終戦から77年。都心のオフィス街には、わずかながら戦前・戦中の東京の姿を伝える建物が残っている。
撮影:吉川慧
77回目の「終戦の日」を迎えた。
戦時中の度重なる空襲で、東京の街は焦土と化した。終戦から77年が経った今、あの戦争の記憶は遠くなりつつある。街には無数のビルがそびえ、自動車や鉄道が行き交い、人々は街を闊歩し、平和を謳歌している。
それでも東京都心、それもオフィス街に、わずかではあるが戦前・戦中の東京の姿を伝える建物が残っている。
馬喰町一丁目の交差点。
撮影:吉川慧
東京・中央区の日本橋馬喰町(ばくろちょう)。中央区の北端に位置し、台東区との境にある地域だ。北側は神田川の下流に面し、隅田川にもほど近い。隣接する横山町とともに国内有数の繊維・アパレル・雑貨類の問屋街として長年栄えてきた。
馬喰町の町並み。
撮影:吉川慧
そんな町に戦争の記憶を伝える建物がある。その名は「イーグルビル」。東京大震災後、ノート類の卸問屋「イーグルノート」の店舗兼住居として1930年代に立てられた鉄筋コンクリートのビルだ。
日本橋馬喰町の「イーグルビル」
撮影:吉川慧
戦時中には20坪ほどの地下室が防空壕に。度重なる空襲で馬喰町・横山町地域も甚大な被害を受けたが、イーグルビルは耐火建築だったことから延焼を免れることができたという。
中央区では、このビルで東京大空襲を体験した中田多嘉子さんの証言を紹介している。
「地下室は部屋の壁に沿って土嚢を高く積み、中に畳を敷き、缶詰などの食料品、ローソクや薬などが備えてあった」
「うちのビルにいた人は、多い時は5、60人を超しただろうか。初めから避難してきた近所の方が数十人いた。自分の家が焼けて、あとから来た知らない人が何十人もいた」
「地下室にいても焼夷弾が近くに落ちてくるのがわかった。ヒューッという音は風を切る音だった。遠くを電車が走るような、ゴウーッ、ゴウーッという音も聞いたが、あれも落ちてくる音だったのか、それとも家の燃える音だったのか」
「とにかく、無事に夜が明けた。『ありがとうございました』『おかげで、助かりました』と口々に言って、避難していた人がぞろぞろ出て行った」
(「鉄筋のビルで焼けずにすんだ」 中田多嘉子)
撮影:吉川慧
2017年、イーグルビルの1階はリフォームされ「Bridge」という名のカフェがオープンした。
店頭には「イーグルビルのこと」と題したパンフレットが置かれ、このビルが歩んだ過酷な歴史を伝えている。
一方、奇跡的に戦災を免れたことで、空襲で失われる前の東京の面影がわずかに残る地域もある。
千代田区の神田須田町。サブカルの聖地「秋葉原」に隣接するオフィス街だ。
神田須田町の交差点。
撮影:吉川慧
明治期には中央線の前身「甲武鉄道」の始発駅「万世橋駅」がつくられ、大正期を通じて鉄道・市電のターミナルとして繁栄。その後、中央線が東京駅まで延伸したことで利用客が減少し、やがて駅はなくなった。駅舎跡には2006年まで「交通博物館」があったことでも知られる。
神田須田町界隈の町並み。
撮影:吉川慧
神田須田町界隈は、かつて「連雀町(れんじゃくちょう)」の名で呼ばれ、樋口一葉の小説『別れ霜』にも登場する。
この地には関東大震災後に立てられ、戦時中の空襲・延焼を免れた建物で今も営業を続ける老舗がいくつもある。
『鬼平犯科帳』などで知られる作家・池波正太郎も、江戸〜昭和初期の情緒を残すこの界隈の店に足繁く通った。
神田まつや。
撮影:吉川慧
老舗の蕎麦店「神田まつや」の建物は1925~26年(大正14〜昭和元)年に竣工した近代和風建築。店内は広い土間、テーブルに椅子席。出入り口の上には松の葉をあしらったデザインがある。都選定歴史的建造物、千代田区景観まちづくり重要物件。
竹むら。
撮影:吉川慧
「竹むら」は1930(昭和5)年創業の甘味処。入母屋造り、木造3階建ての建物もこの頃に竣工した。2階の欄干には竹と梅の模様があしらわれている。アニメ「ラブライブ!」では主人公・高坂穂乃果の実家のモデルとなった。都選定歴史的建造物、千代田区景観まちづくり重要物件。
いせ源。
撮影:吉川慧
「いせ源」本館の建物は1932(昭和7)年竣工。入母屋造り、2階の欄干にあしらわれた菱形の模様が特徴。都内では珍しいあんこう鍋を専門とする老舗だ。都選定歴史的建造物、千代田区景観まちづくり重要物件。
ぼたん。
撮影:吉川慧
鳥すきやきの老舗「ぼたん」は1897(明治30)年頃創業。建物は昭和初期(1930 年頃)竣工。神田須田町界隈はかつてラシャ(羅紗)生地の問屋街としても栄え、ぼたんもかつて「釦(ボタン)」を扱っていたことを屋号の由来とするという。都選定歴史的建造物、千代田区景観まちづくり重要物件。
山本歯科医院。
撮影:吉川慧
明治期に創業した山本歯科医院の建物は、関東大震災後の1928(昭和3)年に診療所兼住宅として新築された3階建ての建築。2005年には国の登録有形文化財に指定された「看板建築」だ。千代田区景観まちづくり重要物件。
鷹岡(株)。
撮影:吉川慧
須田町交差点に面した鷹岡(株)の建物は1935(昭和 10)年に竣工の昭和モダニズム建築。1階は錆御影石、2階以上は薄茶色のスクラッチタイル貼りによる二層構造の外観が特徴だ。千代田区景観まちづくり重要物件。
太平洋戦争の終結から2022年で77年。「77年間」という月日は、1868年の明治維新から太平洋戦争の終戦の年までと同じ長さだ。
戦争を経験した世代は一人、また一人と世を去っていく。あの時代に何があったのか。それを知る機会は日ごと失われつつある。
昭和初期の建築は、戦前・戦中を生きた人々の記憶や街の面影を今に伝える。物言わぬ建物だが、そこには歴史を知るヒントが詰まっている。
(文・吉川慧)