日本でも機械翻訳ツールとしてメジャーな存在になったDeepL翻訳。
撮影:伊藤有
こんにちは。パロアルトインサイトCEO・AIビジネスデザイナーの石角友愛です。今回は、AI翻訳の新しい使い方や可能性についてご紹介します。
AI翻訳というと、グーグル翻訳を思い浮かべる方も多いと思いますが、ここ数年で自然な翻訳ができるとして「DeepL(ディープエル)」を使う例が増えているようです。
DeepLは2017年8月28日にサービスを開始した、無償利用もできる機械翻訳サービスです。ドイツのケルンに本拠地を置 DeepL GmbH(旧Linguee) が開発しました。
初期対応言語は、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポーランド語、オランダ語と欧州中心の展開でしたが、着実に対応言語を増やし、2020年3月19日には日本語と中国語にも対応。2022年5月には28種類の言語について、650通り以上の組み合わせで翻訳できるようになっています。
DeepLの翻訳は、これまでさまざまなメディアでGoogle 翻訳よりも精度が高く、微妙なニュアンスのある翻訳ができると肯定的な報道を受けています。実際のブラインドテストによるプロの翻訳者の評価でも支持を得ている、と同社は発表しています。
出典:DeepL
グラフの縦軸は各翻訳システムの訳文が他より高い評価を得た確率を示している。ただし、複数の翻訳システムが同時に最高評価を得た場合はカウントしない。
出典:DeepL
出典:DeepL
日本語の調査結果を例に取ってもう少し詳しく解説すると、同社発表のグラフからは、英語→日本語への翻訳の場合、DeepL翻訳がGoogle 翻訳に対して約3.7倍の確率でプロの翻訳者から高い評価を得ている、とします。また日本語→英語への翻訳の場合にも、DeepL翻訳がGoogle 翻訳に対して約2.8倍の確率でプロの翻訳者から高い評価を得たそうです。
DeepLの利用シーンをめぐって特に興味深いのが日本での利用状況です。
サイトのアクセス状況の概要を把握できるサービス「SimilarWeb」によると、2022年5月の利用者数において、日本は世界中でDeepL開発拠点のドイツをしのぐ、1位(14.51%)となっていることがわかります。
SimilarWebでDeepLのサイトへのアクセス比率を国別表示したところ。
出典:Similar Web
こうした背景もあり、2021年の日本経済新聞によるインタビューに対し、最高経営責任者(CEO)のヤノスラフ・クチロフスキ氏も「(米グーグルなどに対する)優位性を維持できる」と自信を示しています。
出典:Similar Web
DeepLの高性能な翻訳は、どういった技術に裏付けされているのでしょうか。
DeepLの創設者・CEOであるヤノスラフ・クチロフスキ氏がLinguee GmbHにてDeepL翻訳の開発に着手したのは2016年とのこと。
DeepL GmbHの経営トップ、ヤノスラフ・クチロフスキ氏。
出典:DeepL
開発当初、DeepLの前身であるオンライン辞書の「Linguee」を開発・公開してから10年近くが経とうとしており、Lingueeで培った「語彙や慣用句、フレーズ単位で翻訳文を検索して、最適な翻訳例を導き出すアルゴリズム」や、「膨大なデータセット」を活用できる状態であったといいます。そこで、そうした基盤を活用しつつ、根幹を成すニューラルネットワークに多くの改良を加えて出来上がったのがDeepLです。
クチロフスキ氏は「(Lingueeの開発・運用を通じて)この分野での素晴らしいノウハウと、機械翻訳ツールを作るために必要なデータの基盤を得ることができました」と述べています。
また、「DeepL(ディープ・エル)」の名の通り、同社の翻訳には深層学習が応用されています。DeepLの公式FAQによると、Googleなどのビッグテック企業との違いはAIの学習データの取得方法にある、とします。
同FAQによると、DeepLではより高い翻訳品質を実現するために、学習データの取得方法を工夫していると言います。そのために、「インターネット上の翻訳」を自動的に探し出し、その品質を評価する特殊なクローラーを開発したとのことです。
これには、長年ウェブクローラーを開発し学習データの量では圧倒的に優位に立っている大手IT企業に対して、DeepLがとる「データの量で大手IT企業に勝てないのであれば、質で対抗する」という興味深い戦略が読み取れます。
英語ネイティブ話者のDeepL活用法
