撮影:伊藤圭
Podcastの人気番組「COTEN RADIO(コテンラジオ)」が新シリーズ「ウクライナとロシア」を配信したのは、ロシアがウクライナに侵攻して約2週間が経った3月12日だった。
9世紀にまでさかのぼり、キーウ(キエフ)を中心として建国された東スラブ民族の国家、キーウ公国に始まり現在に至るまで、ウクライナという国が過去何度もロシアという大国に翻弄され続けてきた歴史が丁寧に紐解かれる。後半はプーチン大統領という人物に焦点を当て、彼にまつわる具体的なエピソードの数々を紹介することで、聞き手は彼の思考法や歴史認識への理解を深めていく。
全6回を聴き終わると、ソ連崩壊後に独立した国々の一つというイメージだったウクライナという国の輪郭がくっきりと形を表し、人々が抱き続けてきた民族意識やロシアに対する複雑な感情に思いを馳せる。そして一方のロシアに対しても大国としてのプライド、なぜプーチンという人物が支持されているのかまで想像が膨らむ。
と言っても、決して堅苦しい「勉強」という感じではない。私は散歩をしながら聞いていたのだが、気が付くと1時間歩き続けていたこともあった。壮大な大河ドラマのラジオ版を聞いているような感じなのだ。
今や著名人のファンも多く、「JAPAN PODCAST AWARDS 2019」では大賞とSpotify賞のダブル受賞も果たした。人気を支えるのは、コテンラジオを運営するCOTEN(コテン)CEOの深井龍之介(36)と、一緒に出演するヤンヤンこと楊睿之(ようえいし)、樋口聖典、室越龍之介による「男子校の部室」のような「ワチャワチャした」トークだと言われる。4人の掛け合いを聞いていると、その時代にトリップするような感覚があり、「暗記科目」として年号や固有名詞を覚えるものだった歴史が、一気に人間ドラマに変わる。
しかし、この掛け合いの面白さ以上にコテンラジオの真髄は、膨大な資料を読み込んで作った精緻な台本、史実一つひとつを映画のようにつなげていく深井のストーリーの組み立て、そしてそこに深井が込めた「軸」と呼ばれるテーマ設定にある。コンテンツ制作を支えるスタッフの物語は2回目で紹介する。
60〜70冊書籍読み込み2カ月準備
ロシアがウクライナに侵攻を始めたとき、日本を含む世界中が一種のパニックに襲われた。そんな中コテンラジオが提供したのが、周辺地域の歴史的経緯を包括的に解説したシリーズだった。
REUTERS/Carlos Barria
深井が、ウクライナとロシアシリーズの緊急配信を決めたのはロシアによる侵攻の翌日だった。
通常のシリーズでは1、2カ月かけて60〜70冊の参考文献を数人のスタッフと手分けして読み込むが、今回は緊急ゆえ準備にかけられたのは10日ほど。それでも参考文献として書籍30冊以上、10本以上の論文や記事が挙げられている。3月8日に収録し、12日の配信までに編集作業やファクトチェックを突貫作業で強行した。
侵攻が始まって4カ月以上が経った今でこそ、私たちはあらゆる角度からロシア・ウクライナの情報に触れることになったが、当時はコテンラジオが配信したほどの包括的な内容は見当たらず、そのスピードとボリュームに驚きの声が上がっていた。
「なぜロシアは侵攻するのかという解像度を上げることを目指しました。プーチンが実際何を考えているかは分からない。でも、これまで両国間でどんなことが起きてきたのか、歴史的経緯をちゃんと把握できる形で伝えられたら社会的な価値が高いなと思って、『やろう』と」(深井)
コテンラジオは2018年に配信を始め、番外編や特別編を除くとこれまで31シリーズ、260本を配信してきた(6月20日時点)。そのテーマの多彩さや設定も独特だ。テーマは全て深井が独断で決めているが、いくつかパターンがある。
一つは人間に焦点を当てるシリーズ。吉田松陰や高杉晋作、織田信長といった過去に何度もドラマなどで脚光を浴びてきた人物もいるかと思えば、武則天やユリウス・カエサル、チンギス・カンのような世界史上の人物もいる。マルクスとエンゲルスの2人の友情と資本論が生まれた背景を解説するシリーズもある。
もう一つがテーマにフォーカスしたもの。第1次世界大戦やフランス革命、宗教改革のような歴史上のビッグイベントだけでなく、「性の歴史」や「お金の歴史」といったこれまでの歴史教育ではなかなかなかった切り口で古代から近代までの人類の営みを紐解くものもある。すると、人間の本質は変わっていないことに気付き、今常識と思っているものの中には、近代になり国民国家が形成する過程で生まれてきたものがあることを知る。
「世界史データベース」想定利用者は国家
コテンラジオ収録風景。左から、深井龍之介、楊睿之、室越龍之介、樋口聖典。
提供:株式会社COTEN
