撮影:竹井俊晴
周囲の意見に惑わされず、自分が信じる道をいく人たち。しかし、迷いなく見えるその人にも、人生やキャリアに悩んだ瞬間はきっとあるはずだ。そんな時、道しるべになった本とは何なのか。
新連載「あの人が死ぬまで手放さない一冊」では、当時を振り返ってもらいながら、その本から影響を受けたポイントや考え方の変化、読みどころなどを紹介する。
第1回は、元外務省主任分析官・作家の佐藤優さんが登場。2002年、当時衆議院議員だった鈴木宗男氏がロシア外交をめぐる汚職疑惑で逮捕された事件に関連して、佐藤さんは背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間に及ぶ拘置所生活を送った。
「あの時、私に『鈴木と決別すれば生き残れる』とそそのかす人はたくさんいました。でも、私はそれをしなかった。そこには、『あの本』の影響が大きくあったと思います」
佐藤さんはそう言うと、過去を振り返り始めた。それほどの影響を受けた一冊とは、一体何なのか——。
大学時代、教授の薦めで手に
まるで図書館のような自宅書庫を前に佇む佐藤優さん。数ある蔵書の中から、「死ぬまで手放さない一冊」を選んでもらった。
撮影:竹井俊晴
「あの本と出合ったのは、(同志社大学)神学部2回生の頃でした。当時さまざまな神学者の本を読んでいましたが、なかなかしっくりくるものがなかった。そんな時、神学館の図書室を訪れた際にすれ違った野本真也教授(旧約聖書神学者)からこう言われたのです。
『佐藤くん、ロマドカ(フロマートカ)を読んだことはありますか?』と」
そうして出合った運命の一冊が、チェコのプロテスタント神学者、ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889-1969)の『J・L・フロマートカ自伝 なぜ私は生きているか』だった。
「この本を一言で表現するなら、『人生においてより困難な選択肢を取ること』を説いた一冊です」
『J・L・フロマートカ自伝 なぜ私は生きているか』
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佐藤さんのこの言葉の真意は、本書が自伝であるという性質上、フロマートカが置かれた時代について知ることなく理解することが難しい。佐藤さんは著書『獄中記』でこう紹介している。
“ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(中略)は第一次世界大戦後のチェコスロバキア共和国建国に貢献し、マサリク大統領側近の知識人だった。ファシズム、ナチズムに対して徹底的に対抗し、第二次世界大戦中はアメリカに亡命し、(中略)戦後、社会主義化した祖国に帰国する。東西冷戦期には共産党に協力する「赤い神学者」とみなされたが、フロマートカと門下の神学者たちは(中略)「プラハの春」の土壌をつくったのである。”(『獄中記』岩波現代文庫、8ページ)
中央ヨーロッパに位置する現在のチェコとスロバキアは、20世紀初頭まではオーストリア=ハンガリー帝国に組み込まれていたが、民族意識の高まりと共に「チェコスロバキア共和国」として独立する道を選ぶ。
しかし、1938年から第二次大戦終結までは事実上ナチス・ドイツの支配下に置かれ、戦後はソ連によって「解放」されたことにより、共産主義国家へ移行。次第に独裁体制となった。「プラハの春」とは、そうした共産主義政権下で1960年代に起きた民主化運動のことを指す。
「プラハの春」に対し、ソ連軍が軍事介入する様子を撮影した当時の写真。
Reuters/Petr David Josek
だが、これはソ連による軍事介入を招くことになり、その犠牲者は約400人に上るとされる。フロマートカが生きたのは、まさにこうした激動の時代であり、彼は神学者でありながら、大学や教会に閉じこもって一生を過ごすのではなく、政治や社会と対峙する道を選んだ。つまり、本書はフロマートカの信仰告白ではなく、闘争記としての色合いが強いのだ。
「政治にはある種の〈閾値(いきち)〉があるというのが、フロマートカの考え方だと思います。境界の外に出てしまえば、現実に影響を与えることはできない。信仰もまた、その内側にギリギリ留まって、現実を良くすることで意味を持つのです」
佐藤さんは卒業論文も修士論文もフロマートカをテーマとしており、実は同書は佐藤さんが外交官時代に翻訳した一冊でもある。その後、佐藤さんが神学者ではなく外交官の道を選んだのも、フロマートカが「われわれが活動するフィールドは、この世界である」と述べたことが影響しているかもしれないと同書の解説で書いている。
緊迫の対ロシア外交の現場へ
撮影:竹井俊晴
