テイラー・スウィフトは、ニューヨークのヤンキースタジアムで行われたニューヨーク大学の卒業式で祝辞を述べた。
REUTERS/Shannon Stapleton
アメリカの大学の卒業式は、通常5月から6月にかけて開催される。この時期になると、街中をガウンを着て歩く卒業生たちの姿が見られ、ガウンの色などから「あ、今日はNYU(ニューヨーク大学)の卒業式があったのか」「今日はコロンビアか」と分かる。道ですれ違う人々も卒業生に「おめでとう」と声をかけたりする。
私自身、ハーバードの卒業式の朝のことはよく覚えている。学校から借りたガウンと角帽でアパートからキャンパスに歩いていくと、近所のクリーニング屋、酒屋、書店、コーヒーショップなどの人たちが、卒業生たちに声をかけるために外に出て待ち構えていた。夜食事に行ったレストランでも、ウエイターから隣のテーブルの人たちに至るまで、あらゆる人々にいちいちおめでとうと言われた。そのくらい、大学がある街にとっては大事なイベントだ。
2020年、2021年はコロナによって卒業式が開けず、開けたとしてもオンラインだった。今年は3年ぶりのリアルな開催ということで、3年分まとめてやった大学もある。それでも出入国規制のせいやロシア・ウクライナの戦争のせいで、家族が卒業式に参加できなかった学生たちもいただろう。
アメリカの大学の卒業式の目玉は、政治家、経営者、文化人、芸能人、スポーツ選手など、さまざまなジャンルの大物が「コメンスメント・スピーカー」として述べる祝辞だ。大学側が選ぶこともあれば、学生たちの希望が反映される場合もある。
スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での祝辞がそうであったように、のちのちまで語り継がれたり、出版されるような素晴らしいスピーチも少なくないので、3月ごろになると、「今年は、どこどこの大学で誰が祝辞を述べるらしい」といったことがニュースになったりする。
今年も米大統領のバイデン、副大統領のカマラ・ハリスをはじめ、大統領首席医療顧問のアンソニー・ファウチ、司法長官のメリック・ガーランド、元ジョージア州下院議員で投票権保護活動組織「Fair Fight」の創設者ステイシー・エイブラムス、アップルCEOのティム・クック、テニス選手のビリー・ジーン・キング、オリンピック・メダリストのアリソン・フェリックス、俳優のアダム・サンドラー、映画プロデューサーのタイラー・ペリーなど、幅広い分野で活躍する人々が祝辞を述べた。
その中でも、今年、特に印象的だったものを少し紹介してみたい。
「失敗から多くのことを学んだ」テイラー・スウィフト
テイラー・スウィフトの登場は、2時間50分ごろから。
Official NYU site
テイラー・スウィフトは5月18日、ヤンキースタジアムで行われたニューヨーク大学の卒業式で、名誉芸術博士号を授与された。彼女が自身の活動を通じ、音楽業界にあった壁を打ち破ろうと挑戦してきたこと、またこれまでの数々の慈善活動を評価するものだ。
今年のスピーチの中で、最も広く報道されていたのがスウィフトのものだった。テーマを短くまとめるなら、「あなたがたはこれからの人生で必ずミスを犯す。それを避けることはできない。でも、恐れることはない。私自身、失敗から多くのものを得てきた」ということだった。
彼女を追ったドキュメンタリー映画「ミス・アメリカーナ」(2020年)では、10代から芸能活動を始め、優等生のロールモデル役を押し付けられてきたために味わった重圧や傷ついた経験、屈辱、挫折、孤独について率直に語っている。そこで語られた自身の経験から得られたメッセージが、卒業式のスピーチには込められていた。
「私が犯したミスたちは、人生の中でもっとも素晴らしいものたちに導いてくれた。それが私自身の経験です。誰でも失敗したときには恥ずかしいと感じるけれど、それは人生の一部です。転んだ後、立ち上がり、埃を払った時、誰がまだあなたの傍にいて一緒に笑ってくれるか。それこそが宝物です」
My experience has been that my mistakes led to the best things in my life. And being embarrassed when you mess up is part of the human experience. Getting back up, dusting yourself off and seeing who still wants to hang out with you afterward and laugh about it? That’s a gift.
「私は、完璧主義というレンズを通して生きることの重圧を知っています」
I know the pressure of living your life through the lens of perfectionism.
「過ちのせいで、何かを失うこともある。でも私が言いたいのは、何かを失うことは、ただ失うということでは必ずしもないということです。多くの場合、私たちは何かを失うときに、別の何かを手に入れるものだから」
These mistakes will cause you to lose things. I’m trying to tell you that losing things doesn’t just mean losing. A lot of the time, when we lose things, we gain things too.
