写真提供:TURING
2017年に将棋AIと人間が競う「電王戦」で、棋界最高峰のひとつ「名人位」を持つ佐藤天彦名人を破ったことが大きく報道され、その後「引退」した将棋AI「Ponanza」。
Ponanzaの開発者として知られ、将棋ゲームなどを手がけるAI開発企業HEROZのリードエンジニアも務めた山本一成さんがいま、新たな挑戦を本格化させている。
山本さんが約1年前に創業した会社TURING(チューリング)は、完全自動運転EVメーカーを目指すスタートアップだ。
TURINGは7月12日に、ベンチャーキャピタル(VC)のANRI、グローバル・ブレインなどから総額10億円の資金調達を発表。人材採用と自動運転技術、それを載せて走るプロトタイプ開発を加速させている。
将棋AIの天才が、次になぜ自動運転に挑むのか。山本さんに直撃した。
「合理的に、一番デカい夢に突っ込んだ」
「将棋プログラムをずっと作っていけるって自信はあるんですよ。あそこまで(名人を打ち破るまで)行ってるから、多分、(将棋プログラムを)開発するのは好きだし、得意なんです。
問題は、『それでよかったんでしたっけ』ってことで。所属する会社も上場して(HEROZ、2018年マザーズ上場、現在は東証プライム)、多分、私は幸せなんだと思います。ただ、私が幸せになったところで、世界は変わらないじゃん、というのをすごく思ってるんです」(山本さん)
インタビューに応えた山本さんは、自動運転EV分野へチャレンジする理由を、独特の表現で説明した。
TURING社長の山本一成さん。
オンライン取材の編集部によるキャプチャー
自動運転車の開発競争は、自動車メーカーのみならず、テスラを筆頭にアメリカや中国のスタートアップがひしめき合っている。
そんな中、自動車メーカーでもなく、EVに関わっていたわけでもない山本さんが立ち上げたTURINGは、自動運転車を目指す国内のスタートアップでも、異色の存在といえる。
TURINGの起業にあたっては、共同創業者の青木俊介さんの存在がある。
青木さんはアメリカの名門カーネギーメロン大学で自動運転の研究に取り組み、2020年11月に名古屋大学の特任助教へ就任した。同時期に山本さんも名古屋大学の特任准教授に就任し、以前から自動運転に関心があった山本さんと意気投合したことが、TURINGの創業につながった。
TURING共同創業者の青木俊介さん(左)と山本一成さん。
写真提供:TURING
「青木から自動運転に関する話を聞く中で、『テスラができるなら自分たちでもできるだろう』と素敵な勘違いを起こしたのです。(HEROZで将棋ウォーズなどがヒットした経験から)自分たちが面白いと思うものを作れればいけるという信念もありました。
合理的に自分たちの専門性を理解しつつも—— 合理的というのは、自分たちが幸せになるという話じゃなくて、全体最適を創り出す上で —— 一番デカい夢に突っ込んだ。TURINGを起業したのはそういう感覚です」
テスラといえば、株価急落が伝えられるなかでも、時価総額は8000億ドル(約109兆円)以上という世界屈指のEVメーカーの1社だ。
EV業界の巨人である一方、20年前は存在もしなかったメーカーでもある。テスラですら、2003年の創業以来、コツコツと実績を積み上げ、ハードルを乗り越えてここまできた。
「まずファクトの話をすると、アメリカや中国には何百社もの自動車系スタートアップがあり、事実上量産に成功したメーカーは、テスラも含めて何社も出ています。まず、『できなくはない』という話です」
山本さんは、続ける。
「彼らがどうやったか。(EVメーカーへの道は)色々な登り方があります。
テスラは、改造車(テスラ・ロードスター/2008年)からはじまり、次に小規模ながら独創性ある車両(2012年発売のModel S、2015年発売のModel X)、いつの間にかModel 3やModel Yといった量産車を作るようになってきました。
(TURINGがEVメーカーを目指すなら)同じように(メーカーへの登頂ルートを)上るべきだと思っています」
TURINGの改造車による自動運転デモの様子。動画公開は2022年2月。
出典:TURINGの公式YouTubeアカウントより
そのために必要なものは「資金」と「人材」だ。
世界的な景気後退が意識されるなかで、2022年に入ってからスタートアップの資金調達を取り巻く空気が一変したと口にする起業家やベンチャーキャピタル(VC)は多い。それでも、ずっと以前に比べれば資金調達は容易になっている、というのが山本さんの認識だ。
TURINGの起業に本気で取り組もうと考えた背景を、「ゲームチェンジが起きている」からだと山本さんは説明する。
「大きな話として2つ、この時代の武器があるんです。1つは金融市場との、ある種の融和性です。(大きな)資金調達が可能になってきたし、自動車業界が、EV化も含めて急速に内燃機関の『工学の世界』から電気回路などの『強電』と言われる世界に入って、一気にソフトウェア化が進んできた。
