながら、他社からも一目置かれている。
撮影:井上祥
2022年3月期に商社業界史上最高の連結最終利益9375億円を稼いだ三菱商事も製鉄用石炭や液化天然ガス(LNG)など資源・エネルギーには強い。
同社は2022年4月、エネオスと共同でSAFの事業化へ向けて検討することを発表した。ジェット燃料を航空会社に供給してきたエネオスが主にSAFの製造法や設備、販路の整備を進め、三菱商事は主に原料調達を担う。ただ、この陣営は製造法や原料を明言していない。
三菱商事は化学品、食料品、小売りなど幅広い事業を展開している。SAFの原料として、動植物の油脂、廃食油、エタノールなどあらゆるものが視野に入り、商社ならではの産業の裾野の広さが強みを発揮しそうだ。陣営では、SAFを安定・大量供給できる原料を今後選定する。
この陣営の特色は、国内でSAFの原料の調達から製造・供給まで、地産地消型のサプライチェーンを構築しようとしている点だ。世界中でSAFが争奪戦になる、あるいはウクライナ戦争に見られたように国際紛争で資源供給が断絶されるリスクにも耐えうる製造・供給体制を敷くことを目指している。
多様な原料が、新たな商社の業界地図を描く
3社を比べてみると、資源・エネルギーに強い三井物産や三菱商事を差し置いて伊藤忠がSAFビジネスでスタートダッシュできたのは、商社に問われる新規事業の「目利き力」が発揮された結果だといえそうだ。
伊藤忠は短期的には主要空港での定期便向けにNesteのSAFを供給する見通しだ。ただ、将来は地方空港やチャーター便などへの供給も視野に入れている。伊藤忠の山田哲也エネルギー部門長は
「Neste社とはこれまで強力な協業関係を築いてきました。近い将来、他の企業とも連携してSAFを製造することも検討しています」
と、今後のサプライチェーンの拡充について語った。
SAFビジネスの特徴は、社会実装されることが確定し、需要が確実に生まれることだ。
ヨーロッパでは既にノルウェーなどで既存のジェット燃料にSAFを一定量混合することが義務づけられている。日本でも2030年までに航空燃料の10%をSAFに置き換える数値目標が掲げられるなど、国や業界による規制が進んでいる。
ICAOでも2027年から原則として航空各社に温室効果ガスの排出削減義務を課す方針を示している。その履行手段として、最も効率的なのがSAFの導入だ。
こうした事業環境の下、世界規模でのSAFの必要量は、2020年には6.3万キロリットルだったのが、2030年には7200万キロリットル、2050年には5.5億キロリットルと大幅な成長が見込まれる(国土交通省調べ)。
SAFの必要量が増えれば、その分原料の調達も必要だ。
SAFは一見、資源・エネルギー事業の色合いが強いが、原料調達においては化学品や小売り、食品といった事業もかかわる。SAFの登場によって、従来は三井物産や三菱商事が強かった資源・エネルギー事業の業界地図が、新たに描き直される可能性があるのかもしれない。
(文・井上祥)
井上祥(いのうえ・しょう):商社取材歴は8年。コンビニからLNG開発まで、商社のやることならば何でもカバー。幹部人事分析が趣味。