コクヨが初めてIoT文具として発売した「しゅくだいやる気ペン」。2019年7月の発売以来、約2万5000台を販売している。
撮影:小林優多郎
いま、学生をとりまく「勉強道具」が進化を遂げています。大手文具・家具メーカーの「コクヨ」では、ノートを電子化できる勉強用アプリや文具にIoTを掛け合わせた子どものやる気を引き出す文具を考案し、話題となっています。
かつて「勉強道具」といえば紙のノートに鉛筆、シャーペン、マーカーでしたが、そんな風景も数年で一変するかもしれません。1905年創業のコクヨが初めてIoT文具として発売した商品「しゅくだいやる気ペン」から、伝統企業が挑むアナログとデジタルを掛け合わせた攻めの一手に迫ります。
「しゅくだいやる気ペン」を担当するコクヨの中井信彦さん。
撮影:小林優多郎
コクヨが初めて「IoT文具」として発売した商品。それが「しゅくだいやる気ペン」だ。
まるで丸いフォルムの青いネコ型ロボットが若干のハスキーボイスとともにポケットから出しそうなネーミングだが、子どもの日々の頑張りの「見える化」を目指した真面目な商品だ。
市販の鉛筆に取り付けて筆記量をデータ化し、スマホアプリと連動させることでさまざまなアイテムを集めたりする。「勉強したい」という自発的な学習意欲を高めていくために開発された真面目な商品だ。
2019年7月に発売されると初回生産分はすぐに完売。1台6980円(税込)。おおよそ1年間で1万台ペース、現在までに約2万5000台と順調に販売数を伸ばしている。
しゅくだいやる気ペンの概要。
出典:コクヨ
そんなヒット商品も生まれるまでには紆余曲折があった。
もともと、コクヨは文具やオフィス家具などアナログ商品が主軸だった。しかし、2016年に新しい柱を作るべく「IoTの文具を作ろう」という企画がスタートした。
担当の中井信彦さんは語る。
「はじめは約1万点ある文具から『どれをIoT化したら意味があるのか?』とディスカッションしました。そこから『書くこと』に意味があるのではと、鉛筆やペンにフォーカスしました」
「コクヨの筆記具といえば、売れ筋商品である『鉛筆シャープ』に、グリップ状のセンサーをつけることでうまく“のっかる”ことができないかなと……」
そこで考えたのが、子どもが勉強しているかを遠隔で把握できるグッズだ。
「共働き世帯が増加の一途をたどる中、当時多くの『見守りグッズ』が世の中に出ていました。忙しい日々の中で子どもの学習を見守ることができる……。社会課題を解決するためにも良いんじゃないかなと」
試作品ができるまで約1年かかった。中井さんはその間、社内の会議を通すためのマーケット調査や、「核家族向け」とターゲットを定めて販売を想定した準備を進めていたという。
「ところが、親世代に『こういう商品ってどうですか』と聞いたら想像以上に受けが悪かった。社会課題に向き合ったつもりで企画しましたが、必要とされていない商品だったんです」
結果的に「自分に都合がいいような解釈をしているだけだった」と、最初の商品企画はストップせざるを得なかった。
「よくあるマーケティングの本に書いてある『最大のリスクは、誰も欲しくないものを作ること』にまんまとハマってしまった。ショックでした」
撮影:小林優多郎
それでもコクヨのコアの一つである「書くこと」で子供たちに貢献できたらいいなという漠然とした思いはあった。
何ができるかを模索する中で「商品で幸せになる顧客は誰か」という問いかけが生まれた。
「結局、商品を『使う』ことにしかフォーカスしていなかった。使うことで『幸せになる』というイメージがなかったんです。『技術的に可能だから作った』『課題を解決できるから作った』だけでは弱い。お客さんの心が動く商品をイメージできていなかったんです」
使った子どもが『幸せ』になれる商品に行き着かなければダメ──。低学年向けの商品ノウハウがない中、ゼロからのスタートでもう一度IoT文具の開発に挑んだ。
2児の父である中井さん。ある日、プロトタイプのペンで子供に宿題をやってもらった。
宿題が終わり、ペンでスマホをタッチすることで得点が獲得できるデモを見せると、笑顔をみせて喜んだという。
「それがすごく嬉しくて……。この仕組みをどうやって商品として実現するか。新たなヒントを、この時にもらえた気がします」
