多くの企業がより厳しい規制や株主からの圧力に直面するようになった近年、大手投資会社は、環境科学者を積極的に雇用し始めている。
Anna Kim/Insider
JPモルガン(JPMorgan)でサステナビリティを担当する幹部は気候変動対策推進運動を行う非営利団体から引き抜かれてきた。ブラックロック(BlackRock)の気候変動およびサステナビリティ研究部門トップは主要な環境保護団体の出身だ。大気科学と環境科学の博士号を持つ気候問題のスペシャリストもバンガード(Vanguard)の投資スチュワードシップチームに加わった。
このように、いまウォール街では気候科学者や環境保護の専門家たちの存在感が増している。
銀行やファンドマネージャーは、気候温暖化に立ち向かうという重大な使命を果たす助けとなり、投資における環境リスクを洗い出すことができる新しい仲間を探すため、数学の天才や市場マニア、金融系学部出身者といった従来の人材以外に目を向けている。
これは、多くの企業がより厳しい規制や株主からの圧力に直面するようになった近年、顕著になってきた傾向だ。だがそれは、銀行の頭取やプライベート・エクイティ企業の幹部たちが突如として道徳に目覚めたからではない。
投資会社は、ライバルよりも深い洞察力を持ち、専門家とより強固な関係を築くことの重要性をよく理解している。そのため彼らは学界や非営利団体、政府機関から環境の専門家を引き抜くために多額の報酬を支払うことをいとわないのだ。
「ポートフォリオの対象となる企業の経営層はたいてい、契約交渉チームの中に科学者が含まれていると反応がいいんですよ」とエグゼクティブサーチ会社、スペンサースチュワート(Spencer Stuart)のコンサルタントであり同社のESG・インパクト投資部門を設立したローレン・キャラガン(Lauren Callaghan)は言う。
人材紹介会社ローソン・チェース(Lawson Chase)のサステナビリティ投資リクルーティング部長であるダイアナ・レタナ(Diana Retana)によると、報酬パッケージは社員の年齢や経験によってさまざまだが、気候変動リスクについての深い知識を持ち、ニューヨークの金融機関勤務なら17万5000〜35万ドル(約2350万〜4700万円、1ドル=134円換算)を稼ぐことが可能だという。
レタナによると、プライベート・エクイティ企業で働くなどプライベート・マーケット投資に携わっていれば数億円クラスの報酬を得ることもあると言う。
アメリカの労働統計局によると、環境科学者や環境専門家の2021年の平均年収は7万6530ドル(約1025万円)だった。サステナビリティ関連のリクルーターを長年務め、ワインレブグループ(Weinreb Group)を設立したエレン・ワインレブ(Ellen Weinreb)によれば、プライベート・エクイティの顧客は契約をまとめることに長けているだけでなく、環境の専門知識も持ち合わせる人材を求める傾向が強まっているという。
JPモルガンやブラックロック、モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)、ウェルズ・ファーゴ(Wells Fargo)は皆、地球温暖化の片棒を担ぐような貸付や投資からは手を引くと約束している。そのため、環境負荷削減の進捗度合いを計測・追跡するカーボン・アカウンティング(炭素会計)の技術的専門知識を必要としている。
またこれらの企業は、自然災害や森林伐採、化石燃料から再利用可能なエネルギー源への移行などのリスクを評価し、それを投資の意思決定に取り入れるため、気候変動の内部モデルを開発している。
こうした金融機関の試みが、実際に気候変動危機に影響を及ぼせるかどうかは未知数だ。業界関係者や政治家の中には、ESG投資は無駄だと切り捨て、ブラックロック、バンガード、ステート・ストリート(State Street)といった資産運用大手を批判してきた者もいる。また金融界の重鎮たちは、化石燃料関連企業からの投資を引き揚げろという要求を聞き入れず、気候変動問題の活動家の怒りを買ってもきた。
カリフォルニア大学バークレー校地球惑星科学部准教授のウィリアム・ブース(William Boos)など一部の専門家は、気候問題の専門家が金融業界に雇用されていることに希望を見出している。学界にいるよりも世界に良い影響を与えながら収入を上げられるのだから、環境科学者のキャリアの幅が増えていいじゃないかというのがブースの考えだ。
「特に利用価値がなかったり、世界を良くすることもできない商品を売って多額のお金を稼いでいる人が世界には大勢いますから」とブースは語る。自然環境を守ることには価値があり、それが洪水などの災害のリスクを減らすことに役立つと金融サービス業界が理解し始めていることを彼は歓迎している。
「私には復帰する義務がある」
サラ・キャプニック(Sarah Kapnick)は金融と気候変動が交差する最も近い位置に立ち続けてきた専門家の一人だ。
