ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号の遭難現場で発見された財宝。
Brendan Chavez
- バハマで、難破船「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号(驚異の聖母号)」の財宝が発見された。
- 発見された財宝には、銀の延べ棒、約5フィートの金の鎖、エメラルド、真珠などが含まれている。
- 2022年8月8日に開館したバハマ海洋博物館で、これらの発見物が展示されている。
17世紀にバハマで難破した船「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号(Nuestra Señora de las Maravillas:驚異の聖母号)」から財宝の山が発見された。
その中には純銀の延べ棒、5フィート9インチ(約175センチ)の金の鎖、無傷の陶器、金とエメラルドのペンダント、真珠の指輪、ガラスのワインボトル2本、兵士のドン・マルティン・デ・アランダ・イ・グスマン(Don Martin de Aranda y Guzmán)が所有していた銀の剣の柄など、きらびやかな財宝が含まれている。
見つかった宝物は、バハマ政府と、起業家、探検家、慈善家で今回の発見をしたアレン・エクスプロレーション(Allen Exploration)の創設者、カール・アレン(Carl Allen)によって新しく作られたバハマ海洋博物館(Bahamas Maritime Museum)に展示される。
ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号の遭難現場から発見された5フィート9インチ(約175センチ)の金の鎖。
Nathaniel Harrington
「エメラルドと金でできた楕円形のペンダントを海底から引き揚げた時、息が止まってしまった。この小さなペンダントが、この厳しい海でどうやって生き延び、そして我々はどうしてこれらを発見できたのだろう。それこそがマラビーヤスの奇跡だ」と、カール・アレンはInsiderへのコメントの中で述べている。
8マイル(約12.8キロメートル)にもわたって海底に散在していた宝物をアレン・エクスプロレーションズは発見した。
ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号の遭難現場を発掘する探検家たち。
Chad Bagwell
カール・アレンはコメントの中で、この難破船の「苦難の歴史」について、「17世紀から18世紀にかけて、スペイン、イギリス、フランス、オランダ、バハマ、アメリカの探検隊によって財宝が盛んに引き揚げられ、1970年代から1990年代初頭にかけては、サルベージ船によって破壊された」と述べた。残骸が粉々に砕かれたとも言われている。
また彼は、「海底は不毛だ」とつけ加えた。
「70年代のダイバーが記憶しているカラフルなサンゴは、海の酸性化によって毒され、厚さ数メートルの砂が移動することによって窒息していた。痛々しいほどで悲しい。しかし、死んだ灰色のサンゴ礁の上には、まだきらめく発見が眠っている」
「この船は、過去の引き揚げやハリケーンによって破壊されてしまったのかもしれない。でも、我々はそこにもっと多くの物語があると確信している」と、プロジェクト海洋考古学者のジェームズ・シンクレア(James Sinclair)は語っている。
ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号の遭難現場で発見されたエメラルドのペンダント。
Nathaniel Harrington
2022年8月8日、バハマ海洋博物館がオープンした。館長のマイケル・ペイトマン(Michael Pateman)博士は、プレスリリースの中で、「海から生まれた国でありながら、バハマの海とのつながりについてはほとんど理解されていない」と述べている。
「例えば、先住民のルカヤ人が1300年前にバハマに居住していたことを知る人はほとんどいない。スペインの銃によって5万人ものの人々が追放され、ベネズエラ沖で真珠を獲るために潜ることを強いられ、30年もたたないうちに彼らは絶滅してしまった。バハマには、目を見張るような旧世界の文化があった。ルカヤ人、奴隷貿易、海賊、そしてマラビーヤス号は、我々が博物館で共有すべき物語の中心だ」
ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号。
Allen Exploration
ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号とは
バハマ海洋博物館によると、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス号は、17世紀のスペインの2階建てのガレオン船(16世紀前半からある大型帆船)で、アメリカ大陸からスペインへの航海中に、王室の税金、また私有財産の宝物を積んだまま沈没したという。
この船は、1656年1月4日にバハマ沖で操船を失敗して沈没した。乗組員650人のうち生き残ったのは45人だけだった。
沈没した後、船はすぐに移動させられ、その後の何世紀もの間、人々は海に沈んだ財宝を見つけようと運試しをしてきた。
これまでにも、1972年には探検家ロバート・マルクス(Robert Marx)が遺物を発見してその一部を引き揚げている。また1986年から1990年代初頭にかけて、ハーバート・ハンフリーズ(Herbert Humphreys)が遺物を引き揚げている。
(翻訳:大場真由子、編集:Toshihiko Inoue)