ヘルスケア業界の「ディスラプター(破壊的創造者)」になると宣言したアマゾンのアンディ・ジャシー最高経営責任者(CEO)。今回の「39億ドル」巨額買収は本丸突入の狼煙(のろし)と見られる。
Amazon; Reuters; Marianne Ayala/Insider
米アマゾン(Amazon)が医療サービススタートアップのワン・メディカル(One Medical)を39億ドル(約5300億円)で買収することで合意した。7月21日に公表されたこの買収計画は、アマゾンにとって過去3番目に大きなM&A(買収・合併)案件となる。
アマゾンは以前からヘルスケアビジネスの拡大に強い関心を示してきた。
2018年にピルパック(PillPack)を買収してオンライン薬局事業に参入し、2020年には心拍数などのバイタル(生体)データを測定・記録できるウェアラブル端末「ヘイロー(Halo)」を発売。同年、クラウドに医療データを格納して変換・分析を行う「ヘルスレイク(HealthLake)」を発表するなど、その取り組みは多岐にわたる。
そして、今回のワン・メディカル買収を通じて、アマゾンはいよいよヘルスケアビジネスの本丸に乗り込む。
ワン・メディカルは会員制のプライマリ・ケア(初期診療)サービスを展開する米ナスダック上場企業だ。
プライマリ・ケアは日本ではなじみが薄い言葉だが、総合診療専門医がかかりつけ医(ファミリードクター)として、患者の初期的な診察と治療を総合的に行うことを指す。
患者が自由に受診先を選べる「フリーアクセス型」の医療制度となっている日本と違い、欧米ではまずかかりつけ医の診察を受けたうえで、必要と判断されれば高次の医療を行う専門医や医療機関を紹介される「ゲートキーパー型」の制度が一般的だ。
アマゾンのシニアバイスプレジデント(ヘルスサービス担当)、ニール・リンゼイは次のように語る。
「アメリカのプライマリ・ケアは実に嘆かわしい状況です。医師の予約を取り、受診するまでに数週間待たされるのはざらで、場合によっては数カ月待ちということもあります。受診日に仕事を休んでクリニックに行くと、急かされるようにして診察が終わり、その足で薬局に行って薬を受けとるだけというのが典型的なパターン。
私たちは、アメリカのプライマリー・ケア体験を今後数年間で劇的に改善したいと考えています」
アマゾン以外の巨大テック企業も、ヘルスケア分野への参入を試みては失敗してきた。それを見て、ヘルスケアビジネスとは完全に距離を置く企業もある。
そうした現実があるにもかかわらず、アマゾンは今回ワン・メディカルを買収することで、188のクリニック、76万7000人の個人会員、8500社の法人会員を抱える、従来の社内プロジェクトとは比較にならない規模感の、本格的なヘルスケア事業を運営していくことになる。
同社のヘルスケアビジネス拡大に向けた大きな橋頭堡になることは間違いない。
米銀シティグループ(Citi Group)のシニアアナリスト(ヘルスケアテクノロジー担当)ダニエル・グロスライトはInsiderの取材に対し、こう語った。
「アマゾンにとって、ワン・メディカルとの組み合わせは非常に理にかなっています。
アマゾンは2021年、法人向けのバーチャルケア(オンライン診療)サービスを始めましたが、対面で医療サービスを提供するほどのリソース(経営資源)はありませんでした。次のステップは、バーチャルケアと対面診療をいかに効率的に組み合わせるかということです」
ワン・メディカル(One Medical)創業者兼最高経営責任者(CEO)のアミール・ダン・ルービン。
One Medical
バークシャー、JPモルガンと組んで一度は挫折
ヘルスケア分野では、アマゾンにも苦い経験がある。
同社は2018年、著名投資家のウォーレン・バフェット率いるバークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)および米銀大手JPモルガン・チェース(JPMorgan Chase)との合弁で、ヘルスケア事業を手がける新会社ヘイブン(Haven)を立ち上げたものの、アメリカの医療サービスを効率化するという目標を達成することなく、2021年2月に事業を終了した。