ゲームチェンジが起きているんです。今までのガソリン車というのは、エンジン(を創り出す技術)がいつでも偉かった。そういうの(優位性の力点)が変わってきた」
とはいえ、自分たちが登ろうとしている山が険しい道筋であることは、山本さん自身も理解している。
「(EVメーカーになる)プロセスは大変ですよ。(パーツを供給する)サプライヤーの理解とか、以前よりはずいぶん私も見えるようになりましたけど、とはいえ、(自動車メーカーを創るということは)途方もないことだというのは自覚してます」
東大生、データ分析コンペ「Kaggle」人材がやってくる
現在はレクサスなど複数の既存車両をベースに、UIや自動運転システムの統合を実装する改造車両の制作を進めている。
写真提供:TURING
TURINGはいま、レクサスの市販車をベースにインパネ(インストルメントパネル)の改造や自動運転システムの統合、スマホを含めた新たなUXの実装などを進めている真っ最中だ。手探りながらもハードウェアの改造とソフトウェア開発に取り組みつつ、手応えをつかみ始めている。
いまは、市販車をベースに改造しながら、実際に走れるコンセプトカーの完成を目指している段階だ。
その先には、「市販車の販売」も目標にある。早期の実現のために、冒頭のとおり10億円の資金調達は実施した。さらに今、人材採用にも力を入れている。
4月にはオフィスを千葉県柏市にある「柏の葉スマートシティ」内のインキュベーション施設に移転した。インターンには「ひたすら(母校の)東大生が来ている」とも言う。
「TURINGには(6月の取材時点で)社員が5人(創業者を含めると7人)おり、学生インターンは東大生など8〜9人ほどいます。社員にはデータ分析コンペのKaggleで優秀な成績を収めたKaggle Grand Masterもおり、インターンでは機械学習を中心に学んだ学生が活躍しています」
人材採用にあたっては、コンセプトカーの完成を加速させるため、自動車メーカー系の人材を探している真っ最中だとも。
「(採用という意味では)OEMとかメガサプライヤーと言われるようなTier1(ティアワン)の企業から一人、来てくれるとうれしい。(自動車開発を)経験した人材に来てもらえると、会社がぐっと締まります」
自動運転EVでは、高いハードウェア開発能力とソフトウェア開発能力を高度に融合できる能力が欠かせない。その意味で、コンピューターサイエンス系の人材に加えて、自動車業界のジェネラリストにジョインしてもらいたいという。
あくまで「メーカー」、事業売却は視野にない
写真提供:TURING
TURINGの事業はまだ走り出したばかりだが、目標は「あくまでEVメーカーになること」だと、山本さんは繰り返した。技術をつくり、事業を大手企業に事業売却(買収)するという出口戦略は、考えていないという。
「会社として、私たちもこれから株主が増えていくわけですけど、基本的に、『自動運転システムをつくりました、大手自動車メーカーさん買ってください』っていうのは、許されないと思ってます。(事業売却で良いのなら今までどおり)コンピューター処理を作ってろって話ですから」
とはいえ、量産車への道は遙かに遠い。
その道のりのイメージを、山本さんは対数スケールの世界で捉えている、と言う。
「(メーカーになるには)こんな段階があると思ってます。
まず、年間1台をつくる、100台をつくる、1万台をつくる……自動車メーカーって、大きくいえばこういう対数スケールをやっていると考えていて。いまはまず1台。しかも改造車です。次の100台にたどり着くのが途方もなく大変。ほとんどの会社はここを突破できない」
100台のスケールでも、まずTURINGだけでやる仕事ではなくなると山本さんは考えている。
「(100台を実現するには)どこか自動車をつくっている会社と、何かしらの事業提携を結ぶなり、このクルマだったら自分たちで完全に改造できる車を見つけるなり、していく必要があります。
どこかで、何か『奇跡的な契約』を結ばなきゃいけない。テスラになるには、4つくらいの奇跡がいるんです。だから、(今はまず)最初の奇跡を乗り越えないと、って思ってます」
目下の目標は、まずは改造車をベースとして走行可能なコンセプトカーを完成させること。
この1〜2年のうちにも、改造車ベースでの「販売」にもこぎ着けたいとも意気込むが、その車両はまだ、山本さんの頭の中にしかない。
ただ、早期に「売る」ことへの執着は極めて強い。
「『研究』はTURINGの組織ならいくらでもできます。でも、『売る』と思うと責任感が出る。売らないと、いつまで経っても売れないんですよ。『売らないと、売れない』は青木の名言なんですけど」(山本さん)
直近の日本経済新聞の記事では、「2023年をめどに、レベル2にあたる運転補助機能を持つガソリン車の完成を目指す」と報じられている。
これを目指すだけでも大変な行程だ。さらに、「売らないと、売れない」のだからと、山本さんはまず、この1台すらも販売を視野に入れるという。
柏の葉から、日本に新しいEVメーカーを誕生させるため、山本さんは今日も開発を続けている。
(文・マスクド・アナライズ、伊藤有)