アマゾンが7月下旬に発表したプライマリ・ケア(初期診療)サービスの39億ドル買収には、知られざる舞台裏の駆け引きがあった。
Amazon; Reuters; Marianne Ayala/Insider
Insiderの既報通り、アマゾン(Amazon)は医療サービススタートアップのワン・メディカル(One Medical)を39億ドル(約5300億円)で買収。アンディ・ジャシー最高経営責任者(CEO)がかねてから表明していたプライマリ・ケア(総合診療専門医による初期診療)事業への本格参入を決めた。
しかし、この巨額買収劇には前段があり、アマゾンに先行する競合企業の存在があった。
その企業とは、米ドラッグストア大手であり、薬剤給付管理(医療保険会社に代わって製薬会社との薬価交渉、推奨医薬品リストの作成を行う)事業や医療保険事業でも業界大手の一角を占めるヘルスケア複合企業、CVSヘルス(CVS Health)だ。
アマゾンと同様、プライマリ・ケア事業への参入意図を表明していたCVSは、ワン・メディカル買収合戦で敗れた後、早くも「プランB」として他の買収先を模索している。
これまで、アマゾンとCVSの買収合戦の内幕は明らかになっていなかったが、ワン・メディカルが米証券取引委員会(SEC)に提出した委任状説明書(株主総会に提出される議案内容の説明書)が近ごろ開示され、9カ月にわたる買収劇の大筋が分かってきた。
業界関係者の間では、CVSは「買収価格」でアマゾンに競り負けたとの憶測が広がっていたが、実際には、ワン・メディカルが望んだ「迅速な合意」に応じられたかどうかが、勝敗の分かれ目だったようだ。
アマゾンは爆速で動いた。対するCVSの動きは鈍く、そして競争から脱落した。
もちろん、ワン・メディカルはより高い価格での買収も望んだ。ただ、水面下での交渉が表沙汰になってアマゾンが身を引く展開を懸念し、固執はしなかった。結果的に、両社が合意した買収価格は1株当たり18ドルだった。
ワン・メディカルは会員制のプライマリ・ケアサービスを展開する米ナスダック上場企業。アマゾンは同社を買収することで、全米に200以上あるクリニック、79万人の個人会員、8500社の法人会員を抱えることになる。
アマゾンは2021年に法人向けのバーチャルケア(オンライン診療)サービス「アマゾン・ケア(Amazon Care)」をローンチさせたものの、契約企業数は伸び悩んでいた。
ワン・メディカルのクリニックや医師、顧客という資産を獲得することで、アマゾンのヘルスケア業界における存在感は一気に増す。また、CVSを買収合戦で出し抜いたことは、他の競合企業にとって大きな脅威となるだろう。
なお、今回の買収合戦に敗れたCVSを含めて、ヘルスケア業界の大手企業にも逆転や挽回の余地はまだ十分にある。
米投資銀行ジェフリーズ(Jefferies)のヘルスケアアナリスト、ブライアン・タンキルトが「理にかなった買収候補はまだ他にもある」と語るように、プライマリ・ケア・クリニックを運営する企業は過去10年間で爆発的に増え、選択肢は豊富にあるからだ。
それはさておき、ワン・メディカル買収合戦の内幕をここから見ていこう。
CVSはアマゾンより3カ月以上早く動き出した
CVSヘルスがワン・メディカルに最初に接触したのは、2021年10月だった。
ワン・メディカルの委任状説明書(前出)によれば、「A社」の財務アドバイザーがワン・メディカルのアミール・ダン・ルービンCEOに連絡を取り、「A社」が提携または合併・買収に高い関心を持っていることを伝えた。
ワン・メディカル(One Medical)創業者兼最高経営責任者(CEO)のアミール・ダン・ルービン。
One Medical
ブルームバーグ(Bloomberg)は7月5日、CVSがワン・メディカルと進めてきた買収交渉が破談になったと報じ、さらに8月11日には匿名関係者の証言をもとに、上記の委任状説明書に登場する「A社」がCVSであることを確認したとの続報を打っている。
InsiderはCVSヘルスの広報担当にこのブルームバーグ報道の真偽を確認したが、「噂や憶測にはコメントしない」との対応だった。
さて、「A社」ことCVSヘルスの財務アドバイザーから打診を受けたワン・メディカルのルービンCEOは、買収交渉入りに同意。2021年10月26日には、ワン・メディカルのビョルン・ターラー最高財務責任者(CFO)とCVSの経営幹部の会談が実現した。
両社は同年11月中旬に秘密保持契約を締結し、その後数カ月にわたるデューデリジェンス(財務・法務的問題点やリスク、資産価値などの事前調査)と交渉が始まった。
