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あれは2019年、サンフランシスコで開催されたグーグルの「Chrome Dev Summit」でのことだ。
このサミットで、グーグルのウェブブラウザ「Chrome」のプライバシーおよび追跡防止ソフトウェアを担当するエンジニアのマイケル・クレバー(Michael Kleber)は、広告をターゲティングし測定するための個人データ収集を減らし、サードパーティの追跡Cookieを使用しない、よりプライバシーを意識したWebという壮大なビジョンを打ち出した。
あれからほぼ3年が経過しているが、その未来はまだ来ていない。
グーグルは、ChromeブラウザでサードパーティのCookieを無効にする計画を、少なくとも2024年まで遅らせる予定だ。同社によれば、「プライバシーサンドボックス(Privacy Sandbox)※」に関する取り組みの一環として提案したCookieの代替技術のテストにもうしばらく時間がかかりそうだという。これは、グーグルがCookieの段階的廃止を2020年に最初に発表して以来2回目の遅延だ。
※プライバシーサンドボックスとは
広告テック企業向けのクッキーレス(Cookieless)時代のソリューションとして、Chromeブラウザでの新たなトラッキングや広告効果測定のためにグーグルが2019年に開発したプラットフォーム。
「グーグルは自らの運命をコントロールできていない」
プライバシーサンドボックスの進捗をつぶさにウォッチしてきたアドテク業界の内部関係者は、この遅延の原因は主に、世界最大の広告企業であるグーグルに決定権を委ねていいものかと懐疑的な業界と、グーグルが公正に競争するように設計された規制介入によるものだ。
ウェブ開発者、広告主、パブリッシャー、プライバシー権利擁護団体(ビジネス上の利害が大きく異なるグループ)などの間では、デジタル広告を支える新たなテクノロジーについてコンセンサスをとろうという動きもあり、さらなる遅延もありうる、と一部の専門家は指摘する。
プライバシーサンドボックスの製品管理担当シニアディレクターであるベン・ガルブレイス(Ben Galbraith)は、その事業規模の大きさを考慮してもっと時間をかけたいという声も広告業界の一部から挙がっている一方、遅延が続くのはよくないという声も耳に入ってくるという。
「グーグルが真剣に取り組んでいること、大規模投資を行ってきたこと、そして今後も大規模投資を続けること。私たちがやってきたことを見ていただければ、それが分かるはずです」(ガルブレイス)
遅延要因の中には、グーグルが意図していないものもある。
2021年、イギリスの競争・市場庁(CMA)による調査を受けて、グーグルはプライバシーサンドボックスの展開を公正取引監視機関に監視させると誓約した。この誓約には、いかなる変更についても有効化するまでに60日の期間を設けること、四半期ごとに監視受託者であるING Bankに進捗報告を提出すること、などの項目が含まれている。
CMAは先ごろの独自の進捗報告書で、グーグルはこれまで誓約内容を遵守してきたものの、「まだ取り組むべきことがある」と述べている。また、INGは今後「テクニカルエキスパートアドバイザー」を任命して、グーグルの提案が広くアドテク業界に与える影響を評価し、グーグルのデータ管理を監視することになる。
「グーグルはいま、Chromeがもはや自らの運命をコントロールできないという課題に直面しています。その運命はCMAに委ねられているわけです」
と、匿名で取材に応じたアドテク業界のベテランは言う。
パブリッシャーは懐疑的
専門家によると、プライバシーサンドボックスの提案仕様に対するテストは、軌道に乗るまでに時間がかかったという。
パブリッシャー向けにアドテクを提供するパーミュティブ(Permutive)でプロダクトマネジャーを務めるデビッド・ライシャー(David Reischer)は、広告のパフォーマンス計測ツールは高度になったものの、「オーディエンスターゲティングに関しては本当にひどい有様」だと言う。
ターゲティングに特化した提案の中でも特に顕著なのが、Topics APIとFLEDGE APIの2つだ。Topics APIは、オンラインコンテンツの閲覧履歴に基づいて、広告主が新たな顧客を見つけられるように設計されている。一方、FLEDGE APIはリターゲティングのためのもので、これを使うと、例えばナイキが人気のシューズ「エアフォース1」の製品ページを訪れた人に同製品の広告を配信できるようになる。
