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シマオ:皆さん、こんにちは!「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今日も読者の方からいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
数年前、ベンチャーから大手メーカーに転職した者です。転職先に企業型確定拠出年金の制度があり、人事から退職金は出せないので加入を勧めるということで加入することにしました。入社以来、毎月3万円ほどを割り当てています。
最近ではウクライナ情勢の影響もあり、運用成績は芳しくありませんが、一時期は数年の運用にもかかわらず数十万円の運用益が加算されており、驚きました。私はこれまで投資にはどちらかというと批判的な感覚を持っていた(額に汗して稼ぐべきというか。投資などと言っている人間に胡散臭さや本能的な嫌悪感があったのです)のですが、実際の金額を見ると、心は揺れますし、退職金のためにこれからも積み立ては続ける予定です。
ただ、なんだか気持ち悪さはずっと残っていて、資本主義が生む格差や貧困がこれだけ問題になっているのに、自分は何もせずにお金を生み出していていいのだろうか(しかも、複利で運用益はこれからさらに増えていくはずで)……と思ってしまいます。罪悪感のようなものに近いのですが。自分のなかに抱えたこの矛盾と、どう向き合っていけばいいのでしょうか。
(SGR、30代前半、会社員、男性)
投資のリターンはリスクの対価
シマオ:SGRさん、お便りありがとうございます! 確定拠出年金は、近年多くの企業で採用されていますね。
佐藤さん:表向きはうまく運用すれば年金額が上がると言っていますが、企業側が年金運用のリスクを回避したいという思惑もあるでしょう。
シマオ:SGRさんは、汗をかかず投資で稼ぐことに罪悪感を覚えるとのことです。最近では珍しいかもしれませんが、こういう場合はどう考えればよいのでしょうか?
佐藤さん:結論から言えば、罪悪感を覚える必要はありません。投資というのは、自らリスクを負っています。リターンを得られるのは、そのリスクの対価であって、何もやましいことはないのですから。
シマオ:では、やっぱり政府も推奨しているように、これからの時代はどんどん投資して利益を得るべきだと?
佐藤さん:いえ、そういうことではありません。少し長いスパンで考えれば、株価は上がることもあれば下がることもあるということはすぐに分かります。リーマンショックのような暴落が起きることもある。それを予想できる人はいません。
シマオ:予想できたなら金融業界もあんな騒ぎになりませんもんね……。ただ、最近は株や仮想通貨で大儲けしたっていう話もよく聞きます。正直、うらやましいと思うことも……。
佐藤さん:もちろん、儲かる人はいます。ただ、それはタイミングの問題で、裏では大損をした人も同じくらいいるはずです。結局、そう簡単にお金を増やすことはできないと考えたほうがいいでしょう。その意味でも、多少投資で成功したからといって罪悪感を覚える必要もないし、味をしめることにも注意したほうがいいと言えます。
シマオ:ちゃんと勉強すれば、儲かる確率が高くなるのでしょうか?
佐藤さん:それでも継続的に勝ち続けるのは難しいでしょう。市場のプレーヤーとして大部分を占めるのはプロの投資家たちです。まして、最近はAIなどコンピュータによる0.001秒単位での売買が行われていますから。
シマオ:少し勉強したくらいでは、とても太刀打ちできないということですね。
「FIREしたい」という人の本当の問題
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シマオ:ところで、投資といえば、最近は「FIRE」が再び脚光を浴びているようですね。
佐藤さん:「Financial Independence, Retire Early」の頭文字をとったものですね。要は、経済的自由を手に入れて、早期退職を目指すというものです。
シマオ:実は僕もひそかに憧れていて……。入門書も読んでみました。
佐藤さん:FIREをするのにどれくらいの資産が必要だと書いてあったか覚えていますか?
シマオ:えっと、前に読んだFIREの本には、シンプルな暮らしをするならば「年間支出額の25倍を4%で運用すればいい」と書かれていました。例えば、年間300万円として7500万円。これなら、いずれ何とかなるかな、なんて。
佐藤さん:正直、そうしたFIREの考え方は「甘い」と思います。
シマオ:ええ! どうしてでしょう……?