「これから先、さまざまな難しいことが起きるでしょう。でも、私たちは立ち直り、そこから学ぶでしょう。難しいことを経験することで、より打たれ強くなるのです」
Hard things will happen to us. We will recover. We will learn from it. We will grow more resilient because of it.
失敗を恐れるなというメッセージとともに、彼女らしいと思ったのが「情熱を隠すな。何かを欲しいと思うこと、そのために努力することを恥じるな」と語った部分だった。
「私は、『情熱を隠すべきでない』と強く推奨する人間です。『無関心でアンビバレント(どっちつかず)』であることをよしとする私たちの文化には、必死になることへの間違った偏見があるように思えます。これは、何かを『欲しい』と望むことは即ちカッコ悪いことである、という考えにつながるものです。欲など持たず、努力などしない人のほうが、がむしゃらな人よりも根本的にエレガントでカッコいいのだと。
挑戦することを恥じてはいけません。努力せずにうまくいくなどというのは神話です。何も欲を持たずクールにふるまっている人たちは、私が高校時代にカッコいいと思い、デートしたり友達になりたいと思っていた人たちです。私が今自分の会社に雇うのは、誰よりも強く欲しいものを求め、そのために必死に努力する人たちです」
I’d like to say that I’m a big advocate for not hiding your enthusiasm for things. It seems to me that there is a false stigma around eagerness in our culture of ‘unbothered ambivalence.’ This outlook perpetuates the idea that it’s not cool to ‘want it.’ That people who don’t try hard are fundamentally more chic than people who do.
Never be ashamed of trying. Effortlessness is a myth. The people who wanted it the least were the ones I wanted to date and be friends with in high school. The people who want it most are the people I now hire to work for my company.
この約20分にわたる、エンターテイニングかつ賢いアドバイスに満ちたスピーチを、テイラー・スウィフトは一度もつかえず、しかも楽しそうにこなした。彼女くらい聡明でステージ慣れした人であれば容易いことなのかもしれないが、スピーチが職業の一部である政治家や経営者や大学教授ではない人でも、ここまでできるということに今更ながら感心させられた。
スピーチ全文:Taylor Swift’s NYU Commencement Speech: Read the Full Transcript(billboard)
ハーバードで民主主義の危機を訴えたアーダーン首相
ハーバード大学の卒業式でスピーチしたニュージーランドのアーダーン首相。民主主義の危機を訴えた。
REUTERS/Brian Snyder
5月26日、ハーバード大学の卒業式で祝辞を述べたのは、ニュージーランド首相のジャシンダ・アーダーンだった。ハーバードの卒業式、特にハイライトである「Morning Exercise(朝の式典)」と呼ばれる、全学部合同(学部も大学院も)の式典には、大物スピーカーが呼ばれることが多い。2019年は当時ドイツ首相のメルケルだった。過去には、マデレーン・オルブライト、コフィ・アナン、アマティア・セン、ビル・ゲイツ、スティーブン・スピルバーグなどが登場した。
アーダーンは2017年にニュージーランド史上最年少の37歳で首相になり、そのことで大きなニュースになったが、この2年間のパンデミックの間に、世界における存在感はぐっと増した。新型コロナ危機との戦いの中、いくつかの国の女性リーダーたちの対応の的確さがしばしば話題になり、アーダーンはその筆頭として挙げられた。そんな彼女をハーバードが今年のスピーカーに選んだのは、タイムリーで納得の人選に思えた。
アーダーンはガウンの上に、ニュージーランド先住民の伝統的なマントを羽織って現れ、マオリ族の言語でオープニングを述べた。常日頃からユーモアがあり、地に足の着いた親しみやすいキャラクターで人気だが、このスピーチにも気取らず謙虚な人柄がよく表れていた。
Harvard University
冒頭でまず、パキスタンの元首相である故ベナジル・ブットについて触れた。ハーバード大学の卒業生でもあるブットは、1989年の卒業式で祝辞を述べている。アーダーンは2007年、ブットが暗殺される数カ月前に彼女と会っている。2人には、共通点があるのだと言う。
「ブット首相は在任中に出産した世界で初めての女性首相でした。そして、ちょうど30年後に同じことをした2人目の女性首相が私です。さらに不思議なことに、私の娘の誕生日は6月21日、ブット首相の誕生日と同じ日なのです」
