今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
日本のスタートアップが世界で存在感を示すにはどうすればいいのでしょうか。「I-Rフレームワーク」という考え方を用いて解説していきます。
デジタルで起業するなら、最初から世界を視野に入れるべき
こんにちは、入山章栄です。
今年の4月に南場智子さんと僕が対談した記事「南場智子氏が語る、『日本のスタートアップの現状」…スタートアップスタジオ協会設立会見』がBusiness Insider Japanに掲載されました。みなさんはお読みになったでしょうか。
今回はこのときの南場さんの指摘について考えてみたいと思います。
BIJ編集部・常盤
入山先生と南場さんの対談記事を拝読しましたよ。意外にも、初顔合わせだったそうですね。
そうなんです。でも南場さんは気さくな方なので、まるで井戸端会議のように、気楽に話をすることができました。
BIJ編集部・常盤
このとき南場さんから、日本のスタートアップの課題として、2点指摘がありました。1点目はDay1(創業当初)からグローバルを目指していないこと。2点目は、創業メンバーが日本人で固められていること。
海外では創業者たちが多国籍であることが多く、いろいろなマーケットの現状や課題を知っているので、おのずと「自分たちの商品がどうすればその課題を解決できるか」という発想になるのに、日本人は日本の市場しか見ていないということでした。
入山先生はこの指摘をどうお考えになりますか?
南場さんの問題意識はめちゃめちゃよく分かります。強く賛成します。
まず、日本のスタートアップの多くは創業当初からグローバルを目指していないという点は、本当に課題だと思います。別に日本国内で勝負するのが良くないとは言いませんが、日本にいる限り、市場の大きさに限界があるからです。
というのも、特にデジタルの分野で起業するならば、日本のマーケットは小さすぎる。日本の人口は1億人強ですが、これは市場として大きいようで、実は小さい。少なくとも、中途半端な大きさなのです。
1億人の中身をみれば65歳以上の高齢者が28.7%(2020年)で、高齢者はあまりデジタルを使いません。企業のデジタル化もかなり遅れている。
それでも若者だけでも数千万人いるから「とりあえず日本国内でいいか」と思ってしまいますが、デジタルサービスの多くは1人当たりの利幅が薄いことも多いので、伸びしろはたかが知れている。
だから日本のスタートップはマザーズ(現グロース)に上場を果たしたあたりで頭打ちになってしまうことも多いのです。デジタルサービスは世界中の人が使うのですから、本来なら世界で勝負したほうがいい。
世界は80億人いますからね。80億全体は難しくとも、最初から海外を想定して10億~20億人くらいの市場を前提にすべきなのです。
世界で勝てる可能性があるベンチャーとは
ところで、僕はいまソラコムという企業の社外取締役を務めています。ソラコムは僕のアメリカ留学時代の友人である玉川憲くんが「IoTのプラットフォーム」をつくることを目指して創業した会社です。
玉川くんは日本にAWSを普及させた人ですが、僕と知り合ったときはまだIBMの社員で、アメリカのカーネギーメロン大学に派遣されてきていました。アメリカで知り合った僕たちは、家族ぐるみの交流をしていたんです。
彼は日本に帰ってからAWSに移り、日本初のAWSのエバンジェリストとして活躍したあと、ある日、「新しい事業アイデアを思いついた」といって起業したのがソラコムです。そんな彼から「取締役になってくれないか」と言われて、1年ほど前に引き受けました。
引き受けた理由はもちろん彼と友人ということもありますが、それ以上に大きかった理由は、ソラコムがDay1からグローバルを目指していたからです。
つまり、彼は本気で世界を目指している。そして僕はソラコムにはその可能性があると思ったのです。
いまソラコムは日本では、IoTプラットフォーマーとしてはリーダーの位置にいます。だからもう僕も、早くもっと海外で展開しようという話をしています。
実際、創業メンバー3人のうち、ナンバー2、3の方はそれぞれアメリカとヨーロッパのトップを務め、海外展開を進めています。個人的にはすごく期待しています。
メルカリがアメリカで苦戦するのはCtoCの宿命
かつてソニーやホンダといった日本のメーカーは世界を制したわけですが、今の時代に日本のスタートアップで世界で勝負して結果を出し始めている筆頭はメルカリでしょう。
実際、メルカリは素晴らしい会社ですし、日本の多くのスタートアップはメルカリを目標にしています。
ただメルカリもすごく頑張っているし個人的には応援しているけれど、ご存じのようにアメリカではまだ若干苦戦しているとも言われています。
僕はその真偽はよく知りませんが、あえて知らない中でメルカリが世界で戦ううえでの課題を想像すると、メルカリのビジネスの仕組みそのものにあるように思います。
メルカリはオンライン上のフリーマーケットですから、いわゆる「CtoC」ビジネスです。我々のような最終消費者と最終消費者をつなぐビジネスですね。
そしてこのような、最終消費者に根づいたビジネスというのは、その国のカルチャーに大きく影響を受けるのです。
なぜなら最終消費者向けのビジネスというのは、その国々の最終消費者の嗜好や価値観、生活スタイルなど、細かい文化的な差異にとても影響を受けるからです。
もし、メルカリがアメリカでやや苦戦してきたのであれば、おそらくはこれが理由の1つではないかと思います。BtoCやCtoCの会社が他国でサービスを展開するときは、そこで苦労することは避けられないのです。
経営学には、「I-Rフレームワーク(Integration-Responsiveness framework)」という考え方があり、これで整理すると分かりやすいかもしれません。大まかにいうと、企業の海外戦略には2方向あります。
入山先生の話をもとに編集部作成。
まず縦軸の「インテグレーション(I)」。これは、その企業が全世界中で同じサービスや製品を同じやり方で提供していくやり方。
