米労働省が発表した5月の消費者物価指数は市場予想を大きく上回る「想定外」の伸び率を示した。画像は米ロサンゼルスのスーパー。高インフレの家計への影響は続く。
REUTERS/Lucy Nicholson
米労働省が6月10日に発表した5月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比(以下同)8.6%上昇と市場予想の中心(8.3%)を上回り、40年5カ月ぶりという大幅な伸び率となった。
エネルギーは34.6%、食品が10.1%といずれも大幅な上昇を記録。商品価格の高い伸びがこのインフレを主導している印象は相変わらず強い。
ただ、サービスの価格も5.7%上昇と加速し、価格変動の大きいエネルギー関連サービスを除いても5.2%上昇。勢いを感じる【図表1】。
【図表1】米消費者物価指数(CPI)と失業率の推移。
出所:Macrobond資料より筆者作成
失業率が低位安定するなか、はっきりと賃金上昇が起きてはいるものの、記録的な物価上昇に追いついておらず、家計部門の実質所得の悪化が消費・投資意欲を削ぐ展開が懸念される。
以前から注目される住居費の上昇も5.5%と高止まりが続き、市民の日常生活にかかるコストは確実に増えている。
それは平均消費性向(=可処分所得に対する消費支出の割合)の高い貧困層の暮らしを直撃し、インフレへの不満は蓄積されていく。
バイデン米政権がそれにどう対応するかは(11月に中間選挙を控え)支持率に直結する大きなテーマであり、金融政策の策定にあたる米連邦準備制度理事会(FRB)はもちろん、政権としてもタカ派路線を緩めるわけにはいかない状況と言える。
ピークアウトを示す指標も間違いなくある
今回発表されたCPIに「あえて」前向きな材料を見出すとすれば、変動の大きい食料とエネルギーを除いたコア指数は6.0%の上昇で、市場予想の中心(5.9%)こそ上回ったものの前月の6.2%からさらに減速。ピークアウトしたことがはっきり見てとれる(前節【図表1】の青い太線)。
また、個人消費支出(PCE)デフレーターも、同様にピークアウトが明白になっている。
個人消費支出(PCE)デフレーター……個人消費の物価動向を示す指標。消費者物価指数(CPI)よりも調査対象が広く、例えば、CPIの調査対象は個人の直接的支出に限られるのに対し、PCEは医療保険などの間接的支出までが対象となる。そのため、個人消費の実態をより正確に把握できるとされ、FRBの金融政策運営においてはCPIより重用されている。
下の【図表2】を見ると分かるように、総合のみならず、食品とエネルギーを除いたコアともにピークアウトが見てとれる。
加えて、ダラス地区連銀が毎月発表するトリム平均PCEデフレーター(=上位値と下位値を除外して計算する、より実態に近い物価指標)も、ピークアウトとは言い切れないが、2022年に入ってからの伸びが鈍化していることが分かる。
【図表2】個人消費支出(PCE)デフレーターの推移。ダラス連銀トリム平均(青三角)は、上位31%と下位24%の品目を除き、残りの平均値を算出している。
出所:Macrobond資料より筆者作成
4月のPCEデフレーターは市場予想を上回った点では確かに期待外れだったものの、ここまでの推移から間違いなくインフレ率の鈍化が見てとれることは認識しておきたい(5月分のPCEデフレーター公表はこれから)。
一般的に、株価は最初に下がる
CPIと同日に公表された6月のミシガン大学消費者態度指数は50.2、こちらも市場予想の中心(58.1)を大きく下回り、過去最低を更新した。
ミシガン大学消費者態度指数……アメリカの消費者心理を表す経済指標で、ミシガン大学のサーベイ・リサーチセンターが毎月発表。300~500人を対象とするアンケート調査の結果で、1966年を100として指数化される。
この指標から認識できる消費者心理の悪化と、ここしばらくの株価急落との間には関連性が見られる【図表3】。
【図表3】米株価と米ミシガン大学消費者マインド指数の推移。
出所:Macrobond資料より筆者作成
