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岩手に起業家呼び込みビール醸造会社が誕生。批判に動じないのは「クレイジーな祖母」の影響【Next Commons Lab・林篤志2】

Next Commons Lab 林篤志

撮影:千倉志野

2018年春、岩手県遠野市にクラフトビール醸造会社・遠野醸造が誕生した。Next Commons Lab(以下、NCL)が仕組みをつくったローカルベンチャー企業の第1号だ。

第2回はNCL代表理事である林篤志(36)の思想を具体化した、この初めての事例の紹介から始めたい。話を聞いたのは遠野醸造・代表取締役の袴田大輔(34)だ。袴田はNCLが2015年に仕組みをつくったローカルベンチャー事業の最初の応募者だった。

「起業を目指していたわけではなかった」

遠野醸造ウェブサイト

遠野醸造は「醸造家・生産者・地域住民が一体となって知識やアイディアを共有した開かれたビール造り」をモットーにしたブルワリーレストランだ。袴田は写真左。

遠野醸造 公式サイトよりキャプチャ

袴田は青森県の進学校から筑波大に進学後、なぜ勉強をするのかが分からなくなり、2年間休学して30カ国を旅した。各地で土地ごとに風味の異なるクラフトビールに魅せられた経験がのちに遠野醸造の発想へとつながるのだが、新卒で就職したのはグローバル展開する衣料系消費材企業だった。

小さな店舗の店長、新店舗の企画、マネジメントおよび副店長を経験し、億単位を売り上げる興奮はあった半面、大量生産大量消費のシステムのもと、つくる人や買う人との関わりが持てない仕事に虚しさを覚え、退職。横浜市のクラフトビール会社に転職したが、工場移転が決まり、行き詰まった。

ときは前後して2015年、林は岩手県遠野市に移住しNCLを始めた。そして地方創生事業の一環として総務省が推進していた「地域おこし協力隊」を活用したローカルベンチャー事業の仕組みをつくった。それは、遠野市の資源(農産物、自然、人など)を活用して遠野市で事業を始める若者を地域おこし協力隊として募集するというものだ。

遠野市にとっては地元の資源を生かした独自の産業が起こることによって過疎化や労働人口の減少に歯止めをかけ、地域活性化が期待できる。他方、起業を希望する側は、3年間、地域おこし協力隊としての生活費を得ながら起業の準備をすることができる。

行き詰まっていた袴田はNCLと遠野市がビールプロジェクトの募集をしていることを知り、応募した。背景には遠野市がビールの原材料、ホップの栽培面積日本一だったことがある。生産量が最盛期の7分の1に落ちていることに危機感を持っていた遠野市とNCLとキリンビールが組んで、クラフトビールで起業する人材を公募した。それがNCLのローカルベンチャー事業の初動だった。

「起業を目指していたわけではありませんでした。でも、ローカルベンチャー事業の募集を見たとき、これは自分にできることかもしれないとふと思えた。クラフトビールで起業してみようと決心できたのは、NCLのローカルベンチャー事業の枠組みがあったからです」(袴田)

NCLと遠野市の公募に48人が応募し、事業計画が選ばれた10人が移住した。

「僕はビールですが、それぞれにテーマは違います。同期の彼らと初めての土地での不安や悩みを共有できたのはとてもありがたかった」

NCLのコーディネーターは遠野市の中にネットワークを持っていて、誰に挨拶に行くべき、とか、あの人とつながっておくといい、などのアドバイスをし、袴田を実際に引き合わせた。地域おこし協力隊は一般には派遣先の自治体に籍を置くが、NCLと遠野市の間で調整し、役所関係の仕事をせず起業の準備に専念することができた。

2017年に仲間と3人で遠野醸造の設立にこぎつけた。

林との接点は頻繁ではなかったが、定期的に開かれるNCLの集まりで林がNCLのヴィジョンを語り、方向性について共有した。だが、その頃、林は全国にNCLを広げるために月の半分は出張していて、遠野では林の不在への批判もあったという。

「あいつは遠野にいないとか、口だけだとか、林さんに批判的な人も確かにいました。でも、現場で仕切る役割とは違うところに林さんの仕事はあると僕は思っていました」

自治体には実験に近い提案をする

土肥潤也

NCL理事の土肥潤也は、静岡県焼津市を拠点に私設図書館を創設してシャッター街を活性化している。その仕組みは全国30地域に広がった。

撮影:千倉志野

NCLの理事でディレクターの土肥潤也(26)は今年で参加して4年目だ。現在、土肥は全国のNCLの拠点の支援や拠点間のコーディネートを担当している。大学院を修了したタイミングで知人経由でNCLへの参加を誘われたとき、迷ったという。