アドテク業界では今年3月にこれらの提案仕様のテストを始めたが、情報筋によれば、目下これらのテストは視聴者にほとんど届いていない。Chromeがまだブラウザのベータユーザーにしかテストを行っていないためだ。
このようにTopics APIはまだ初期段階だが、あまりにも多くのデータをグーグルに渡すことを懸念するパブリッシャーとの間ですでに衝突が起きている。また、Marketing Brewが報じているように、グーグルによるパブリッシャーへのトピック割り当てが「限定的」であるという事実も一部で明らかになっている。
何より、こういったトピックは広告主にとっても役に立たないおそれがある。Topics APIは現在、ユーザーの3週間分のブラウザアクティビティを利用して、ユーザーが興味を持ちそうな約300のトピック(例えば、書籍、チームスポーツ、自動車など)を特定し、広告主がターゲティングできるようにしている。
だが、洗練された広告主の中には潜在的視聴者を最大2500の属性に分類しているところもあると、ライブランプ(LiveRamp)のシニアバイスプレジデントであるトラヴィス・クリンガー(Travis Clinger)は話す。
FLEDGEにも問題がある。前出のパーミュティブのライシャーによると、この技術では、どの広告を表示するかを決めたり、同じ広告が大量に送りつけられないようにするためにChromeブラウザがユーザーのデバイス上で重い処理を行わなければならない。
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理論的には、これによりユーザーのデータがアドテクの仲介者に送信されることがなくなり、ユーザーのプライバシーは保護される。しかし、プライバシーサンドボックスに詳しい複数の人物が、Chromeにこれらの決定を下す権限を過度に与えてしまうのではないかと懸念している。
一方、Chromeのプライバシーサンドボックスのプロダクト責任者であるヴィナイ・ゴエル(Vinay Goel)は「プライバシーサンドボックスの提案仕様は、グーグルを独立したデータの権威者にするものではありません」と言う。グーグルはWWWコンソーシアムのフォーラムを利用して他の広告コミュニティと協力しており、フィードバックを積極的に求めて取り入れているという。
広告業界とも足並みそろわず
小規模なパブリッシャーに代わって広告を販売するカフェメディア(CafeMedia)の最高戦略責任者であるポール・バニスター(Paul Bannister)は、プライバシーサンドボックスの議論に積極的に参加しており、月に2回ほどChromeチームとミーティングを行っている。そのバニスターによれば、Chromeのチームは当初、こうした課題を予期していなかったという。
Chromeのチームは当初、ブラウザとの間のデータのやりとりはアドテク側がやるものだと考えていたらしい。
「ところが今になって『うわ、これはもしや、自分たちがリソースを割いて支援しないといけないんじゃないか』と思い至ったようです」(バニスター)
バニスターによれば、Chromeチームは広告界隈と密にやりとりしており、現在は隔週でミーティングを設けて、より多くの企業にプライバシーサンドボックスを試してもらおうとしているという。Chromeのプロダクトマネジャーや技術責任者たちと話せる「オフィスアワー」も設けたり、今年4月にはアドテク業界での経験が豊富なジョーイ・トロッツ(Joey Trotz)をプライバシーサンドボックスのプロダクトマネジャーに任命したりもしている。
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グーグルはいま、初期トラブルを解消するべくアドテク業界からのフィードバックを求めている。しかしCookieがまだ運用されており、また特に景気悪化によりマーケターの財布の紐が固くなっている今、急いでプライバシーサンドボックスのテストに乗り出す必要はないと考える広告主やパブリッシャーもいる。
前出のアドテク業界のベテランは次のように話す。
「第4四半期にテストが行われることはないでしょうね。この期はどこも利益を計上する時期ですから。2023年まで大きなテストは行われないと思いますよ」
(編集・常盤亜由子)