その挫折に懲りず、シティのグロスライト(前出)が触れたように、アマゾンは法人向けバーチャルケアサービス「アマゾン・ケア(Amazon Care)」をローンチさせた。契約した企業の従業員に、専用アプリを通じて医療スタッフのオンライン診療を提供するものだ。
しかし、Insiderが過去の記事(2021年7月8日付)で報じたように、アマゾン・ケアのオンライン診療が民間医療保険の適用対象となるよう、エトナ(Aetna)など大手医療保険会社と進めている交渉が思うように進展せず、法人契約先は現状それほど増えていない。
それでも、アマゾンがひるむ様子はない。
2021年12月には、当時アマゾン・プライム(Amazon Prime)を統括していたシニアバイスプレジデントのリンゼイの担当を変更し、先述のアマゾン・ケア、臨床検査事業「アマゾン・ダイアグノスティックス(Amazon Diagnostics)」、オンライン薬局事業「アマゾン・ファーマシー(Amazon Pharmacy)」を統括する立場とした。
なお、オンライン薬局事業は2018年に7億5000万ドルで買収したピルパック(前出)が母体で、プライム会員に割引特典を提供するなどテコ入れしてきたが、確実な地歩を築くところまでは至っていない。
事業を加速したいリンゼイは2022年3月、首都ワシントンに本拠を置く医療システム会社プロビデンス・セントジョセフ・ヘルス(Providence St. Joseph Health)の最高デジタル責任者(CDO)だったアーロン・マーティンをスカウトし、バイスプレジデントとしてアマゾン・ケアと新組織ヘルス・ストアフロント・アンド・テック(Health Storefront and Tech)の担当にしている。
上記のようなアマゾンの一連の動きは、グーグル(Google)が2019年にヘルスケア関連事業を「グーグル・ヘルス(Google Health)」ブランドおよび同名の組織に統合し、デイビッド・ファインバーグ博士をトップに据えたのとそっくりだ。
リンゼイが率いる事業はその後、(グーグル・ヘルスに似たような)「アマゾン・ヘルス・サービス(Amazon Health Services)」という大きなブランドを冠している。
ただし、そのグーグル・ヘルスはInsiderが報じた記事(2021年8月20日付)通り、すでに活動停止の判断に至った。
それでもアマゾンが(グーグルの轍を踏まずに)成功を手にする可能性があると言えるのは、グーグルのようにオンライン診療にとどまることなく、ついに対面診療サービスを提供するリソースを手に入れたからだ。
アメリカの患者の多くはプライマリ・ケアを入り口に医療システムにアクセスする。オンライン診療と対面診療という両方のゲートウェイを押さえることで、アマゾンはより多くの患者にサービスを提供し、収入を拡大する機会を得ることになる。
そうした医療サービスにおける「クリック&モルタル」(オンラインと実店舗の同時展開。実店舗を意味する「ブリック&モルタル」に由来)とも呼べるアマゾンの路線は、米小売り最大手ウォルマート(Walmart)や米ドラッグストア大手CVSヘルスと共通するものと言える。
ウォルマートは2019年から「ウォルマート・ヘルス(Walmart Health)」という名のクリニックを一部店舗に併設し始め、2021年には遠隔診療サービスのMeMD(ミーエムディー)を買収した。
また、CVSヘルスは自社ドラッグストア店舗内にミニ診療所「ミニットクリニック(MinuteClinic)」を設置、遠隔診療サービス大手と提携して糖尿病のオンライン治療などを手がけている(なお、現CEOのカレン・リンチは前職が医療保険大手エトナ社長だ)。
なぜプライマリ・ケアのスタートアップを買収するのか
ここまで整理してきたような前段を踏まえた上で、ワン・メディカルの買収は結局、アマゾンのヘルスケア事業に一体どんな恩恵をもたらすのか。専門家たちに意見を聞いた。
