上場延期の発表から4カ月。
7月19日、AnyMind Groupが約50億円の資金調達を発表した。同社はブランドやインフルエンサーに対して、商品開発から生産、EC、物流、マーケティングまで一気通貫の支援を行うスタートアップとして知られる。
上場延期の背景や最も注力したという社員のモチベーション維持、そして黒字化への経営方針の切り替えなど、今後の戦略をCEOの十河宏輔氏にたずねた。
上場延期は「人生で一番迷った」が「英断だった」
AnyMindが約50億円を資金調達した。上場延期から4カ月間に起きたこと、そして今後の戦略を十河宏輔CEOに聞いた。
撮影:今村拓馬
ブランドやインフルエンサー支援を行うAnyMind Group(エニーマインドグループ)は、3月30日に東証マザーズ市場(現グロース市場)に新規株式公開(IPO)する予定だった。
13の国と地域で事業を展開する同社。当時の想定株価ベースの時価総額は637億円と、注目も高かった。
2月22日に上場が承認され、23日に機関投資家に向けて説明を行うロードショーを開始。しかし、翌24日にロシアがウクライナへ侵攻したことで事情が一変した。
「世界的に不安定な状況になり、しかもいつまで続くかも分からない。上場後の株価の不透明性が増しました。
我々は東南アジアやインドなど今後5年10年、間違い違いなく伸びる市場で戦っています。上場後も株価を安定させて、公募増資などで資金調達しながらグロースさせていく計画でした。中長期的な成長を考えた時に、あえて今上場する必要があるのか? という議論が社内で起きたんです」(AnyMind GroupCEO・十河宏輔さん)
エニーマインド社のビジネスは多岐にわたる。
出典:AnyMind Groupホームページ
既存株主とも相談し、上場延期を決定。3月11日に発表した。2022年に入って上場延期を発表したのは6社目だった。
その後、6月に上場したANYCOLOR(エニーカラー)の時価総額が一時、フジ・メディア・ホールディングスを上回ったのは記憶に新しい。上場を延期したことに後悔はないのだろうか。
「正直、人生で一番迷った決断でした。でも後悔はありません。上場延期は英断だったと思っています。市場全体の株価が安定していない一方で、我々の業績自体は安定しているので。
既存株主も今回のラウンドから参加して下さった新規投資家も、皆さん口を揃えて『あのタイミングでいかないほうが絶対によかったと思うよ』と」(十河さん)
事実、新規上場銘柄には公募割れも目立つ。
ストックオプションは13%、社員のモチベーション維持に注力
リュック1つでアジアを飛び回る十河さん。日本には月に1度は帰国するようにしている。
撮影:今村拓馬
十河さんが上場を延期するにあたって最も注力したのが、社員への対応だった。スタートアップのだいご味である上場後のストックオプション(SO)の権利行使を励みに働いていた人もいただろう。
エニーマインドでは上場延期のリリースを出すと同時に、全社員会議をオンラインで開いた。なぜこうした意思決定をしたのかCEOの十河さん自ら説明し、「何でも聞いて」と質問を受け付けた。
「メンバーからは『次いついく(上場する)んですか?』『今回の上場延期で今後の株価に影響が出ますか?』など、会社の価値についての質問が多かったですね。ストックオプションを13%と多めに発行していることも影響していると思います」(十河さん)
「上場延期後は社員のモチベーション維持に最も多くの時間を割いた」という十河さん。当時の社内会食は週6日。特に主要メンバーとは1on1や食事の場を設け、今後の計画も含めてしっかりと話し合ったという。
「各国でヘッドを務めるメンバーともオンラインで1on1をし、認識合わせをしました。丁寧なコミュニケーションが取れたことで社員の皆の理解も進み、不安を払拭できたと思います。今振り返ると、きちんと説明できていなかったら問題が発生した可能性もあったかもしれないと思いますね」(十河さん)
プレIPOは「プランB」、バリュエーションにも納得
十河さんが上場延期を後悔していないと言い切る背景には、今回の資金調達がある。
新たに調達した約50億円は、同社がIPO後に公募増資(プライマリーマーケット)で調達する計画だった金額とほぼ同じだからだ。
プレIPOとなる本ラウンドでは、既存投資家の三菱UFJキャピタルに加え、新規投資家として官民ファンドのJIC ベンチャー・グロース・インベストメンツ、日本郵政グループのJPインベストメントなどを引受先とした約40億円の第三者割当増資を実施。さらにみずほ銀行から10億円の当座貸越枠を確保した。
「上場延期の決定と同時にプレIPOで調達しようと決めて動き始めました。よし、『プランB』だと」(十河さん)
