今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
米株式市場では5月11日、アップルが時価総額首位の座をサウジアラビアの国営石油会社サウジアラムコに明け渡しました。
入山先生は、これらの状況はコロナのフェーズが終わり「デカップリング(分断)」のフェーズに入ったことを意味していると言います。一体どういうことなのでしょうか。今後の成長市場についても一緒に考えていきましょう。
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ネットフリックスの会員数が激減
こんにちは、入山章栄です。
ネットフリックスやアマゾンなど、新型コロナウイルスの流行を追い風として売り上げを伸ばした企業の業績が下がってきているようですね。
BIJ編集部・常盤
4月下旬、GAFAなどテック企業大手各社が発表した第1四半期の決算内容は、明らかに潮目の変化を物語っていましたね。
なんといっても驚きだったのが、ネットフリックスやアマゾンなど、パンデミック特需の恩恵を受けた企業がここへきて失速したことです。ネットフリックスはずっと右肩上がりで有料会員数を伸ばしてきたのですが、たった3カ月の間に会員数が約20万人減少し、来期はさらに減るという見通しも出していて、それで株価がガクッと下がったということがありました。
これからコロナが明けて経済が再開していくわけですから、コロナ特需に沸いた企業は売上を上げていくのが難しくなるかもしれません。逆に伸びていく業界もありそうです。このあたりを入山先生はどうご覧になりますか?
まずネットフリックスの場合は、コロナが落ち着いてきたということもありますが、単純にライバルであるDisney+(ディズニープラス)が強いということがあると思います。僕はアメリカに10年住んでいましたが、アメリカでは日常にディズニーが溶け込んでいますから、コンテンツとして本当に強い。
ネットフリックスももちろん強いけれど、コンテンツの蓄積が十分にないため、いま巨額の投資をしている。
一方、ディズニーは昔から映画に投資をしてきて、膨大なコンテンツのストックを持っています。それに加え、『スターウォーズ』のような強力なコンテンツもあります。だから「Disney+を新たに契約するなら、今まで加入していたネットフリックスは解約しよう」となるのは、当然の流れではないでしょうか。
アメリカ人は豊かな生活をしているイメージがありますが、それは一部の層の話です。ご存じのように現実には貧富の差が拡大しており、しかも物価も上がっている。
そうすると、これまでネットフリックスを契約していた中流層の多くの世帯にとって、「Disney+とネットフリックスの両方とも契約する」という選択肢はないのでしょう。
コロナが収まれば、これらの会社の伸びがある程度落ち着いていくのはある意味当然です。短期的な変動に惑わされず、中長期的な変化を見ていくのが大事ではないかと思います。
石油会社サウジアラムコが時価総額でアップルを抜く
その一方で、僕がいま気になっているのが、テック企業と非テック企業の関係性です。
というのも、今まではアップルが時価総額世界1位だったのですが、サウジアラビアの超大手石油会社であるサウジアラムコがそれを抜いて1位に躍り出たからです。もともとサウジアラムコは非上場でしたが、2019年に上場していたんですね。
いまや「脱炭素」「脱石油」の時代だというのに、世界で一番時価総額が高い会社が石油の会社だという、何とも不思議な現象が起きています。
これはつまりコロナのフェーズが終わり、次のフェーズに入ったことを意味するのではないでしょうか。次のフェーズとは何かというと、「デカップリング(分断)」です。もともと世界には米中対立という不安定要素があったところへ、ウクライナ戦争が加わりました。
結果、民主主義・自由主義国家と権威主義国家の対立が深刻になっている。
ウクライナとロシアの戦争がどういう形で終結しても、急においそれとロシアでビジネスを再開する西側の企業はないでしょうから、この影響は当面残るでしょう。また中国の人権問題や、台湾進攻の可能性なども予断を許しません。企業はこれらの政治リスクをビジネスのリスクとして捉えざるを得なくなっています。
「ESG経営」という言葉があるでしょう。EがEnvironment(環境)、SがSocial(社会)、GがGovernance(企業統治)。僕が最近メディアで言っているのが、これにもう1つつけ加えて、「ESGP」にしたほうがいいんじゃないかということです。
つまりこれからの企業はPolitics(政治)を意識しなければいけない。今の民間企業は、これまで以上に国際政治に振り回される時代が来ていると思います。
例えば少し前までは、グローバル企業は圧倒的な強さを誇っていて、政府がその規制に躍起になっていました。しかしGDPR(一般データ保護規則)が出てきたあたりで潮目が変わった。
つまりグローバルテック企業が個人情報をどう取り扱うかなどについて厳しい規制を設け、彼らを自国政府の監視下に置こうという話になってきている。
最近僕は日本経済新聞の書評で取り上げるために、『フェイスブックの失墜』(シーラ・フランケル、セシリア・カン著)という本を読みました。これを読む限りでは、フェイスブック(現メタ)はかなりの失墜ぶりを見せています。