佐藤:シンプルな暮らしと言いますが、死ぬまで300万円の生活を続けられるでしょうか。「残りの資産であと何年生きなければならない」とお財布を気にしながら生きるのは、むしろ辛いものではないでしょうか。
シマオ:たしかに……。たまには贅沢もしたいですし。
佐藤さん:結局、勤め人の生涯年収である2億円、3億円でFIREができると思ったら大間違いなんですよ。経済的自由というならば、10億円単位の資産がなければならない。
シマオ:そんなに!? それはちょっと大げさじゃないでしょうか……。
佐藤さん:いえ、人の欲望は、簡単に制限できるものではありませんから。お金は十分にないのに暇はあるという状況なら、「あれがしたい」「これが欲しい」と欲望がふくらんでいくのは目に見えています。真の意味でFIREできるのは、コートダジュールに別荘を持って、プライベートジェットで行けるような人たちだけなんです。
シマオ:でも、そんなの起業で大成功でもしないと無理ですよ!
佐藤さん:私は、FIREをしたいという人の問題は「お金」にあるのではないと考えています。FIREをしたいと思う本当の理由は何か。それを考えてみたほうがよいでしょう。
シマオ:本当の理由?
佐藤さん:FIREをしたいと言う人は、結局のところ、やりたいことがないのではないでしょうか。だから、何とかして早期リタイアをしたいと思う。でも、やりたいことがないのにリタイアをしたら、何をして暮らすのでしょう? あるいは他にやりたいことがあるのなら、仕事をそれに近づければいいのではないでしょうか。
シマオ:そうか! やりたいことが見つからない、早期リタイアすることで手にしたいものもない、というのが本当の問題なのか……。
佐藤さん:その状態で仕事を辞めても、お金を使いすぎてしまって計画が破綻し、より不本意な形で働かなければならなくなるか、不安で精神を病んでしまう可能性がかなり高いと思いますよ。
「投資」よりも「取り分け」が大事
シマオ:いずれにせよ、簡単に金儲けをして楽に暮らすなんてできないってことですね。
佐藤さん:はい。認識しておくべきは、資本家と労働者の違いです。
シマオ:あ、以前お話しいただいたマルクスですね!
佐藤さん:マルクスによれば、労働力を「商品」として売るのが私たち労働者階級(プロレタリアート)であり、投資をするのが資本家です。日本においては「社長」であっても、ほとんどの場合、労働力を商品として売っているため、資本家ではなく労働者なんですよ。
シマオ:資本家と呼べる社長というのは、働いていたとしてもイーロン・マスクやジェフ・ベゾスくらいの資産を持っているという訳ですね。
佐藤さん:そうです。つまり、私たちが株で少し儲けるなんてことは「投資」のうちに入りません。もちろん、高いリスクを負えばそれだけのリターンを得られることはあるかもしれない。ただ、それで一文無しになったり、夜も眠れないほどのめり込んだりすれば元も子もないでしょう。
シマオ:では、僕たちはお金に対してどのように向き合えばよいのでしょうか?
佐藤さん:私がおすすめするのは「取り分ける」という考え方です。お金は手元にあれば使ってしまいがちです。ですから、将来どうしても必要になる分については、取り分けておく。それには、現金ではなく簡単に使うことができないような形に変えておくとよいでしょう。
シマオ:例えばどんなものでしょうか。
佐藤さん:SGRさんのお便りに戻りますが、確定拠出年金はまさに老後のための取り分けとなります。制度上、原則的に60歳まで引き出せませんから。会社に財形貯蓄制度がある人はそれを利用しても、定期預金でも構いません。私がおすすめするのは、10年国債を郵便局で購入することです。
シマオ:郵便局ですか? 証券会社ではなく?
佐藤さん:単純に手続きが面倒くさいんですよ(笑)。買うのも売るのも1日がかりになるので、1回買えばなかなか現金化できない。強力な取り分け手段です。
シマオ:わざと引き出しにくくするんですね!
佐藤さん:多少のリスクをもって投資をすることは構いません。ただ、投資が目的化してしまうと、むしろ人生を見失うことになってしまいます。できるだけ放置しておけるような資産管理をしつつ、自分が本当にやりたいことを考えることが、人生を充実させることにつながると思います。
シマオ:自分が何をしたいのか……僕も働きながら考えていきたいと思います。SGRさん、罪悪感は持たずともよいとのことですので、心からやりたいことに取り組んでくださいね!
さて、「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回の相談は6月22日(水)に公開予定です。それではまた!
※この記事は2022年6月8日公開の記事の再掲です。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。