既存投資家はもちろん、新規投資家も以前から打診があったり、既存投資家からの紹介があったりしたため、交渉はスピーディーだったという。
気になるのはバリュエーション(株式の値決め)だ。市場環境が悪化する中、海外では前回より低い株価で調達するダウンラウンドになるスタートアップも出始めている。
「バリュエーションの開示はしていませんが、納得のいくものでした。今の市況を考えた時に、かなりの好評価をいただけたと。もちろんダウンラウンドではないです。そうだったら既存投資家は乗ってこない。
特に評価されたのは、売り上げの過半数以上が日本国外からという外貨を稼げている点です。円安の影響もあり、円ベースでいうと数字もかなり調子がいいんです」(十河さん)
調達資金はM&Aに「この市況こそチャンス」
エニーマインド社エントランスの壁には、これまで買収した企業のロゴが描かれている。
エニーマインドの2021年の売上高は192億6200万円。そのうち57%が海外からだ。
2016年に創業して以降、2017年から2021年までの売り上げの平均成長率は62%にのぼる。その急速な成長を支えてきたのが、M&A(合併・買収)だ。これまでタイ最大級のインフルエンサーネットワークや香港のパブリッシャー支援企業、日本のD2Cブランドやマーケティング会社など7社を買収してきた。
62%の平均成長率のうち20%弱が買収先企業によるものだという。
新たに調達した資金は既存事業の強化と、さらなるM&Aに活用する。
「この市況でバリュエーションが下がりやすいこともあり、資金面で困っているスタートアップは国内外問わず多いと感じます。我々は足元の業績も好調なので、そういう企業さんと組んでできることも多いはず。こういう経済状況だからこそ積極的にM&Aのチャンスを狙っていきたいです」(十河さん)
もちろんIPOも諦めてはいない。
「プレIPOというラウンドをやっている時点で、投資家も期待していると思いますし、これでIPOしないという意思決定はないかなと。
上場承認が降りた実績もありますし、あとは外部環境次第です。具体的にこのタイミングというのは決めていませんが、いつでも上場できるよう準備は進めていきます」(十河さん)
「成長」から「黒字化」へ経営方針を変更
エニーマインド社の成長実績。気になるのは収益化だ。
出典:AnyMind Groupホームページ
気になるのが今後の資本政策だ。同社が2022年2月に公表した今期(2022年12月期)の通期業績予想は、売上高237億8300万円、営業損失2億5300万円を見込む。
好景気下では黒字化していないスタートアップの上場も珍しくなかったが、市況が不透明な今、この半年で「売り上げ成長」(証券用語のいわゆるトップライン)より「利益」(ボトムライン)を重視する投資家が増えた。極端に言えば、上場に至るまでの定石が変わったとも言える。先輩起業家の成功例をそのまま真似できない時代になった。
「市場からの期待は完全に変化したと感じていますし、そこにはクイックに適応したいなと。今までは『グロースグロースグロース』でしたが、利益を出しながら安定的に成長していくフェーズに入ったというのは社内にも伝えています。これまでは売上や粗利の成長率を重視して評価していましたが、今後は利益もしっかり見ていくよと。
もともとの計画よりも早いタイミングでの収益化(黒字化)を考えています」(十河さん)
今後はマーケティングや採用などのコストを少しずつ抑えていく予定だという。採用については上場延期が意外な影響をもたらしたそうで……。
「グローバルで1000人超の従業員がいますが、採用には他社よりも投資してきたつもりです。実は上場延期のニュースで知名度が上がって、採用にポジティブな影響もありました。よりダイレクトリクルーティングしやすくなったので、採用コストの抑制、最適化につながっています」(十河さん)
生き残るために「ワーストのシナリオで動く」
この不況はいつまで続くのか。今後の読みを聞いてみた。
「この不況がいつまで続くか僕も分かりませんが、ワーストのシナリオを考えながら動いています。特に(東証の)グロース株はかなり悪くなっていて、これが1年で戻るという人もいれば5年かかるという人もいる。なので、この状態が3〜5年続いてもしっかり生き残っていける組織を作ることが大切だと。
今回の調達で約50億円という規模感を取ったのも、数年分のM&Aや成長投資を考えたときに余裕を持って調達する必要があると考えたからです。
IPOに向けたロードショーでも今回の資金調達でも、投資家の皆さんから東南アジアでのプレゼンスやインドでの成長のトラックレコードがかなり評価されて。創業時からグローバルにやると決めて6年間走り続けてきたことが認められて、自信になりました。アジアを代表する会社になるために、引き続き走っていきます」(十河さん)
(文・竹下郁子 / 撮影・今村拓馬)