撮影:伊藤圭
COTEN RADIO(コテンラジオ)を運営するCOTEN(コテン)では今、エンジニアなど外部スタッフを含めると約30人が世界史データベースやコテンラジオの制作に関わっている。
そのうち社員の数人と、CEOの深井龍之介(36)は毎日1on1をしている。1人当たり数分から10分ぐらいだというが、コテンラジオの制作や収録、会社の経営、本の執筆、講演と分刻みの日常の中で、深井はこの社員とのコミュニケーションを大切にしている。
オリジナルな欲求を尊重する
深井は、共に働く人々がそれぞれの「才能」を発揮できているかを重要視する。
提供:株式会社COTEN
コテンラジオの番外編で深井自身が学生時代のエピソードを面白おかしく話す回がある。バンド活動をやっていた時期にボーカルの女性に、「何でそんなに才能ないのに、ボーカルをやっているんですか」と直接聞いたというのだ。そのエピソードを聞いたコテンラジオのパーソナリティ、楊睿之(ようえいし)と樋口聖典は驚愕する。
深井の持ち味は論理的であること。全ては言葉で説明できるし説明したいと思っている。それがしばしば思ったことをそのまま口にするという行動に出てしまっていた。それで人が傷つくことも理解できていなかったという。
その後社会人としてさまざまな挫折を経て、深井は「人の気持ちが分からない」ことを自覚する。だからこそ「人の気持ちを分かりたいと努力している」ように樋口には見えるという。樋口自身も会社を経営しているので、経営者として深井が風通しのいい職場を作ろうと試行錯誤していることも感じている。
「度々『思ったことは何でも言ってほしい』と言われます。コテンの経営者として、そこで働く誰もが我慢せずに働ける方法を模索しているんだなと感じます」(樋口)
深井はコテンを「人の才能を大切にする会社」だと事あるごとに話している。
「その人にしかない才能を見るとか、本人のオリジナルな欲求を尊重するとか、それを活かすために人の配置を変え続けるとかやり続けています。次の社会の株式会社が担うべき役割とは何かを意識して試しているんです」(深井)
「見返りゼロ」の法人クルー。ヒントは中川政七
コテンの経営はCOTEN CREWと言われる約5000人の個人会員と、約40社の法人COTEN CREWからの収入に支えられている。そのほかに深井の講演料、経営者への歴史の個人授業やコンサルタントなどの収入も合わせると、年間の売り上げは1億円を超えるようになった。
深井が「新しい会社」の形に挑戦しているのは、それこそが支援者らが求めるものだと感じているからだ。普通の会社ではできない、最先端の働き方や組織づくりを試してみる。「こんな会社があったら」と人々が考えることを実践すること自体が価値の提供になると考えている。
それでもコテンラジオのファンとして、「こんな面白く学べるコンテンツが聞けるなら」と個人が毎月「本1冊分」の1100円を払うのは理解できる。しかし、ユニークなのは法人クルーの仕組みだ。深井はこの仕組みこそ、ポスト資本主義的な挑戦だと語っている。
法人クルーの会費は月額5万円。企業では、少ない額でも支出は会社の稟議を通す必要がある。なぜ必要なのか、その支出は会社に「どう役立つのか」という理屈づけが必要で、それが認められないとたとえ1円でも支払うことは難しい。だが、この支出に直接的な「見返り」はないのだ。
この法人クルーの仕組みのヒントをくれたのは、中川政七商店会長の中川政七だった。同社はいち早く法人クルーになった1社でもある。中川は親しい経営者からコテンラジオを「絶対好きだと思うよ」と勧められて聞き、「瞬間的にどハマりした」という。
中川はこれまで景気の好不調などマクロ経済的な大きな流れには興味はなかったという。「社会がどうなってもそれを言い訳にせず、『日本の工芸を元気にする』という自分たちのやるべきことをやる」というスタンスで経営にも臨んできた。
だがコテンラジオを聞くようになって、自分たちが考えている少し先の未来が、実は過去と密接につながっていることに改めて気付かされたという。
「これまで自分たちが手の届く範囲で着実にビジョンを実現しようとしてきたのですが、コテンラジオを聞くようになって、未来により興味を持つようになりました。コテンラジオは歴史の話でありながら、今を生きる僕たちが未来を考えるきっかけにも助けにもなっている」(中川)
