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日本では今年、政府が家庭や企業に対して夏・冬に節電を要請するほど、電力需給がひっ迫する見込みです。この3月にも、首都圏では電力需給がひっ迫したことが、大きなニュースとなりました。
日本電機工業会の推計によると、日本の消費電力量の実に半分にあたる約55%(2015年のデータ)、世界でも消費電力量の40〜50%がモーターで消費されているといいます。
「だからモーターの効率がほんのちょっと変わっただけでも、それこそ発電所1個分の電力が節約できるくらい影響は大きいんです。そこには磁石が重要な役割を果たしています」
そう語るのは、物質・材料研究機構(NIMS)で「ネオジム磁石」の高性能化などの研究に携わる大久保忠勝博士です。
「最強の磁石」とも呼ばれるネオジム磁石は、その圧倒的な磁力の強さから、当然モーターにも活用されています。
6月のサイエンス思考では、そんなネオジム磁石に残された課題と、磁石をはじめとした素材研究の最前線でいままさに起きている大変動について、NIMSの大久保博士に話を聞きました。
最強の磁石の「弱点」
風力発電をはじめ、発電機とモーターは表裏一体だ。磁石の性能アップは、発電効率の向上とも大きく関わってくる。
撮影:三ツ村崇志
ネオジム磁石が発明されたのは、1982年。開発したのは、当時、住友特殊金属(現:日立金属)に所属していた佐川眞人博士です。この発見は、ノーベル賞候補として佐川博士の名前が毎年挙げられるほど、世界的に大きなインパクトを与えました。
「やっぱりネオジム磁石は、それ以前の磁石に比べるとすごく強いんです。携帯のバイブレーターもネオジム磁石を使っていますし、ハイブリッド車や電気自動車のモーターなどにも使われています。小型化してパワーを出すには、そういう強い磁石が必要なんです」(大久保博士)
ネオジム磁石の最大の価値は、やはりその磁力の強さだと、大久保博士は話します。
思い返せば1980年代以降、あらゆる電化製品の小型化が進みました。もちろんネオジム磁石の発明以外の要因もありますが、「ネオジム磁石がそこに大きな貢献をしたのは間違いないでしょう」と大久保博士は語ります。
ただ、そんな「最強の磁石」であるネオジム磁石にも、実は「弱点」があります。
というのも、どんな磁石であれ、温度が上がっていくと磁力そのものや磁力を保つ力(保磁力)が弱くなり、最終的にある温度以上になると磁石としての性質を失ってしまいます。
ネオジム磁石が磁力を失う温度は300℃程度であり、一般的に使われているほかの磁石(フェライト磁石:同約450℃、サマリウムコバルト磁石:同約850℃)に比べて非常に低いのです。
nimspr YouTubeチャンネルより
ハイブリッド自動車や電気自動車(EV)などに使われるモーターでは、100℃以上の温度で使用されることも想定しておかなければなりません。
この温度領域で、ネオジム磁石の磁石としての性質そのものが失われるわけではありませんが、それでも熱による影響を受けてしまいます。だからこそ、できる限りその影響を小さく抑えようと、高温でも性能が落ちにくい磁石の開発が進められているわけです。
「1割〜2割、磁石の効率をアップさせるというのは難しいかもしれないですが、高温で特性を上げる(磁力や保磁力が弱くなりにくくする)余地はまだまだあります。モーターとして利用するときには、どうしても高温になってしまいますし、これから先の社会では、モーターが使われるケースはすごい勢いで増えていくはずです。高温に強い、強力な磁石を作ることで大きなインパクトを出すことができるはずです」(大久保博士)
「いかに熱に強いネオジム磁石を作るか」
「熱間押出法」という手法で作成したネオジム磁石。実際に磁石として機能させるには、外部から大きな磁場を与える必要がある。この写真は磁場を与える前なので、比較的近い距離にあってもくっついていない。
提供:大久保忠勝博士
いかにして熱に強いネオジム磁石を作るか。
これまでの研究によって「Dy(ジスプロシウム)」などの元素をネオジム磁石に混ぜることで、熱に対する耐性を持たせることにはある程度成功しています。ただ、それでも十分とは言えません。また、Dyはレアアースであり、資源の多くを中国が握っています。
いくら少量とはいえ、資源が不足している日本にとっては大きな課題です。高温環境にも強く、さらに資源としても安定供給が可能な材料を探すべく、研究者たちはさまざまな方法で探求を続けています。
大久保博士は、現NIMS理事長の宝野和博博士らとともに、2012年度〜2021年度までの間、元素戦略磁性材料研究拠点(ESICMM)という文部科学省の拠点型プロジェクトにおいて、ネオジム磁石の性能を高める研究を進めてきました。
とはいえ、「ネオジム磁石」をベースに改良を加える以上、その基本的な性質はもとのネオジム磁石から大きく変わるものではありません。
「ただ、磁石の微細構造(粒子の大きさ)によって磁力を保つ力が変わってきます。研究の中で、その微細構造の性質が分かってきました」(大久保博士)
大久保博士は、その性質を踏まえて、磁力を保つ力がより強くなる微細構造ができる磁石の製造プロセスを開発し、ある程度成果が上がってきたと話します。
「今作っているのは、『熱間加工磁石』というタイプです。粒子が小さい磁石に、後処理として低温で溶ける合金をまぶして熱処理をして、中に染み込ませるんです。こうすると、粒と粒の間にうまい具合に染み込んで、保磁力が上がるんです」(大久保博士)
