景気減速により投資銀行の採用が抑制されている。2021年まで強い立場にいた若手行員たちは、今や立場が弱くなりつつある。
DNY59/Getty Images
2021年、金融業界の若手行員たちが戦いを仕掛けたことで、ウォール街にショックが広がった。
投資銀行の若手社員たちが、燃え尽き症候群になったと苦情を言いながら金融業界からこぞって離脱していったのだ。そのせいで人員不足に陥り、若手人材を補充せざるを得なくなった銀行の中には、取引を断らざるを得なくなったり、ライバル銀行から人材を引き抜いたりしたところもあった。
人員減に歯止めをかけ、若手の退職を防止しようと、ウォール街の金融機関はさまざまな福利厚生や好待遇を打ち出した。潤沢なボーナス、休暇費用全額負担、オンラインフィットネスのペロトン(Peloton)のバイク付き無料サブスクリプション等だ。
基本給も2022年初頭まで継続的に上がり、文字通りウォール街のどの銀行でも、1年目の投資銀行員の報酬が10万ドル台(約1350万円台、1ドル=135円換算)というところまで来た。
若手銀行員たちは突如手にした力を満喫し、業界で最も影響力のない末端の人材が、全てのパワーを手中に収めたかのように見えた。
ところが、ここ数カ月で急激にディールの数が落ち込んできた。銀行ウォッチャーたちの間には動揺が広がり、採用が凍結されてレイオフが起こるのではないかとの懸念が広がっている。
宇宙をも掌握したかのような野心あふれる若手行員たちは今、不都合な現実に直面している。上司に勝っていたのはほんの短い間だけで、その勝利にも終わりが見えているのかもしれないと業界関係者は言う。
ウォール街の賃金動向を詳しく追う報酬コンサルタントのアラン・ジョンソン(Alan Johnson)は、Insiderの取材に対し次のように語る。
「2021年は、振り子が異常なほど従業員優位に振れました。今後は、その振り子はおそらく真ん中に戻っていき、経営者と従業員双方のバランスが取れる場所に落ち着くと思います。労働市場がひっ迫していると、給与は上がりますし、人は選り好みします。労働市場の状態が正常に戻ってくれば、そうはなりません」
過去数カ月で証券などの公募は急減しており、M&A市場も前年比で20%以上減少している。あるジュニアバンカーが最近漏らしたところでは、仕事がほとんどないので、ニューヨーク・シティから何週間かこっそり抜け出し、暖かいところで恋人と過ごしていたらしい。プールサイドでまったりしながら何時間もXboxをプレイして楽しんだそうだ。
一方、JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEOは、2022年6月1日に行われた業界の会議に登壇し、経済的な「ハリケーン」が来て世界経済に冷や水を浴びせるだろう、と警告した。
ハリケーンが襲来したときの常だが、今回のハリケーンも、どうやら浮かれている場合ではなさそうだ。
仕事があるのはありがたい
今回想定される景気停滞は、市場をかき乱した2020年春の短い混乱期を除けば、ジュニアバンカーたちが就職してから初めて経験する景気停滞になる。しかし、UBSの株式担当リサーチアナリスト、ブレナン・ホーケン(Brennan Hawken)は、過去の停滞局面は今後の展開を予測する上で参考になると言う。
ホーケンが思い出すのは、10年以上前の金融危機のことだ。金融危機に見舞われると、仕事に向かう社員の態度は一変した。
「去年はジュニアバンカーは得しましたが、こうした向かい風によって心理的に変化するのは間違いないですね。今のポジションに不満を漏らしてないで、ただ『仕事があってありがたい。不景気だけどこの仕事にかじりついて業界で生き残ろう』と思えばいいんです」
ウォール街の若手の脳裏には、アナリストやアソシエイトの給与が連続して上がった2021年の記憶が鮮明に残っている。インターンを除けば投資銀行のヒエラルキーの最下層に位置する1年目のアナリストに、多くの企業がボーナスを除き8万5000ドル(約1100万円)もの初任給を支払ったのだ。
2021年夏には、JPモルガンやゴールドマン・サックス等が基本給を25%以上引き上げ11万ドル(約1400万円)としたことで、さらにドミノ効果が業界に広がった。エバーコア(Evercore)などの銀行は12万ドル(約1600万円)にまで引き上げた。
こうした大幅な賃上げにもかかわらず、皆が満足した訳ではなかったようだ。ウォールストリート・オアシス(Wall Street Oasis)が2022年3月に行った調査では、500人近い回答者の過半数が、現在の給与で銀行業界で働き続けることに満足していないと答えた。ちなみに、この調査は回答者の92%がジュニアレベル(アナリストまたはアソシエイト)だ。
2021年は要求が多いとされる金融業界の体質がネガティブに報じられることが多かったが、それでもこの業界の威光はいまだ失われてはいない。