「1987年、私はモスクワに赴任しました。ですが、大使館の幹部からはロシア人とはできるだけ接触するなという指示がありました。当時、オデッサ(オデーサ)で日本の防衛駐在官が拘束され、事実上追放されるという事件があり、日ソ関係が緊張していたのです。
しかし、私はロシア人と深く話をすることが外交官として必要なことだと考え、大使館の方針を無視しました。何か問題が起これば、自分のキャリアが終わるというリスクをはらんでいたとしても、です」
その判断にも、フロマートカの影響がある。佐藤さんはそれを、「仕事での人間関係において約束を守ること、すなわち信頼を得ること」だと表現する。
「フロマートカは、キリスト教が考え方の異なる他者と協力し、現実の社会に対する応答責任を果たさなければならないと考えていた人です。私もそこから強く影響を受けました」
その人と付き合うと決めたら、仮に彼や彼女の立場が危うくなったとしても態度を変えない。それは、他人を自分のために利用しないということでもある。しかし、多くの人は往々にして手のひらを返してしまうものだ。
「1991年8月の保守派クーデターが失敗した直後も、私はクーデター派の人たちとの付き合いを続けましたし、リトアニアなどバルト三国の民族独立運動活動家とも大使館の反対を押し切って付き合っていました。
そうしたことによって、彼らからの信頼は絶大なものになったと感じています。クーデター直後に、ゴルバチョフ生存の情報をソ連共産党幹部からいち早く得られたのも、そのためです。実は私、リトアニアの独立に貢献したとして勲章を授与されているんですよ」
そういった活躍もあり、帰国後の1998年には、国際情報局分析第一課主任分析官に任命された。だが、2002年、いわゆる「鈴木宗男事件」に絡む背任容疑および偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日に及ぶ東京拘置所での勾留を余儀なくされる。その時にも、フロマートカに影響を受けた姿勢は貫かれた。
「あの時、私に『鈴木と決別すれば生き残れる』とそそのかす人はたくさんいました。でも、私はそれをしなかった。『マタイによる福音書』第5章37節にも、“あなたがたは、「然り、然り」「否、否」と言いなさい。それ以上のことは、悪から生じるのだ”(聖書協会共同訳)という言葉があります。
私が真実を曲げることをしなかったのは、強いからではありません。もちろん私だって捕まりたくはない。けれども、もし鈴木宗男さんを売るようなまねをすれば、街中で〈スズキ〉という言葉を見かけるたびに怯えるような人生を送らなければならない。それは耐えられないと思ったんです」
国家や貨幣を信仰する危険性
本書の読みどころを選ぶとしたらどこか、という問いかけに佐藤さんは次の箇所を選んだ。
“人間の内面、感情の混乱、不安定な精神の変動の本質を貫こうとするヨーロッパ的意味でのロマン主義は、平均的アメリカ人にとって全く疎遠なものであった。ロマン主義的情熱は、いわゆる文明と非文明の境界(フロンティア)を開拓する冒険への憧れにとって替わった。(73ページ)”
撮影:竹井俊晴
「これは、現代のアメリカ中心的な世界観を理解するうえで、非常に役に立つ視点です。アメリカはロマン主義を経験せず、啓蒙による理性が万能だと考える国です。論理的な正しさを持ち、強いものが勝つという価値観を、実際にフロンティア征服で実現してしまいました。
しかし、人間や社会は理性だけで回っている訳ではありません。そのことに思い至らないアメリカという国は『歴史の意味に対する理解がない』とフロマートカは述べていますが、これは非常に鋭い認識だと思います」
また、フロマートカの視点は、現代世界を見る上でも役に立つと佐藤さんは言う。
「フロマートカの神学には、国家や貨幣という概念をイエス・キリストによって相対化するというテーマがあったと考えます。神や超越性という概念を喪失した現代人にとって、国家や貨幣は、いわば神の代替物として絶対的なものになってしまう可能性を持っています。
しかし、信仰心を失くした絶対的な存在は、ニヒリズムにつながります。ナチズムやスターリン主義の存在はフロマートカにとってまさにそうでした」
そうした事態を避けるための核となるもの、それをフロマートカはキリスト教の中に見出し、なおかつ無神論者にも分かる言語で説明しなければいけないと考えた。「結局それは、人間とは何かという問題に行き着く」という。
佐藤さんが、外交官時代に翻訳した本は3冊だけだ。
「この本と、共産党理事長だったジュガーノフ、そして大統領候補になったレベジの本です。後の2冊は、政治目的です。もし彼らが大統領になったら、翻訳者としてアプローチすることができますからね」
そう言って、佐藤さんは笑った。神学の研究を志した青年時代に出合ったフロマートカは、キリスト教と共に生き、社会や政治と向き合った人物だった。そして、その姿はそのまま、佐藤さんにも重なるように思えた。