そもそもコテンラジオは、深井が目指している「世界史データベース」という壮大な事業の広報活動として始めた。歴史に関わる大量の書籍の内容を体系的に整理したデータベースを作ろうと思ったのは、「政策を決定する政治家や何万人も雇用する経営者が、データベースがあれば歴史を知り、過去に起きたパターンを踏まえて物事を判断し決定できるのではないか」と考えたからだ。
だから想定する利用者の筆頭は「国家」だ。国の戦略や政策を立てる時に、過去50年ぐらいの政策だけを見て判断するより、もっと長期で見た方がいいのではないか。
例えば教育政策。コテンラジオの「教育の歴史」では古代アテネから始まり、ローマ帝国や中世ヨーロッパで大学ができるまでが展開され、さらに中国やイスラム諸国、日本と地域も広げていく。すると、これまで人類が「最善の教育とは何か」と試行錯誤した中にいくつかのパターンがあること、さらに「人はなぜ学ぶのか」という根源的な問いとも向き合うことになる。
政策をつくるということは、数十年の歴史や少し先の未来だけを見て、こういうスキルが必要だと考えるのでなく、「なぜ学ぶのか」という教育の本質まで突き詰める必要がある、と深井は考えているのだろう。
想定される利用者その2は、企業の経営者だ。今も依頼があれば経営者には個別に歴史を講義しているという。例えば相談内容が「No.1とNo.2がうまくいっていない場合はどうすればいいのか」というものだとすると、深井は歴史上同様のケースを20ほど集めて、なぜうまくいかなくなったのか、その結果何が起きたのか、修復できたパターンとできなかったパターンでは何が違うのか……などを紹介するという。
これまでにもビジネス書などのコンテンツで「歴史に学ぶ」企画は鉄板だった。それらとコテンのデータベースの違いは網羅性だ。
「過去プーチンのような人間は一定の確率で出現しています。その行動によって結果がこう変わるというパターンを知るだけでも、思考の助けになる。
社会は変わっても人間の本質は変わらない。攻撃されると防衛本能が働くとか、プレッシャーをかけられると反発するとか。社会状況が大きく変わった部分の前提条件を差し引いても、今起きていることは過去と『同じ状況』ということも結構あるんです。
だから歴史を知ることは思考のインフラとして、過去のパターンを理解して次に進むということ。コテンラジオを何度も聞いてくださった方は自分の思考への影響を感じてくれていると思います」
歴史を知ることで「メタ認知」ができる
撮影:伊藤圭
コテンラジオでは決して「このパターンがうまくいく」などのオススメはしてくれない。リスナーの悩みに直接答えるものもない。だからこそ、分かりやすい結論を早急に求めなくなり、目の前のことに一喜一憂しなくなる。
深井は歴史を知ることがなぜ大切なのかを伝える時に「メタ認知」という言葉を使う。著書『歴史思考』で深井は、「今僕たちが常識だと思っている価値観は絶対ではなく、場所や時代によって変わってきた。歴史を知るということは、当たり前が当たり前ではないことを理解すること、それがメタ認知で、その考え方が『歴史思考』」と説明する。
「『メタ認知』は今の自分を取り巻く状況を一歩引いて客観的に見る、という意味です。(中略)メタ認知力があれば、目の前にある悩みにとらわれずに済むこともあるはずです」(『歴史思考』より)
確かにコテンラジオを聞いていると、どれほど過酷な状況でも、悲惨な戦争があっても、必ずそこから人類は希望を見出し、立ち上がっている、という歴史に改めて気付かされる。教科書で学んでいた時には無味乾燥に感じられた史実が、人間の営みとして伝わってくるからこそ、感情を揺さぶられる。
そしてウクライナとロシアの戦争に限らず、今世界で起きている政治的な分断や経済格差、専制的な指導者の台頭による民主主義の後退など、考え出すと限りなく憂鬱になるような現実にも、少し息をついて「絶望し過ぎず」向き合えるような気がしてくるのだ。
深井はこう話す。
「これだけ社会状況が急激に変わる時代には、howを極めるよりwhyを突き詰めることが大事なんです。人間とは何か。社会とは何か。立ち止まって、これまでとは違う視点で社会を見てみる。歴史を学んで知ると、世界の捉え方だけでなく、自分の捉え方も変わってくるんです」
次回以降はコテンラジオの濃密な世界がどう作られているのか、なぜ深井が歴史を「仕事」にしようと思ったのかを紐解いていく。
(敬称略、以下に続く▼)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社退社し、4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー「や「サンデーモーニング」などのコメンテーターや、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』。