1989年のブットの祝辞のタイトルは、「Democratic Nations Must Unite (民主主義国家は団結しなくてはならない)」だった。アーダーンはこのタイトルが、2022年の今もいかに重要かということから始め、民主主義の脆弱さについて語った。
民主主義は長く続けば安泰というものではない。逆に、長く続くと「そこにあるのが当たり前」と思い込むようになってしまう。民主主義の根本にあるのは信頼であり、それが失われれば簡単に崩壊する。民主主義が議論と対話の上に初めて成り立つシステムであるということも忘れられがちであり、現在の社会の分断は、民主主義の根本を脅かしうるリスクであると。
アーダーンはスピーチのかなりの部分を使って、ソーシャルメディアの功罪について述べた。ニュージーランドでは、2019年に2つのモスクで銃乱射事件が起き、51人が亡くなった。犯行の様子はソーシャルメディアで実況中継された。その後の調査で、実行犯はインターネットの影響で過激化したことが明らかになり、政府は重く受け止めた。その後、行政、民間組織、テクノロジー企業が一丸となってネット上の過激なコンテンツに対処するイニシアチブに着手している。
彼女は「ソーシャルメディアの是非については言及しない」としつつも、テクノロジー企業により重い責任を負わせることの必要性や、「エコーチェンバー現象」がいかに社会を断絶させ、不信や陰謀論、偏見、ヘイトを増幅させているかという話に時間を割いた。
「我々は民主主義を守るため、信念に基づいた情熱と炎をもって、力を呼び覚まさなくてはなりません。でもそれは、辛辣な言葉や憎悪、暴力に訴えることなしになされなくてはいけません。
異なる視点、経験、議論によって互いの違いを認め合い、理解と妥協が生まれるようなスペースがあれば、断絶は生まれません。信念に一切の揺るぎがなく、対話が決裂するような場では、断絶が深まり、誰も溝の向こう側に渡ろうなどと思わなくなるでしょう」
If we don’t find once again our ability to argue our corners, yes with the passion and fire that conviction brings, but without the vitriol, hate and violence. If we don’t find a way to ensure difference, that space where perspectives, experiences and debate give rise to understanding and compromise, doesn’t instead become division – the place of entrenchment, where dialogue departs, solutions shatter, and a crevice between us becomes so deep that no one dares cross to the other side.
「デマの時代に生きる私たちは、情報を分析し、批判することを学ぶ必要があります。『不信』を教えなさいということではありません。
私の歴史の先生だったファウンテン先生が言うところの、『単一の情報には限界があるということ、出来事や決定には常にさまざまな視点があるということを理解すること』です。我々の歴史がその重要さを示していますが、我々の生きる今日についても同じ事が言えます」
In a disinformation age, we need to learn to analyse and critique information. That doesn’t mean teaching ‘mistrust’, but rather as my old history teacher, Mr Fountain extolled: “to understand the limitations of a single piece of information, and that there is always a range of perspectives on events and decisions.” Our history shows us the importance of this. But so too does our present.
脆弱で、壊れかかっている民主主義を壊さないためにはどうすればよいか。お互いに対する信頼とリスペクトをどうしたら再構築できるのか。
アーダーンは、Kindness(親切さ、やさしさ)という言葉をキーワードにスピーチを締めくくっていた。彼女の言うKindness には、「自分に同意しない人の意見に耳を傾け」「お互いの違いを、相手へのエンパシーをもって受け止める」という意味が含まれている。
これは大人が子どもに教えようとすることだが、実は大人にとっても難しいことで、リーダーたちでもできていないと指摘した。「違い=分断」である必要はなく、違いは本来我々を豊かにしてくれるはずのものなのに、Kindness が足りないことで、分断になってしまっているのだと。
「違いは私たちを豊かにしてくれる。分断は私たちを貧しくする」
We are the richer for our difference, and poorer for our division.
