「退屈」だと思われることは、仲間からの評価にマイナスの影響を与えることもある。
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- 「退屈な人」ではないと思われたいのであれば、戦略的に自分自身を表現するべきだ。
- もっとも退屈だと思われている仕事や趣味などについて調査した心理学者、ウィナンド・ファン・ティルブルフが、そう述べている。
- 彼によると、「退屈な人」と判断される理由には一貫性がないという。
エセックス大学の心理学シニア講師であるウィナンド・ファン・ティルブルフ(Wijnand Van Tilburg)によると、「退屈」は「美」と同様に見る人が判断するものだという。
「世界で最も退屈な人」を特定するために、「退屈だ」と見なされる趣味や職業について調査した研究論文が2022年3月に発表された。ティルブルフはその筆頭著者として研究を率いている。
この研究の目的は、人々が即座にステレオタイプ化してしまいがちな特徴を明らかにし、「退屈な人」というレッテルを貼られた人がどのような影響を受けるのかを明らかにすることだった。調査によると世界一退屈な人は、データサイエンスの仕事をしていて、テレビの視聴時間が長く、小さな町に住んでいるという結果になった。
この研究によって、「面白くない」とみなされる人がそのイメージを覆すにはどうしたらよいのかという知見も得られた。
もし「退屈な人」というイメージを変えたいのであれば、自分自身を表現する方法を変えればいいと彼は提案する。なぜなら「退屈な人」というステレオタイプには、多くの矛盾があるからだとファン・ティルブルフは言う。
例えば、ファン・ティルブルフが「科学者をしている」と言えば、研究結果によると「最もエキサイティングな職業」に就いているとみなされる。だが「1日の90%をデータ分析に費やしている」と言えば、逆のイメージを与えることになるだろう。
「このように、適切な言葉で自分を表現すれば、ネガティブなステレオタイプに当てはめられるのを避けることができる」と彼はInsiderに語っている。
その論理でいくと、「ゴロゴロしながら映画を見るのが好き」ではなく、「シネフィル(映画通)」なのであり、「退屈な郊外」ではなく「前途有望なコミュニティ」に住んでいると言い換えればいいということになる。
「もう少し戦略的にすればいい」と彼は言う。
退屈がポジティブかネガティブかは、文脈によって変わる
ファン・ティルブルフは博士課程在籍中に、人生の意味を探るための新たな心理学的手法を模索していた。そのとき初めて「退屈」に興味を持ったという。以来15年間、自らを「退屈の専門家」と称し、その研究に没頭してきた。
我々の多くにとって、仕事とは人生やキャリアに目的や意味を見出すものだという概念にますます囚われるようになってきている。このことが、「退屈」は興味深いとファン・ティルブルフが考える理由のひとつだ。もうひとつの理由は、それがとても些細なことで、誰もが経験するということだ。
「やるべきことがあるのに、満足のいく活動ができないという好ましくない感情」という退屈の定義について、ティルブルフは概ね同意している。
ウィナンド・ファン・ティルブルフは、過去15年間、「退屈」について研究してきた。
Wijnand Van Tilburg
だが「退屈に良し悪しで判断するのは、正しいアプローチではない」という。「というのも、それは文脈によるからだ」
一方では、退屈は人を新しいことの探求へと駆り立てる「役立つ経験」であり、ある研究が示唆するように「拡散的思考」を促すこともあると彼は言う。
また一方では、リスクを取ることを促し、後先考えずに仕事を辞めるように仕向けるといった「諸刃の剣」にもなりうるという。
職場での「退屈」の作用に関する別の研究によると、退屈すると労働者のパフォーマンスが落ちることが示唆された。また別の研究によると、退屈を感じやすい人は不公平感も感じやすい傾向にあり、報復あるいは退屈しのぎとして職場や同僚の所有物を盗もうと考えることもあるという。
「退屈は原則的には悪いことではないが、人々の生活にさまざまな影響を与える」とファン・ティルブルフはInsiderに語った。彼らの論文が示すように、これらの影響はネガティブなものである可能性がある。
例えば、調査への参加した人は「退屈な人」を能力が低いとみなすだけでなく、その人を避けたいと思う傾向が強かった。そのように思われた人が、イメージ挽回を図りたくても、最近ではその機会もないという。
「人は初めて会った人について、即座に判断を下してしまう。だがそもそも、最近は人に会うチャンスすらない。このような状況では、職場ですでに形成された固定観念を変えたり立ち向かったりすることが困難であるため、問題となる可能性がある」と、ティルブルフは述べている。
彼は、この研究から学ぶべき重要な教訓として「面識のない人と会うときには、気をつけること」を挙げた。
「明らかなのは、人は常に自分の固定観念を疑ってかかるべきだということだ」
(翻訳:仲田文子、編集:Toshihiko Inoue)