7月19日、台北の総統府で会談した台湾の蔡英文総統(右)とマーク・エスパー元米国防長官。
Taiwan Presidential Office/Handout via REUTERS
7月半ばに台湾を訪問したアメリカのマーク・エスパー元国防長官が、蔡英文総統に対し国防予算を国内総生産(GDP)比で倍増させ、兵役も「全民皆兵」に変え対中軍事力を強化するよう要求した。
台湾を「属領」のように扱う横暴な内政干渉発言に、メディアや識者は反発。軍事専門家も「非現実的な要求」と不快感を表している。
台湾ではアメリカによる台湾防衛への信頼感が揺らいでおり、蔡政権がこうした横暴発言への対応を誤ると、2年後の総統選にも影響を及ぼしかねない。
「一つの中国」政策は「もう必要ない」
エスパー氏は、トランプ前政権下で2019年から1年あまり国防長官を務めた陸軍出身の軍人だ。
首都ワシントンの軍事系シンクタンク、大西洋評議会(アトランティック・カウンシル)の訪問団一行を率いて7月18日から21日まで台湾を訪問し、19日に蔡英文総統と会談した。
蔡総統との会談でエスパー氏は、台湾は中国との戦いの「最前線にいる」とし、アメリカは台湾の安全保障に関与することを再確認した。
また、台湾を不可分の領土とする「一つの中国」政策について、「もう必要ない」と明言。中国が台湾に武力行使した場合の対応を明確にしない「あいまい戦略」についても、「見直すべき」と台湾寄りの姿勢を鮮明にした。
台湾総統府のプレスリリースによると、エスパー氏はさらに「台湾は国防予算を大幅に増額し、徴兵制を延長する討議を通じて予備役と動員能力を増強すべき」とも述べたという。
同氏はこの会談後の記者会見で、台湾の国防予算についてGDP比3.2%に倍増させるか、イスラエル並みの5%に大幅増額し、18歳以上の男性に課している現行の4カ月間の兵役を、男女ともに1年以上の兵役を義務化する「全民皆兵」に改めるべきと主張した。
台湾メディアは、エスパー氏が蔡総統との会談の席でも同様の主張をしたとみているが、「内政干渉批判」を恐れたのだろう、総統府のプレスリリースではぼかした表現となっている。
「歳出比32%」の巨額軍事予算を要求
軍事問題を専門にする台湾シンクタンク中華戰略遠見協会の掲仲・秘書長は、台湾紙・聯合報で、エスパー氏の国防予算増額要求は「現実離れした要求」とはねつけた。
楊氏によれば、台湾の2022年国防予算は3726憶台湾元(約1兆3600億円)、GDP比では1.65%。3.2%に倍増すれば7226億台湾元が必要となり、歳出(全支出)に占める割合は32%にもなる。
(イスラエル並みの)5%なら、歳出の半分を占める計算だ。そうなれば台湾はいびつな軍事国家になる。
一方、エスパー氏が記者会見で主張したもう一つの要素、兵役の見直しも話はそう単純ではない。
台湾は馬英九政権(国民党)下の2012年、中台緊張緩和と少子化を背景に、徴兵制から志願制への移行方針を決め、蔡英文政権下の2018年12月、志願制に全面移行した。
しかし2022年2月のロシアのウクライナ侵攻を受け、中国の軍事圧力への懸念から、翌3月には徴兵制を復活させる検討に着手。兵役期間など具体策は国防部の検討に委ねた。
エスパー氏の「全民皆兵」要求について、前出の中華戰略遠見協会・掲秘書長は、志願制下で台湾軍兵力は16万6000名超と過去20年来最多となっており、台湾の限られた軍事訓練キャパシティから考えて「全民皆兵は不可能な重荷」と否定的だ。
「内政干渉」と台湾識者が批判
エスパー氏は現職の国防長官ではないとはいえ、アメリカの軍事・情報サークルの中核メンバーであり、軍産複合体にも大きい影響力を持つ。
エスパー氏の二つの要求は、蔡英文政権がアメリカの軍事的後ろ盾に頼っている現実があるにせよ、台湾をアメリカの「属領」とみなす内政干渉との誹(そし)りは免れられない。
台湾の経済学者、朱雲鵬・東呉大教授は、台湾紙の中国時報に「兵役延長や国防予算の大幅増額は中華民国の内政問題であり、いかなる外国人であれ、どのような理由があっても、干渉すべきではない」と痛烈に批判した。