米投資銀行ジェフリーズ(Jefferies)のヘルスケアアナリスト、ブライアン・タンキルトがまず挙げたのは、対面診療の拠点となるクリニックの数を一気に増やせることだ。
また、SVB証券のシニア株式アナリスト、ステファニー・デイヴィスはヘルスケア分野における顧客リストや顧客との信頼関係などの資産を獲得できることを挙げる。
アマゾンはヘルスケア分野において、消費者と十分な信頼関係を構築できているとは言いがたい。一方のワン・メディカルは、すでに76万人を超える個人会員および8500社の法人会員にプライマリ・ケア・サービスを提供しており、確固たる実績、強固な関係を築いている。
ちなみに、アマゾンは買収後もワン・メディカルのブランド名は変えず、同社のルービンCEOを続投させることを明らかにしている。
ヘルステック分野のスタートアップに資金提供をはじめ包括的サービスを提供するロックヘルス(Rock Health)CEO兼社長のトム・カッセルズは、アマゾンの臨床テクノロジーが強化される可能性を指摘する。
ワン・メディカルは患者の健康・医療情報の把握・管理を容易にするテクノロジーを社内でいくつも開発してきた。
それらが評価され、ワン・メディカルはアトランタのエモリーヘルスケアやニューヨークのマウントサイナイ・ヘルスシステムのようなブランドパワーを持つ医療機関グループと契約し、相当数の患者マネジメントを月額固定料金で引き受けている。
そうした医療機関グループとの関係を通じて、アマゾンはクラウド事業を運営する傘下のアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のビジネスチャンスを拡大することも可能だろう。
さらに、アマゾンは今回の買収により、「メディケア・アドバンテージ」に加入する高齢者という肥沃な市場への足がかりも得ることになる。
アメリカには65歳以上の高齢者を対象とした公的医療保険として「メディケア」があるが、この保険でカバーされない医療サービスを受けるために民間保険のメディケア・アドバンテージがある。
ワン・メディカルは2021年9月、同業のアイオラ・ヘルス(Iora Health)を21億ドルで買収したが、アイオラの対面診療と遠隔診療はメディケア・アドバンテージの保険対象となっていた。そのため、メディケア・アドバンテージの加入者は、アイオラを買収したワン・メディカルでも医療サービスを受けられるようになった。
ワン・メディカルの抱える76万7000人の個人会員のうち、メディケア・アドバンテージの医療保険加入者は3万9000人にすぎないものの、2022年第1四半期(4〜6月)の売上高の半分以上を生み出している。
アマゾンの既存ビジネスとの統合
アマゾンは、2017年に137億ドルで買収した米自然食品スーパー最大手ホールフーズ・マーケット(Whole Foods Market)を、いまも独立会社として運営している。
それでも、アマゾンのプライム会員はホールフーズでの買い物で割引特典を受けられたり、アマゾンのECサイトを通じて注文した商品をホールフーズの店舗で受け取ったり、さまざまな形で実務面での融合が進んでいる。
ワン・メディカルのサービスも同様に、アマゾンの既存事業との融合が進むだろうと、シティのグロスライトとジェフリーズのタンキルトは予測する。
「ワン・メディカルの医師は、患者のために生活習慣病予防の食事計画を立てると同時に、ホールフーズのクーポンを提供することもできます」(グロスライト)
「ワン・メディカルのクリニックでは、アマゾン・ファーマシー経由で患者に医薬品を届けられます。小売事業においてアマゾンはデジタルからフィジカルへとビジネスの領域を広げましたが、ヘルスケアサービスでも今後同じことが起きると考えています」(タンキルト)
[原文:Amazon just hit fast-forward on its vision to transform how you see the doctor]
(翻訳・情報補足:田原寛、編集:川村力)