アメリカの家計金融資産の30%以上が株式の形で保有・運用されていることを踏まえれば、株価急落は家計の金融資産を目減りさせることで個人消費を冷やす効果が懸念される。
一般的に、景気の減速(最悪の場合は景気後退入り)が起きるとき、最初の段階で株価の調整(下落)が始まり、そのあとに実体経済の悪化が続く。上で述べたように株価下落が家計の金融資産を減らす効果が大きいアメリカ経済では、特に分かりやすい流れと言える。
なお、もしこれから景気の減速が明確になって、失業率もはっきりと上向く状況がやってきた場合、目下インフレ抑制を最重要課題とするタカ派(物価安定重視)のFRBがハト派(景気重視)に転換するとの期待が生まれ、株価が上昇しやすくなると思われる。
したがって、実体経済の悪化が始まるころには株価が上昇している可能性が高い。
さらに言えば、年内に中立金利(=緩和的でも引き締め的でもないちょうど良い金利。現状のFRB推計では2.5%程度)付近まで数度にわたって利上げが実施され、そこから金融引き締め効果が本当に発揮されてくるというFRBの想定が正しければ、実体経済のはっきりとした悪化が始まるのは2023年の年明け以降になる。
となれば、株式市場にとっては(予想される最速の)FRBハト派転換までの半年間、つまりは2022年下半期が最大の苦境ということになるだろうか。
円を売りたかった人々を後押しする展開
さて、ここまで見てきたような消費者物価や個人消費の状況を受けて、どんなことが起きるか。
筆者が専門とする為替相場の観点で言えば、日本円を手放す流れが継続しやすいことが挙げられる。
市場予想を上回る5月の消費者物価指数公表を受け、6月14~15日に予定される米連邦公開市場委員会(FOMC)では、利上げ幅が当初想定されていた0.5ポイントではなく、0.75ポイントになるとの観測が出てきている。
詳細はここでは割愛するが、利上げ幅を一度0.75ポイントにしてしまうと、0.5ポイントに下げるのは相応の理由が必要になる。軽々にその決断はできない。
利上げが効果を発揮するのが半年から1年後であることを踏まえれば、いくら市場予想を上回る衝撃が大きかったとは言え、単月の指標を受けて利上げ幅を拡大する判断は危うい。
その一方で、8%前後という記録的水準で推移するインフレ率を先述の中立金利(2.5%)以下で抑制できるのかと言えば、直感的に難しいように思う。まずは足早に2.5%超えを目指して利上げを進めるべきとFRBが判断しても、まったく正当性がないとまでは言えない。
では、そのようなアメリカの中央銀行が置かれた舵取りの難しい状況に対して、日本はどう動くか。結論はすでにさまざまなメディアが報じている通りで、日銀は(少なくとも現行の黒田体制の間は)動きそうにない。
2022年下半期には欧州中央銀行(ECB)やスイス国立銀行(SNB)など各国の中央銀行がマイナス金利解除に動くことが予想され、その段階では高い確率で「円だけマイナス金利」の状況がやって来る【図表4】。
【図表4】主要国の政策金利の推移。
出所:Macrobond資料より筆者作成
そうなれば、「円だけマイナス金利」という客観的で分かりやすい構図が、円を売りたかった人々の背中を押す展開が容易に想像される。
日本の貿易赤字が収まる気配はなく、政府がインバウンド(外国人観光客)受け入れ全面解禁にも原発再稼働にも消極的なのだとすれば、円売り超過の需給環境も変わる理由がない。
そうした状況を前提とすれば、FRBの正常化プロセスが挫折することくらいしか、円安相場が解消されるきっかけは見当たらない。しかし、この記録的なインフレ局面で、近い将来にFRBが利上げサイクルを終了する展開はほとんど想定できない。
円安は135円を通過点として、140円付近を視野に入れる展開を予想したい。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文・唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。