和訳の質が高いDeepLが登場したことは、日常利用から大学の研究論文での活用など、さまざまな形で日本語話者の生活にインパクトを起こしています。
そして、日常会話を英語で交わすようなビジネスの場でも、仕事の進め方に変化をもたらしています。
例えば、私が経営するパロアルトインサイトでもDeepLは日常的に活用しています。意外に思う人もいるかもしれませんが、英語を問題なく話せるバイリンガルのスタッフも日常的に使っているのです。
活用している理由を聞くと、
「英語はビジネスレベルで使えますが、プロの翻訳者ではないためとっさの翻訳に今まで時間がかかっていました。また、翻訳文章の作成自体にも時間がかかります。それが、DeepLのような質の高いAI翻訳ツールがあることで、大きく短縮されました。仕事の作業効率化が実現できています」
と言います。
また、「英文のソースから情報を集め、その場で翻訳をして文章の手入れをするというような使い方が生まれることで、仕事の質も高くなった」とも。
プロフェッショナルファームでは業務改善にも活用
別の例もあります。グローバルプロフェッショナルファームで働く知人は、DeepLを仕事で使い始めたことで、プロの翻訳者へ外注する必要がなくなったと語っています。
詳細を聞くと、ただ外注が減っただけではなく、業務改善につながっていることも見えてきます。
例えば、日本の製造業に関する文章を海外の関係会社向けに作成するとします。業界特有の専門用語などが多く登場するため、翻訳を頼む時は用語集などを別に用意する必要があります。DeepLを使い始めてからは、専門用語などもおおむね問題なく翻訳できるため、用語集を作る手間が省けるようになったと、知人は説明しています。
DeepLの翻訳の質は、もちろん常に完璧というわけではありません。AIが訳せない文章と判断すると訳されない(文章として欠落する)箇所が出たり、文法に違和感があることももちろんあります。
オフィシャルに提出する必要がある書類の翻訳では、原文と照らし合わせながらDeepLの訳を修正し、意訳する作業も必要な場面があります。
それでも、上記のコメントから分かるように、はじめにDeepLでベースとなる”たたき台”を作成できるため、英語話者であったとしてもゼロから訳すのに比べると格段に効率が良いと感じる人が多いのです。
DeepLは「英語が苦手な人」だけのツールではありません
このことから分かるのは、DeepLのようなAI翻訳は決して「英語が苦手な人のツール」ではないということです。
日々英語を使って仕事をする人や、英語のソースから情報を得たい人など、英語が身近な人たちにも支持をされていて、結果的に多くの人々にとって「仕事の仕方を変えるツール」となっています。
私は以前より、省人化を目的としたAIと違う形で、「強化型AI」というカテゴリーを紹介しています。コスト削減や作業省人化ではなく、人が今までできなかった、または時間をかけても完璧にはできないような作業を、AIツールで今までよりも良い結果を出すタイプの作業が該当します。
AI翻訳ツールは、翻訳作業を効率化するだけではなく、英語のソースが今までは身近ではなかった人にも身近になり、仕事の幅が広がる可能性もあるのではないでしょうか。
一方、AI翻訳が浸透することで、翻訳者の仕事がなくなるという意見をよく聞きます。
これは、翻訳者に求められるスキルがAI翻訳によって変わっていく、と解釈したほうが良いのではないかと思っています。
特にビジネスの現場においては、例えば、AI翻訳というツールを積極的に使いこなし、よりクライアントや読者などの受け取り側(オーディエンス)が求める文章に近づくように「編集して見せ方を変える能力」。あるいは、複数のソースから翻訳した文章を組み合わせ、「統合して新しい価値のある情報に転換させ伝える能力」のニーズは、むしろ高まる可能性があります。
(文・石角友愛)
石角友愛:2010年にハーバードビジネススクールでMBAを取得したのち、グーグル本社で多数のAI関連プロジェクトをシニアストラテジストとしてリード。その後HRテック・流通系AIベンチャーを経て、パロアルトインサイトをシリコンバレーで起業。順天堂大学大学院医学研究科データサイエンス学科客員教授(AI企業戦略)及び東京大学工学部アドバイザリー・ボードを務めるなど幅広く活動している。著書に『いまこそ知りたいDX戦略』、『いまこそ知りたいAIビジネス』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『経験ゼロから始めるAI時代の新キャリアデザイン』(KADOKAWA)、『才能の見つけ方 天才の育て方』(文藝春秋)などがある。