だが、その進展は遅々としたものだった。
委任状説明書によれば、CVSは2022年1月末の時点で評価額を示さず、具体的な買収提案を行うこともなかった。その2カ月後、CVSはようやく「買収を前向きに検討しているものの、評価額の決定には時間がかかる」ことをワン・メディカル側に伝えた。
そうこうしているうちに参戦してきたのが、アマゾンだった。
アマゾンは買収交渉からいったん手を引いた
米カリフォルニア州サンフランシスコにあるワン・メディカル(One Medical)のクリニック。ここを含めて全米200拠点以上を展開する。
One Medical Group
CVSが買収監査に時間をかけている間に動き出したのが、ワン・メディカルの財務アドバイザーを務める米金融大手モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)だった。
同社は2月9日、ワン・メディカルのルービンCEOとアマゾンのバイスプレジデント(経営企画担当)カルロ・ベルトゥッチの会談を設定し、それを皮切りに、アマゾンとワン・メディカルの買収交渉が始まった。
ただし、ワン・メディカルはすぐにアマゾンに乗り換えたわけではない。より有利な条件を引き出すため、CVSとアマゾンを天秤にかけたのだ。
ワン・メディカルは多額の現金を必要としていた。
同社は2021年9月に同業のアイオラ・ヘルス(Iora Health)を21億ドルで買収したばかりだった。2007年の創業以来、一度も黒字を計上したことのないワン・メディカルの手元資金は、当時底を尽きかけていた。
委任状説明書によると、同社は景気後退入りが現実味を帯びるなか、2022年末までに3億ドルを調達する必要に迫られていたという。
だが、数々のM&A案件を手がけてきたアマゾンのほうが一枚上手だった。
4月下旬、ワン・メディカルが希望する評価額が高すぎることを理由に、アマゾンは買収からいったん手を引くと同社に通告した。ただし、提携や一部出資の可能性は引き続き検討するとして、交渉の余地を残した。
一方、CVSヘルスは6月1日にようやくワン・メディカルに具体的な条件を示し、買収を申し入れた。その条件は1株当たり17ドル、現金でワン・メディカルの全株式を取得するというものだった。
さらに翌日、CVSは買収価格を1株当たり18ドルに引き上げた。しかし、ルービンCEOはすぐに首を縦に振らなかった。その条件で交渉を続けることに同意しながらも、独占交渉を求めるCVSの要請は断った。
そして、ワン・メディカルはCVSから正式提案があったことをアマゾンに告げた。
買収価格より交渉術
米医療保険大手エトナ(Aetna)の社長から転じた、CVSヘルス(CVS Health)のカレン・リンチCEO。
Aetna
再びワン・メディカルとの買収交渉の席につくことを決めたアマゾンは、何度かのやり取りの後、7月2日にCVSと同じ1株当たり18ドルという金額を提示した。
その事実を知ったCVSは、買収の最終合意に向けて迅速に交渉を進めることに一度は同意したにも関わらず、ルービンCEOに対して「それは難しくなった」と伝えた。
アマゾンに対抗できる条件を再提示するには時間が必要だと判断したのだ。
逆にアマゾンは強気で押した。1株当たり18ドルの現金を支払うほかに、ワン・メディカルが抱える3億ドルの債務も引き受けると提案。同時に、7月18日までに最終合意契約を結ぶこと、しかもそれまでに買収計画が外部に漏れた場合は、契約を破談にするという硬軟織り交ぜた条件を示して、ルービンCEOに決断を迫った。
これを受けてルービンCEOは7月5日、交渉のために残された時間はもう少ないことをCVSに伝えた。先述のようにブルームバーグがワン・メディカルの身売り検討を初めて伝えた(交渉相手の具体名、すなわちアマゾンの名前は記事に登場しない)のも、まさにこの日だった。
ルービンCEOはその時点で、CVSとアマゾンのいずれかがさらに買収価格を引き上げてくれることを期待していた。しかし、CVSから新たな条件が提示されることはなく、ブルームバーグの報道後に新たに買収に名乗りを上げる企業もなかった。
アマゾンが示した7月18日という最終期限が迫り、ワン・メディカルの取締役会は焦り出した。アマゾンの名前が報道されてしまったら、同社が提示した条件通り、買収を中止すると思われたからだ。
結局、ワン・メディカルの取締役会はアマゾンの条件を受け入れるしかなかった。
期限の2日後の7月20日、アマゾンとワン・メディカルは最終合意契約を結び、翌日それを公表したのだった。
(翻訳:田原寛、編集:川村力)