台湾問題を「中国の内政」とする立場の中国ももちろん黙ってはいない。
中国外交部の趙立堅報道官は7月19日の定例記者会見で、エスパー発言を「『台湾カード』をもてあそび、中国の内政に干渉し、中国の核心的利益を損ねる試みに断固として反対」と非難した。
日本にも同様の要求
エスパー発言は日本にとっても他人ごとではない。まるで「写し鏡」のようだ。
エスパー氏は国防長官時代の講演(2020年9月16日)で、中国に対抗するため日本など同盟国に対し「国防費をGDP比で少なくとも2%に増やしてほしい」と要求した。
菅義偉首相、バイデン大統領に日米の政権トップが変わった後も、2021年4月の日米首脳会談後の共同声明には台湾問題が半世紀ぶりに盛り込まれ、日米安全保障の性格は「対中同盟」化し、「日本は同盟および地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した」と明記されるのである。
さらに菅政権を後継した岸田文雄政権も、2022年6月に発表した経済財政運営の基本方針「骨太の方針」で、北大西洋条約機構(NATO)加盟国がGDP2%以上の軍事予算を目標にしていることを例示して、防衛力を「5年以内」に抜本的に強化することを明記した。
エスパー氏は、主権独立国家の日本に対してはさすがに台湾へのような横暴な姿勢はとっていないが、にもかかわらず、軍事費倍増を要求してからわずか2年で日本政府に要求を飲ませることに成功している。
日本ではアメリカの「内政干渉」に対する反発の声は聞こえない。
アメリカの台湾防衛への信頼揺らぐ
7月17日、台湾独立志向の与党・民主進歩党(民進党)が開いた年次会合の様子。蔡英文総統も出席。
REUTERS/Ann Wang
台湾ではウクライナ侵攻後、アメリカの台湾防衛への信頼感が薄れ始めている。
台湾のケーブルテレビ局TVBSは2022年3月に世論調査の結果を発表。「もし(台中)両岸で戦争が起きた場合、アメリカは台湾に派兵し、防衛すると信じるか」との質問に対し、「信じる」と回答したのは30%で、「信じない」の55%を大幅に下回った。
バイデン大統領はロシアの軍事侵攻に先立つ2021年12月、「ウクライナには派兵しない」と明言。その理由として、ウクライナは同盟国ではないこと、ロシアは核保有国であること、を挙げた。
ウクライナを(同じく同盟国ではない)台湾に、ロシアを(同じく核保有国である)中国に置き換えれば、「台湾有事でもアメリカは台湾に派兵しない」という論理が成立する。
エスパー発言はアメリカの台湾軍事関与を強める文脈から出たものだとしても、あからさまな内政干渉となれば、(対中強硬路線の)与党・民進党政権の継続というアメリカ政府の期待とは逆効果になりかねない。
蔡英文政権への満足度は下降基調
前出のTVBSが2022年6月に発表した、第2期蔡英文政権(2020~24年)折り返し時点の世論調査では、蔡政権に「満足」との回答が36%と4割を切り、「不満」の48%を大きく下回る結果が出た。
「満足」は3月調査の43%を7ポイント下回り、2021年6月調査の41%よりも5ポイント低く、政権第2期最低となった。
蔡政権の対中政策については、「満足」43%に対し「不満」45%と、拮抗している。
2020年の総統選挙で再選された蔡氏は、香港の抗議デモに乗じ「今日の香港は明日の台湾」と主張したキャンペーンが奏功したことが勝因の一つとなった。
2024年の総統選挙で与党の最有力候補とみられるのは頼清徳副総統だ。凶弾に倒れた安倍晋三氏の葬儀に台湾から駆けつけた人物で、蔡氏以上に「台湾独立派」の定評がある。
「今日のウクライナは明日の台湾」という蔡氏のアナロジーが次の総統選挙でもまた効果を発揮するのか、上記を含む各種世論調査の結果を見ると、必ずしも保証の限りではない。
(文・岡田充)
岡田充(おかだ・たかし):共同通信客員論説委員。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。