中川が初めて深井とオンラインで話した時、深井はサポーター制度をどう作っていくのか悩んでいたという。お金に関する歴史や資本主義の成り立ちなどをコテンラジオで聞いていた中川は、これからの資本主義のあり方、ポスト資本主義の新しい仕組みとして「見返りゼロ」の法人サポーターを提案した。聞いた時は驚いた様子の深井だったが、半年近く経ってから、提案のような形で法人クルーを始めると連絡があった。
「お金を出す側はどうしても『出してやっている』と思いがちで、そうすると『もらう側』との関係は対等でなくなってしまう。見返りを求めないことで、対等な関係が築けるのではないかと思ったんです」(中川)
「ライフスタンスの表明」がブランドにつながる
COTENは、公式noteでも「法人COTEN CREW 対談」として中川政七と深井の対談を掲載している。
株式会社COTEN 公式noteよりキャプチャ
中川政七商店では取締役会を経て、コテンへの支援を決めた。自分たちも未来を良くするための経営のコンサルタント事業を展開している。コテン支援もその延長だと、経営陣一同賛同した。
「それでもコテンへの支援は、今の経済合理性で見れば一見意味が分からないと映るでしょう。でも経済合理性だけでは測れないものを支援することは、会社としての『ライフスタンスの表明』です。人がブランドと感じるものは、世界観やライフスタイルの提案から、今は会社の哲学、ライフスタンスに移っています。でも哲学は伝わりにくい。だからそれを表現できる活動があれば積極的にするべきで、長い時間軸での行動でしか企業の哲学は伝わらないのです」(中川)
中川政七商店が法人クルーになることを発表した際、Twitterでは「意外な組み合わせだけど、両方好きなブランドでした」という反応があったという。法人クルーという仕組みは一見経済合理性がないように見えながら、長い目で見れば支援する・される双方にとって企業価値を上げ、ファンを増やすという合理的な活動でもある。
SDGs経営を掲げながら、実際は株主の短期利益を最大化することに追われ、目の前の経済合理性を究極まで追求する今の仕組みの限界や歪みは指摘し尽くされている。それでもその循環から多くの企業は逃れることができずに、中長期的な目線での経営が困難になっている。こうした現状の中で、深井と中川らは今、「いい会社とは何か」を考える活動もしているという。
中川は6月初めにTwitterでこう呟いている。
「株式会社の垣根を溶かすことで見える未来があると思う。1社の最適ではなく、複数社(もっと言えば業界)の最適を考える」
「IPOの義務なし」での資金調達目指す
撮影:伊藤圭
コテンはこれまでに8400万円を資金調達して、スタッフを採用し世界史データベース事業をより加速させている。
さらに近い将来数億円規模の調達も考えている。ただその条件は「IPO(新規株式公開)の義務なし」だ。「必ずしもIPOを目指すことが世界のためになっていない」、そう感じている深井はこの条件に合意してもらえる人からだけの調達を目指している。
「僕たちの活動がどれだけ『社会のためになる』と理解してもらえたとしても、今の資本主義の仕組みではお金を払うロジックは存在しない。世界史データベースやコテンラジオが自分たちの事業の成長にどうプラスに働くかの説明はつかないから。でも、この見返りなしの法人クルーやIPOなしの資金調達ができたら、僕たちは社会に影響を与えられると思っているんです」(深井)
ベンチャー企業の経営にも関わり、自身で資金調達にも関わってきた深井は資本主義の効率性、特にスタートアップによっては資本主義がその可能性を広げることは誰よりも知っている。だから資本主義自体を否定する訳ではない。でも、そのロジックでしかお金を出せないのは本質的ではないとも感じてきた。それはコテンラジオでお金の歴史を取り上げ、資本主義とは何かを考えた末でもある。
「過去を知る」ことで、少し先の未来を考える。それはまさに今、市場の論理一辺倒でない世界が作れないか必死でもがいている深井自身が実践しているのだ。
(敬称略、完)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社退社し、4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー「や「サンデーモーニング」などのコメンテーターや、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』。