例えばゴールドマン・サックスだ。2021年春にジュニアスタッフが、過酷な勤務状況を内部告発したことでメディアに叩かれたが、それでも同社の名声という鎧についたのはわずかなひっかき傷程度だ。
ゴールドマン・サックスでは2022年、インターンのポジションに世界から23万6000件の応募があった。採用に至ったのはそのうち2%未満で、投資銀行業界で仕事を得るのは引き続き狭き門であることが分かる。
フルタイムの仕事やボーナスが減るのではという恐れ
2022年に採用されたインターンは、例年よりもリスク感度が高いという。
インディアナ大学ケリー経営学部で投資銀行業界ワークショップを主催する金融学専門のスティーブ・シブレー(Steve Sibley)教授によると、学生たちは銀行がフルタイムの採用枠を減らすのではと心配しているのだそうだ。
「学生は『内定をもらうにはどうしたらいいだろう?』ということばかり心配していますよ」
ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院でキャリアマネジメントセンターのアシスタント・ディーンを務めるリザ・カークパトリック(Liza Kirkpatrick)によると、MBAレベルのインターンや求職者は労働市場がひっ迫しつつあることを気にしているという。
「彼らは競争心を持ち、自分の能力を証明したいと思ってインターンに参加する訳です。インターンの中でもチャンスを勝ちとれる人材なんだと会社に示して内定をもらうこと。それがこの夏の目標なんです」
希望に満ちた学生の話はさておき、現在勤務中の社員には心配すべきプレッシャーのかかる事柄がたくさんある。
2021年は史上最大の「M&Aイヤー」となったが、そこで稼いだ富を享受したのもつかの間、前出のジョンソンは、ディールの数が減っているためこれから投資銀行員のボーナスは2ケタ減になるだろうと予測する。投資銀行のアナリストが実際にボーナスを手にするのはこの夏だ。
大口法人顧客を上場させるECM(Equity Capital Markets)のような業界では、IPOが減ることで最悪の痛みを今後経験する可能性がある、とジョンソンは警鐘を鳴らす。
オフィス回帰戦争
最近、ウォール街の「オフィス回帰戦争」がまた耳目を集めている。
JPモルガンやゴールドマン・サックスの社員が、銀行側が勤怠管理のためにスワイプIDカードを使用しているのに反発したためだ。出社に関しては、自由放任主義を容認しているバンクオブアメリカのような競合でさえ、社員の出社にばらつきがあることに頭を悩ませている。
ウォールストリート・オアシスの調査では、1年目のアナリストのうち出社したいと回答したのは17%しかおらず、3分の1はほぼ常に在宅勤務するほうがよいと回答した。
金融サービスのジャニー・モンゴメリー・スコットのリサーチ担当ディレクターであるクリス・マリナック(Chris Marinac)は、こうしたオフィス回帰戦争のおかげで、銀行側が社員より優位に立つ可能性が出てくると言う。マリナックの予想では、マネジャーが権力を取り返せば、スタッフをオフィスに戻そうとする銀行側に有利になる可能性がある。
「こうしたことが、会社優位で進められる交渉のポイントになってくると思います」
出社したくなくても、上司に歯向かえるジュニアバンカーなどめったにいない。例えばゴールドマン・サックスではこの春、社員のフラストレーションなどお構いなしに、コロナ禍で無償提供していたいくつかの福利厚生をバッサリ削減した。
同社では、スタッフに休暇日数を2日分上乗せし、1年で最低15日間の有給休暇を取ることを義務付けた一方で(ただし同社の社内メモによると、最上層部のパートナーや取締役は「休息し充電するため」の有給休暇は上限なし)、オフィス通勤に車を使った場合に支給していた手当を4月に廃止。ジムの無料利用や、カフェテリアでの朝食の無料提供もやめた。
テクノロジーに強いM&Aバンク、ユニオン・スクエア・アドバイザーズのパートナー、デボン・リッチ(Devon Ritch)は、コロナ禍で「パワーバランスがジュニアレベルの人材に偏りすぎたのだろう」と認める。
しかし、福利厚生の中には継続しているものもあるとリッチは言う。リッチの会社では、慌ただしかった第4四半期の後で社員全員に1週間の休暇を従来の休暇に上乗せして与え、必ず2022年前半に取るようにさせたという。リッチによれば、これは「会社に残ってもらうためのメカニズム」であり「やる気を高めてもらう方策」なのだという。
EYで人材アドバイザリーサービスのプリンシパルを務めるステファニー・コールマン(Stefanie Coleman)は、「労働市場が変化すればパワーバランスも変わる」と言う。
「働き口を選び放題という状況下では、社員は会社に対する高い要求をはっきり口にしがちです。市場が逆の方向にシフトすれば、そういう要求は多少減るかもしれませんね」
(翻訳・カイザー真紀子、編集・大門小百合)