政治の現場での「多様性」という意味では、ニュージーランドはアメリカよりもよほど先を行っている。スピーチの中で引用されたが、ニュージーランドの国会議員の半数は女性、20%は先住民が占めるという。副首相は同性愛者の男性だ。過去10年間でニュージーランドは同性婚を認め、中絶を合法化し、先に述べた2019年の乱射事件を機に銃規制法も導入した。
かたやアメリカは、5月に2件の大きな乱射事件が立て続けに起きたにもかかわらず、銃規制についての合意に苦労し、最高裁では近いうちに中絶が違憲判断されるかもという状況だ。アーダーンが銃規制と中絶の話をすると、会場の大多数が立ち上がって拍手と歓声を送っていた。
The Harvard Gazette:Ardern’s forceful reminder: Democracies can die
「まずは真実を知ること」初のアジア系女性ボストン市長
ハーバード大学の卒業生でもあるミシェル・ウー、ボストン市長。自らの経験から、問題を解決するには、その「真実」を知ることと訴えた。
REUTERS/Brian Snyder
アーダーンがスピーチの中で強調した「デマの時代(Misinformation )」の脅威、真実(Truth)を知ることの大切さ、民主主義がいかに今危機的状態にあるか……というトピックを盛り込んだスピーチは他にもあった。
ハーバード大学の「Class Day」(卒業式の前日に行われるイベント)でスピーチしたボストン市長ミシェル・ウーは、ハーバードのスローガンである「Veritas」(ラテン語で「真実」)をテーマにスピーチをし、学生たちにデマと不信の波の中で、本当に何が真実かを見極めることの重要さを訴えた。
ミシェル・ウーの登場は、1時間11分ごろから。
Harvard University
「真実を言うのが難しく、不快で、ややこしい時でも、真実を言いなさい。……真実を述べることだけが、信頼への基盤を築く道だからです。そしてこれが、今日の私たちの民主主義、私たちの社会に欠けているものなのです」
Tell the truth when it’s hard, and uncomfortable, and complex … because fundamentally, speaking truth is the only way to build a foundation for trust. And that is what we are missing in our society in our democracy today.
またウーは、生きた体験に勝るものはなく、何であれ問題を解決したいと思うなら、実際にその問題を体験し、現場の真実をリアルに理解することから始めなくてはならないと述べた。これは彼女自身の体験に基づいた言葉だ。
2021年にボストン市長に当選したウーは、台湾系の移民二世だ。ボストン市約400年の歴史で、白人男性以外が初めて市長に選ばれたということで大ニュースになった。2012年にハーバード法科大学院を卒業、大学院時代の恩師エリザベス・ウォーレンの2012年上院再選のためのキャンペーンチームで選挙戦を支えた。
2013年、28歳で市議会議員に初当選(アジア系アメリカ人として初)、2016年から市議会議長(マイノリティ女性として初)と、ボストンの歴史を次々に塗り替えた人物だ。
彼女は2007年にハーバード大学の経済学部を卒業しているが、当時は政治家になろうなどとはこれっぽっちも思っておらず、むしろ政治には無関心だったという。それを変えたのは、母親が精神的な病にかかり、20代で家族の大黒柱にならざるを得なかった経験だった。
そのときはじめて彼女は、自分や自分の家族のような声なき人々を助けてくれるシステムがないことに気が付いたのだという。「何であれ、問題を解決したいと思うなら、その問題を実際に体験してみること、その問題に最も影響を受けている人たちの目線に立ち、その人たちの『真実』を知ることから」という彼女の言葉は、その体験からきている。
なぜリベラル派が圧倒的に多いのか
ハーバード大学の卒業式には過去クリントン元米大統領やメルケル元独首相も登場した。
REUTERS/Brian Snyder/
同じくハーバードで、2020年と2021年の卒業生向けに(コロナで卒業式が中止になった2年分の卒業式が開かれた)祝辞を述べた司法長官のメリック・ガーランドも、テネシー州立大学でのカマラ・ハリス副大統領も、Truth という言葉を使い、民主主義が晒されている危機について語った。
メリック・ガーランド
「最後に言っておきたい。民主主義を保つためには、我々自身が、真実を述べようという意思をもつことが必要なのだということを」
Finally, the preservation of democracy requires our willingness to tell the truth.
カマラ・ハリス
テネシー州立大学で祝辞を述べるカマラ・ハリス副大統領。
NewsChannel 5
「アメリカにおいて、私たちは今また、もうとっくの昔に解決できていたと思っていた基本的な理念を守ることを強いられています。たとえば投票の自由、女性が自分自身の体について決定権を持つこと、そして、何をもって真実とするかということまで」
Here in the United States, we are once again forced to defend fundamental principles that we hoped were long settled — principles like the freedom to vote, the rights of women to make decisions about their own body, even what constitutes the truth.