ただ、大久保博士は、まだ改良の余地はあると指摘しています。そこで重要になってくるのが、これまでの「データ」をもとにAIを活用して材料を探求する手法です。
データを使って「欲しい性質を持つ磁石」を見つけ出す
物質・材料研究機構(NIMS)でネオジム磁石の高性能化などの研究に携わる大久保忠勝博士。
撮影:三ツ村崇志
材料研究の分野では、既存の材料をベースに、理論や研究者の経験から新しい有力な材料を予測し、その性質を確かめる、というサイクルによって新しい物質の探求が進められてきました。
ただ、元素の組み合わせは膨大です。いくら理論や経験をもとにしても、必ず「当たり」を引けるわけではありません。
そこで最近注目されているのが、これまで蓄積された材料科学における素材のデータをもとに、新しい物質の性質を予測する手法です。
例えば、磁石であれば、磁力や磁力を保つ力(保磁力)がまず重要なデータとなります。
ほかにも、製造プロセスでの温度や、高温で保つ時間といったパラメータや、加工するときの圧力や押し出す速度などのデータもあります。当然、製造プロセスに応じて、完成した磁石の粒子の大きさも違います。組成によって元素の配置のされ方も異なるはずです。
このように、材料研究ではさまざまな「データ」が蓄積されています。
「こういったデータを収集し、それを機械学習に放り込むことで、それぞれの値に影響の大きなパラメータが何なのか、要因解析をやっています。組成と作り方などのデータから、その磁石の性質をある程度高い精度で予測できるようになるわけです」(大久保博士)
こういった予測を元に材料の探索を進めていけば、研究の速度が大幅に上がるのではないかと期待されているのです。
ただ、この方法では、あくまでも学習したデータをもとにした予測しかできません。材料の性質がパラメータを変えても一定(連続的)であることが前提です。これでは途中で材料の性質が大きく変わり、特定のパラメータから受ける影響の大きさが不連続的に変化してしまうような材料の性質を予測することはできません。
「だから私たちは、原子を見る手法やシミュレーションなど、いろいろな解析手法を使って、そういった『材料の変化』を理解しながら、機械学習を進めていこうとしています。そして最終的には、組成やパラメータから特性を予測するのではなく、『こういう特性を持った磁石や磁性材料が欲しい』と思ったときに、どんな材料やプロセスが必要なのかを提案してくれるようなAIを作ることが目標です」(大久保博士)
最近では、ネオジム磁石のように非常に強い磁石の需要と共に、さまざまなバリエーションの「磁性材料」の需要が高まっているといいます。「強ければ強いほどよい」のではなく、用途に応じて必要なスペックが違うわけです。
小さくて磁力が強く、さらに高温にも強い磁石が欲しいというのはその一つに過ぎません。
「磁石だけではなく、磁性材料全体でもっと幅広くデータを集めて、その中で要求される素材を作っていきたいと思っています」(大久保博士)
現代の材料科学は、データを用いて「材料をデザインする時代」になりつつあるとも言えるのです。
迫る中国。日本は材料科学研究のトップを維持できるのか?
出典:NIMS
2022年5月には、データを用いた磁石・磁性材料に関する基礎的な研究を加速させることを目的に、NIMSはTDKや日立金属などの磁石メーカー4社とマテリアルズオープンプラットフォーム(MOP)を設立しました。
競合同士が手を組むことで、研究開発力の土台を固めようという試みです。
「まずは3年間。基盤的な研究を一緒に進めようと思っています。それに加えて、各社とNIMSが1対1で従来の共同研究のような形でも研究開発を進めていきます」(大久保博士)
この背景にあるのは、日本の研究力の衰退に対する危機感と、中国の研究力の急伸です。
産業的に見ると、世界のネオジム磁石の生産量は年間約15万トン。その9割近くが、中国によるものだとされています。日本の生産量はそれに次ぐ第2位にあたります。ただ、磁石に関する「研究力」という点で見ると、日本はこれまで世界をリードし続けてきました。
ネオジム磁石を開発したのは他ならぬ佐川眞人博士ですし、それ以前に、世界で初めて「永久磁石」であるKS鋼を見出したのも、物理学者の本多光太郎(東北大学)でした。
「磁石は明治時代から、日本人が発見して育ててきた分野です。現時点でも間違いなく研究力はトップだと思います。ただ、中国がすごい勢いで追いついてきています。このまま何もしなければ、あっという間に追い抜かれてしまうと思います」(大久保博士)
実際、ここ10年間で発表された磁石分野の論文の国際的な貢献度を分析すると、NIMSは世界トップを独走している状況です。ただ、論文数で見ると中国が圧倒しています。
大久保博士も、
「10年前は研究の質もそれほど高くはなかったと思うのですが、ここ最近は質の高い論文もたくさん出てきています。ポスドクとして(中国から)NIMSに学びに来て、帰国していくような研究者もいます。人材、研究設備への投資も進んでいます。今、日本でこの分野の研究に力を入れなければ、10年先はどうなるか分かりません」
と危機感をあらわにします。
あらゆるものが電化される時代。その鍵となるモーター。それを支える、磁石をはじめとしたさまざまな磁性材料。
あらゆる産業を支える根幹の技術とも言える材料研究のトップの座を守り続けることは、果たしてできるのでしょうか。磁石の進化の行方と共に、科学技術立国としての日本の底力が試されています。
(文・三ツ村崇志)