彼女は最近、アメリカの商務省にある「環境問題のアメリカ諜報機関」と自称する米国海洋大気庁(NOAA:National Oceanic and Atmospheric Administration)の主任科学者に任命された。
キャプニックはもともとNOAAに10年間勤務していたが、1年ほどJPモルガンの資産運用管理部門で上級気候科学者およびサステナビリティ・ストラテジストとして働いていた。だが2022年夏、古巣のNOAAに戻ってきたのだ。
キャプニックは大気科学と海洋科学の博士号を持ち、まだ気候金融が主流ではなかった20年前、ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)の投資銀行アナリストとしてキャリアをスタートさせた。当時ゴールドマン・サックスのパートナーたちは、キャプニックが気候変動に関心を持っていることを「そんなことは趣味でやることで、本業は銀行家をやれ!」と言ってからかったという。
「この専門知識を持って、元の職場に戻る義務があると思っていたんです。NOAAが作るデータや製品やサービスは、商業活動や経済の未来の土台になるものです。技術的な専門知識と民間セクターでの経験の両方を還元したいと思っていました」(キャプニック)
NOAA(米国海洋大気庁)主任科学者のサラ・キャプニック。
National Oceanic and Atmospheric Administration
JPモルガンは2022年1月、環境防衛基金(EDF:Environmental Defense Fund)において、メタンガスの排出量削減のため石油・ガス関連企業とメタンガスの排出量削減について10年近く協業してきたベン・ラトナー(Ben Ratner)をサステナビリティ担当取締役として雇い入れた。
JPモルガンは、パリ気候変動協定の目標に合わせるため、自社の石油・ガス関連ポートフォリオにおける炭素集約度(売上高あたりの二酸化炭素排出量)を2030年までに35%削減することを目指している。ラトナーはJPモルガンに移ってからも、前職で築いた人間関係を維持している。環境保護推進団体レインフォレスト・アクション・ネットワーク(The Rainforest Action Network)の分析によると、同行は化石燃料に対する世界最大の資金提供者であり、2016年以来、同業界の推定3820億ドル(約50兆円)の貸付の債務を引き受けている。
ラトナーは、ウクライナ戦争で引き起こされたエネルギー危機と気候変動対策とのバランスをどうとるべきか、投資家と毎日のように話し合っている業界担当の同僚をサポートしているという。また、ラトナーはJPモルガンの戦略をめぐって、非営利団体や政府機関、学界のリーダーたちとも議論を重ねている。気候変動対策に取り組む地域社会の支援など、同行の民間助成金の対象をよりサステナビリティに根差した取り組みへと広げようとしている。
「金融セクターが環境に関する専門知識と目標を持つことの重要性を認識し始めているのはいい兆しだと思います。EDFでの仕事は楽しかったので転職するか悩みましたが、JPモルガンがくれた機会も非常にやりがいがあると思ったんです」(ラトナー)
大手銀行から気候科学者を呼び込む
ウォール街のリクルーターの売り言葉は至ってシンプルだ。いわく「最善のシナリオは、自分の専門性を使ってお金の流れ先に影響を与え、どの計画が資金提供を受ける価値があるかを決定し、大手の投資会社が環境についてより思慮深く意思決定できるよう舵取りすること」。
そして、お金はもらえるにこしたことはないと言う。
銀行やプライベート・エクイティ企業から声が掛かると、勤務先企業では人材流出をさせまいと彼らにカウンターオファーを提示する。それの内容は「以前ならありえない」ものだと人材サーチ大手コーン・フェリー(Korn Ferry)のインパクト投資部門トップであるケイト・シャタック(Kate Shattuck)は言う。
気候問題の専門家の能力に対する需要の高さ、いま業界問わず起きている賃金高騰といった影響から、職に留まれば10〜30%の昇給、あるいは昇進の前倒しといった条件が提示される場合があるとシャタックは語る。
そんな中、環境活動家は業界の次の一手を見守っている。
環境保護団体シエラ・クラブ(Sierra Club)のフォッシル・フリー・ファイナンス(Fossil-Free Finance)キャンペーンの責任者ジェシー・ワックスマン(Jessye Waxman)は、今後新規の化石燃料プロジェクトに対し、資金の提供を禁じる動きが急速に広がるかどうかが、金融業界における気候専門家の影響のほどをうかがい知る試金石になると見ている。
国際エネルギー機関(IEA:International Energy Agency)は2021年、地球温暖化が壊滅的なレベルにならないよう、投資家は今後新規の化石燃料供給源に投資するべきでないと呼びかけた。ただ金融業界はこれまでのところ、この一歩を踏み出すことをためらっている。
「金融業界が科学者を雇うのであれば、彼らに権限を与え、彼らの専門知識が実際に金融の意思決定に活かせるようにする必要があります」(ワックスマン)
(編集・大門小百合)