つまり全世界で統合的に同じビジネスをやる、ということです。これは、世界レベルで同じことをやり、規模の効果も発揮できるので、全体ではめちゃめちゃ効率が良くなります。
ただその代わり、世界で同じことをやるのだから、各国の違いには対応できない。それでも勝負できるくらい、強い技術やブランドを持つ企業に向いています。典型的な例がアップルですね。
アップルは世界中で同じ製品を、同じ売り方で売っています。ただこれはアップルの強烈なブランド力と技術力があるからできることです。逆に言えば、各国のお客さんの好みや嗜好の違いはかなり無視している。
その真逆が「レスポンシブネス(R)」。これはむしろ各国の違いを強く重視し、その国その国のことを徹底的に調べて、それぞれに合わせていくやり方です。
代表的なのがP&Gや味の素や花王などFMCG(Fast Moving Consumer Goods:日用品や食料品など、動きの速いもの)の会社です。まさにBtoCですね。
こういった日用品は、国や地域によって人々の文化も生活習慣も違うから、それに合わせた商品を開発し、ときにはブランドすらも変えます。だから各国に対応できる一方、全世界で統合することによる効率化のメリットは薄れます。
グローバルビジネスでは、この正反対の2方向の最適なバランスをとることが重要になるのです。
そして私の理解では、メルカリのサービスは、I-Rフレームワークでいうとやや「R」寄りのはずです。フリマというCtoCビジネスなので、その国々の人々のカルチャーにすごく依存すると考えられるからです。
BIJ編集部・常盤
たしかにフリマで人気のあるアイテムなども、文化によって違うでしょうね。
一方で、僕が取締役をやっているソラコムは、いわばBtoBのビジネスです。技術やプロダクトの性能・品質が強ければ世界中でお客さんが比較的理解してくれるので、戦略は「I」寄りの部分が出てくる。
もちろん各国の通信規制などは違いますが、この業界でお客さんである企業が考えることは、国が違ってもそれほど変わらない。
だから、ソラコムはメルカリとは別の意味で僕は期待しているんです。なぜなら日本が今まで世界で勝ってきた分野は、機械産業などの製造業で、戦略が「I」側に近いので、ソラコムと似ているからです。その筆頭が自動車です。
日本の自動車が世界で売れるのは単純に「性能がいいから」です。怒られるかもしれないけれど、デザインなどは外国製のほうがいいかもしれません。でもモノの性能がよければ買ってくれるお客さんがいる。
僕が言いたいポイントはメルカリが上とか、ソラコムの方がどうとかいうのではなく、ベンチャーでも海外戦略では、自社の戦略がIとRのどちらなのかを見極める必要がある、ということです。
そしてBtoC、CtoCのスタートアップの場合は、各国で異なることをやる、という点が課題になってくるのです。メルカリにはこの壁を克服して、ぜひ世界を制してほしいなと思います。
BIJ編集部・常盤
南場さんがご指摘されていたもう一つのポイント、ファウンダーのメンバーが日本人で固められているという点はどうですか?
違うバックグラウンドを持った人がメンバーにいれば、「海外ではこれは通用しないよ」という意見がもらえたりしますよね。これは海外でグロースしていくうえで大きな鍵を握っているのでは?
それも大いにありえますね。
しかし、例外もあります。例えばソラコムでいえば、いまは日本人だけでいいフェーズだと僕は思っています。日本人で固めているからこそ、いわゆる「ハイコンテクストな議論」ができて、スピーディーに決断できる。
ソラコムは現時点ではとりあえず加速というステージなので、「ちょっと待って、世界はこうだから」と動きを止められては困るわけです。もちろんアメリカやヨーロッパで仕事とするときは、当然その国の人に営業部長をやってもらったほうがいいわけですけれども。
だからファウンダーや経営陣を日本人で固めるやり方は悪くないと思います。ただしそのときの条件は、プロダクトが非常に強くて、あまりその国のカルチャーに依存しない、I型の戦略スタイルであること。
それ以外の戦略であれば、南場さんのおっしゃる通り、ファウンダーのメンバーが多国籍であるほうがいいでしょうね。ただしそのやり方は、大変なことも多い。
なぜなら優秀な海外の人材を採るのは本当に大変なんですよ。これも理由は2つで、まず、いい外国人がいないこと。2つめは日本人が英語をしゃべれないこと。いま東南アジアに行くと、若い人はみんな英語がうまい。
大学生や20代の英語力は、圧倒的に向こうが上です。この件に関して文科省の責任は重いと思いますよ。逆に、メルカリさんは今グローバルタレントをバンバン採用していますが、まさにこのような背景を乗り越えようとしているのだと思います。素晴らしいですよね。
そこで提案なんですが、例えばBusiness Insider Japanの英語版の記事を配信したらどうでしょうか。
BIJ編集部・常盤
え? Business Insiderの記事はもともと英語で書かれていますけど、そうではなくて、Business Insider Japanの記事を英訳するということですか?
そうです。日本に住んでいる人たちは、みんな日本語でしか発信していないから、世界に存在を知られない。日本人は本当に英語で発信することをしたほうがいいと思いますよ。
ご存じのように日本はコンテンツが強くて、日本に留学に来る海外の学生の九分九厘は、日本のアニメとアイドルが好きで来るんです。こういう人たちが卒業後、日本で起業したいと思ってくれれば、日本のスタートアップの課題が解決できる。
BIJ編集部・常盤
なるほど。こちらから英語で情報発信をすることで、いい外国の人材を呼び込むわけですね。それはいいかもしれません。次回からこの収録も英語でやりますか(笑)。
BIJ編集部・小倉
音声翻訳機をもって参加します!
【音声フルバージョンの試聴はこちら】(再生時間:27分23秒)※クリックすると音声が流れます
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。