もともとフェイスブックは若きマーク・ザッカーバーグが「テクノロジーで世界を豊かにしよう」という思いをもって始めた会社でした。
しかしテクノロジーを使うのは人間なので、ヘイトスピーチなどさまざまな問題が勃発する。それらの問題に、フェイスブックは驚くほど対応できていないのです。
最初のうちこそ政府と対立する部分もあったけれど、最近ではかなり軟化して、ロビイストを使い、「可能な限り政府と仲良くやっていこう」という方針をとるようになった。
つまり民間企業は結局、政府にはかなわない。法治国家である以上、一番の力を持っているのは国家だということです。実際に、GDPRでいろいろな企業は仕事がやりづらくなっています。
したがってこれからの企業は、国際政治を常に戦略のうえで頭に入れておくことが欠かせない。とはいえ、それができている日本企業はまだ少ない、と私は理解しています。ようやく日本企業にも環境問題や人権などに配慮する会社が出てきましたが、まだ国政政治に敏感と言えるほどにはなっていない。
僕もいろいろな会社の役員会に出ていますが、「国際情勢を見ると今後の見通しはこうなりそうだ」というような議論をすることは、ほとんどありません。
僕もあるとき某社の役員さん複数名に、「ウクライナもこれからどうなるか分からないし、台湾有事があったらあなたの会社はどうするんですか」と聞いたことがありますが、誰もピンと来ていない様子でした。
そう考えると今の状況は、コロナが終わったという理由もあるけれど、僕はそれ以上に、グローバルでのデカップリングが大きな影響を与えつつあると思います。
テック企業受難の時代に
世界の分断が進むことで具体的にはどのような影響があるでしょうか。まず単純に、権威主義国家の市場で自由主義国家の企業がビジネスをやりにくくなるということですから、大袈裟に言えば、西側のテック企業は「世界の半分くらいマーケットを失う」ことになりかねません。
しかも今後、国際政治の緊張感が高まると、情報統制という言い方がふさわしいかどうか分かりませんが、「情報をもっとしっかり管理しよう」という動きも出てくるでしょう。アマゾンもネットフリックスもBtoCの会社ですから、膨大な個人情報を持っている。そこへ規制をかけるということもあるかもしれません。
このような見通しが、ネットフリックスやアマゾンの株価にうっすらと反映されているのではないかと思います。
BIJ編集部・常盤
なるほど。確かにその可能性はありそうです。では逆に、デカップリングで成長しそうな業界はどこでしょうか。
このように世界が割れているときに、情報は重要という前提のうえで一番必要なものは何かというと、「食料と、武器と、半導体、そしてエネルギー」です。つまり本当にわれわれの日常からなくなったら困るものでしょうね。
食べ物、エネルギー、それからあまりいい話じゃないけれど武器、そして半導体です。今はどんなものでも、半導体がないとどうしようもありませんから。
そして何より、半導体も、情報産業も、食料も、エネルギーがないと生まれません。このように「安全保障上、絶対に必要なもの」を、国が躍起になって確保する時代になっている。ハイテクは、それを使うための手段にすぎない。
もちろん再生可能エネルギーへのシフトは進めたいですが、その技術はまだまだで、当面は旧来型の石油エネルギーにある程度頼らないといけないのも間違いない。だから、この「石油会社の株価がテック企業の株価を抜く」という流れになってきたのかな、というのが僕の見立てです。
BIJ編集部・常盤
ということは、しばらくはコモディティとかエネルギーとか、原材料の需要が大きく高まりそうですね。
先日、イーロン・マスクが「テスラ自身がリチウムの採掘に乗り出すかもしれない」と発言して話題になっていましたが、リチウムイオンバッテリーがつくれなければEVは走らないわけで、いま世界中の自動車メーカーの間で奪い合いになっていることからも、レアメタルなどの資源の世界的な供給不足が深刻化しているのが見てとれますね。
そうですね。例えば今われわれもこうしてZoomで話しているわけですが、こんなことができるのも、ちゃんとしたネット環境と電力というエネルギーがあればこそなわけですよ。
BIJ編集部・常盤
そうですね。普段は意識していませんけれどね。
平和な時代は意識しないんですよ。だからZoomとかネットフリックスの株が上がるんです。でも不安定な時代には、生きていくために必要な食料とか、農産物とか、水とか、工業用品の製造に必要不可欠な素材のほうが注目されるというわけです。
BIJ編集部・常盤
そうすると、ウクライナの情勢は長期化するという観測が出ていますし、しばらくは「有事モード」が続くのでしょうか。
僕はそう思います。先日、ソフトバンクグループの決算が発表されましたが、当然悪かった。あの孫正義さんが「この1~2年は我慢の時代」と言ったくらいですから。
ですからポイントはコロナじゃないんですよね。日本ではまだコロナの影響が大きいけれど、世界ではコロナは終わりだしていて、コロナの次を見据えた話になっている。そうなるとデカップリングのほうが深刻だから、テック企業よりも石油会社の時価総額が上がるということですね。
BIJ編集部・常盤
いろいろと考えさせられました。各社の次の四半期の決算にも注目ですね。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。