ここまで出てきたスピーカーが全員リベラルだということに気が付いた方もいるかもしれない。これはしばしば保守派に批判されているが、近年、特にエリート校において、卒業式でスピーカーを務めるのは圧倒的にリベラル派が多くなっている。
フォックス・ニュースのコメンテーターで、レーガン政権で教育長官を務めたウィリアム・ベネットは、2022年、トップ100大学の卒業式でコメンスメント・スピーカーを務めたうち、保守はたったの3人、リベラルは53人であるという Young America’s Foundation の調査を引用して批判していた。
FOX NEWS:Harvard graduate walks out of Merrick Garland's commencement address
これは卒業式だけの問題ではなく、アメリカの大学、特にエリート校において全体的にリベラル支配が強くなっているという背景がある。
「恵まれた立場を社会のために」繰り返されるメッセージ
日本では2019年、東大の入学式での上野千鶴子さんのスピーチが話題になった。
shutterstock/eakkarat rangram, 柳原久子/MASHING UP カンファレンス Vol.3より(画像クリックで該当記事にジャンプします)
2019年、東京大学入学式での上野千鶴子さんの祝辞が物議をかもしたことがあった。
「あなたたちは頑張れば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で(医学部の)不正入試に触れたとおり、頑張ってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そして頑張ったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日『頑張ったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価して褒めてくれたからこそです」
「あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください」
スピーチ全文:平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
この祝辞には共感や賛同の声が多く上がった一方で、「入学式という席でのスピーチにふさわしくない」と批判する声もあった。上野さんの祝辞の内容は、アメリカの卒業式のスピーチでは定番で、私自身の卒業式の時もさまざまなゲストが異口同音に似たようなことを言っていた。
一言でいうと、「あなた方は恵まれているのだから、そのことを自覚し、ほかの人を引き上げるためにその力を使いなさい」ということだ。
今年、ヒラリー・クリントンがコロンビア大学の卒業式で名誉博士号を授与された。彼女にはスピーチの予定はなかったのだが、学生たちの熱い要望で、とっさに壇上に引き上げられ、非常に短い(1分足らずの)言葉を述べた。その中で彼女はこう言った。
Columbia University
「あなた方にお願いしたい、いえ、懇願したいことがあります。この類まれなる素晴らしい場所で、世界屈指の教育を受けたあなたたちには、それを自分の夢をかなえるためだけに使わないでほしい。
あなたたちの夢が重要なのはもちろん分かっています。でも、個人としてだけでなく、市民としての意識を持ってほしい。あなたたちと同じような教育を受ける権利はすべての人にあるのだと信じる市民……、正義、平等、自由、そして民主主義を守り、保つために、やるべき仕事があるのだと信じる市民として、あなたたちの力を使ってもらいたい」
Let me ask you, really beseech you---to take this extraordinary, world-class education and not only put it to work in the service of your own dreams, as important as those are, but also as a citizen, who believe that everyone is entitled to the same kind of education, that there is work to be done to ensure justice, equality, freedom, and yes, to preserve and protect democracy.
ハーバードの総長ローレンス・バコウのスピーチにもこんなくだりがあった。ハーバードでは、今年コロナによるサプライチェーンの混乱で、式典に並べる椅子が足りなくなるかもというピンチがあった。最終的に間に合ったのだが、このエピソードに結び付けて、バコウはこう言った。
「2022年の卒業生の君たちに一つチャレンジを投げかけたい。ほかの人たちのために席を空けてあげなさい。ほかの人たちにスペースを与えてあげなさい。
あなたがたは、ここで受けた教育によってさまざまな機会を得るだろう。でも、それがあなたの人生だけを豊かにしないように。あなたがたは、世の中の多くの人々に比べ、世界を変えることができるより多くの機会、ほかの人たちの人生を良くするより多くの機会に恵まれるだろう。そういうチャンスに恵まれたら、それを生かしなさい」
Today I want to challenge you, members of the Class of 2022, to save a seat for others, to make room for others, to ensure that the opportunities afforded by your education do not enrich your life alone.
You will have more chances than most to make a difference in the world, more opportunities to give others a chance at a better life. Take advantage of these opportunities when they arise.
これらはまさに、「ノブレス・オブリージュ(Noblesse oblige)」、つまり財産・権力・地位を持つ者は、それ相応の社会的責任や義務を負うという道徳観に基づいた考え方だ。アメリカの特にエリート校では、ことあるごとにこの考え方を刷り込まれる。
私が行ったケネディスクール(ハーバード大学公共政策大学院)でもそうだった。あなたたちは恵まれている。世界を変え、不正義を正すためにあなたたちの受けた教育を生かせ。恵まれた者にはその義務がある。大学院の2年間、いや合格者のオリエンテーションの日から卒業式まで毎日言われ続けていたような気がする。
日本の大学時代を振り返ってみると、あまりこのようなことを言われた記憶がない。大学に行くこと自体が特権なのだという自覚も、自分たちがとても恵まれているという意識も、今思えば薄かった。日本でも、入学式であれ卒業式であれ、もっと上野さんの祝辞のように、「ノブレス・オブリージュ」の自覚を強く促すようなスピーチが増えてもいいと思う。
(文・渡邊裕子、編集・浜田敬子)