コクヨのYouTubeチャンネルでは、実際に子どもが宿題をこなす風景が紹介されている。
コクヨのYouTubeチャンネルでは、実際に子どもが宿題をこなす風景が紹介されている。
さまざまな家庭に子どもの宿題をめぐる実情も聞いて回った。30世帯ほどには、実際に子どもが宿題をこなす風景を動画で撮影してもらった。
「撮ってもらうと、まず宿題を始めるまでに時間がかかる。やり始めても途中で飽きてしまうこともある。鉛筆のキャップを笛にしたり……。親御さんから『動画撮ってるのに!』と叱られる子もいました」
「もちろん、親御さんたちは『どうすれば子どもが勉強に興味をもってくれるか』と試行錯誤をいっぱいしています。電車が好きな子には、ホームの駅名表示板に漢字を書いて覚えさせたり。創意工夫がたくさんあった」
「親御さんたちも、お子さんの学習に深く関わりたいと思っている。お子さんに寄り添いたいという気持ちがある。僕が最初に考えた『見守りペン』のような発想とは真逆だったんです」
これ以降、開発方針は親子の会話密度を濃くすることや、子どもの興味・関心に関わりつつ自発的に学習意欲を高める方向にフォーカスしていった。
「家庭学習を中核に、親子のコミュニケーションを深化させることができたらいいなという方向が固まった瞬間でした」
筆記量のデータは専用のアプリに送信され、量に応じてアプリ内の「やる気の木」が成長する。
出典:コクヨ
市販の鉛筆に装着するガジェットという基本コンセプトは維持しつつ、内蔵のセンサーで子どもの筆記量をデータ化する仕組みにした。
ペンがどんな傾きの時にやる気になっているか姿勢の実験も進めた。
筆記量のデータは専用のアプリに送信され、量に応じてアプリ内の「やる気の木」が成長する。アプリは基本無料だ。
アプリ内では「すごろく」があり勉強の進捗でコマを進められる。進めば進むほど、RPGゲームのようにどんどんアイテムが手に入る。「庭」と呼ばれるステージは18種類。全て周るには半年ほどかかる。
すごろくのゴールには「ゴホウビ」を設定することもできる。これも親子がコミュニケーションを取るきっかけになるという。
「子どもが1人で勉強するだけではなく、親子がゲームに関わる形にしました。アプリ内のキャラクターやアイテムも、動物や世界遺産、恐竜、宇宙など子ども達の“学ぶきっかけ”みたいなものを追加コンテンツとして設けました」
子どもが一人で勉強するだけではなく、親子がゲームに関わる形も特徴だ。
出典:コクヨ
商品のメッセージ性にも注意を払った。
「『しゅくだいやる気ペン』という名前で、ユーザーさんからは『持つだけでやる気が出る魔法のペンみたいなもの?』と捉えられがちだったんです。でもそれは違う。親子のコミュニケーションを通じて、お子さん学習意欲が湧くという仕組みですから」
「それもあって、商品名の上に同じ大きさで『書きたくなる、褒めたくなる』というキャッチコピーをつけたんです。あくまで、このポリシーに共感した方だけ購入してほしいと。勘違いされてしまうのが一番怖かったので……」
出典:コクヨ
こうした経緯から、当初購入の導線は自社の公式ECサイトのみに絞った。それでも理念に共感したユーザーが購入。初回生産分は完売した。
現在は京都橘大学など、5大学1施設の学習支援専門家からなる研究チームと協力し、「しゅくだいやる気ペン」を用いた学習支援の共同研究にも協力している。
「コロナ禍に入ってからは、販売台数が前年の1.5倍になった月もありました。子どもの学びにどう関わったらいいか、悩んでいる親御さんもたくさんいらっしゃるんです」
「学校に行かせておけばいいという時代が終わり、自分の子どもが何に興味があって、どうすれば学習意欲が高まるかを一生懸命模索していらっしゃる」
今後も、多くの子どもたちに「学び」のスタートに立ってほしいと中井さんは語る。
「追加コンテンツ(一部有料)として『ジャポニカ学習帳』さん監修の“アフリカの庭”というステージや、JAMSTEC(海洋研究開発機構)さん監修の”うみのふしぎの庭”などの新しいステージも作りました」
「『しゅくだいやる気ペン』という名前ではありますが、宿題のサポートにとどまらず、今後も『次の学びへのきっかけ』になれるように工夫を進めていきたいと思います」
(取材・文:吉川慧)