「NCLは当時設立3年目で、構想力が強いチーム。一方で、必ずしも現場が構想に追いついていない部分もありました。だから現場でファシリテーターとしてやってきた経験を期待されて、NCLに誘っていただけたのだと理解しました。新しい取り組みであるがために、現場に求められる力は高度で大変なことも多いですが、NCLのやり方は普通の企業や団体とはかなり違っていて、そこが面白いと思いました」

どこに面白さを感じたのだろう。

「このサービスを使ったらこんなふうによくなりますよと相手のメリットを説明するのが一般的な営業だとすると、NCLは、きっとこれをやると社会はよくなる、という文脈で実験に近いレベルの提案を企業や自治体にするんです。そういうことをやっていく人たちがいないと社会はアップデートしていかない。普通の人には思いつかない林さんの描く未来像を社会は必要としているんだと思います」

袴田と土肥の林についての指摘で一致していたのは、林が他者からの批判を全く気にしていないということだった。二人の口ぶりから想像される林は、見る人によっては自分のことを「口だけの人」「実践がない人」と言われることも重々承知したうえで、悪びれずに平然としている人だ。

実家から数分の祖父母宅で暮らした小学校時代

Next Commons Lab 林篤志

撮影:千倉志野

図太さの背景には本人も認める「高い自己肯定感」がある。

「実は、僕の祖母がクレイジーでして」

生い立ちの話をするとき林が軽く照れた。林は愛知県一宮市に生まれている。3人兄弟の長男なのに、同じ一宮市に暮らす母方の祖父母が溺愛するあまり、小学生の6年間、林は実家から徒歩圏内にある祖父母宅で生活した。

田んぼや畑が広がる田園地帯と家内工業を営む家が混在する地域で、祖父母は繊維工場を経営する傍ら畑を耕し野菜を育てていた。林は小学校から工場へ帰宅し、工場の中で宿題をした。外へ出れば草むらや田んぼ脇の水路にいる小さな生き物に飽きず目を凝らした。祖母は何をしても林を褒めて感心してかわいがった。

この6年間が林の自己肯定感を育み、同時に自然との共生への意志とテクノロジーを掛け合わせる林の活動の土台となった。自然の豊かな環境で、祖母からクレイジーなほどの愛情を注がれ、何も強制されずに伸び伸びと育った。

国立豊田高等専門学校を卒業後、東京のシステム開発会社にエンジニアとして就職する。このときの会社員経験は「自分はどうやって生きたいのか」を林に自覚させることになる。

仕事は面白かったが、平日に5日も顔を合わせる人たちと週末までゴルフなどで一緒に過ごさなくてはならない意味が分からなかった。上司や先輩は自分の心の内を共有・共感し合える仲間ではなかった。自分が快適ではないルールに押し込められそうになると「それはあなたのルールでしょう?」と思ってしまう。

ここにずっとはいないだろうと転職を考え始めていたところへ、ある人から「(何かをしたいのなら)人を集めてみなよ」と助言を受けた。

元服役囚でも教えられる何かを持っている

セミナーの様子

林は、本業をやりつつ、さまざまなバックグラウンドの人から話を聞くセミナーを開講する(写真はイメージです)。

mapo_japan / Shutterstock.com

そこで、会社で働きながら、毎月講師を招いて話を聞くセミナーを始めた。ヤクザの組長、ぼったくりバーの店長、ホームレス、キャバ嬢、殺人犯の元服役囚など、林が話を聞いてみたいと思いついた人を探して連れてくるのだ。

ネットの裏掲示板などで探したこともある。殺人歴のある人を探したときは「前科のある人でもできる仕事あります」と半ば強引な告知をして喫茶店に呼び出して口説き落とした。林の好奇心だけで選んだのだが、そのうち、「面白いことをやっているヤツがいる」と、口コミで紹介してもらえるようになった。

1年間にわたって続けた12回の勉強会を通して林が知ったのは「すべての人が教えられる何かを持っている」ということだ。

勉強会を終了するのと同時に退職し、2009年にIDEEの黒崎輝男が開校した自由大学の事業に参加する。

第1回で触れた通り、林はその2年後に東京・渋谷で東日本大震災を経験した。このことが、ポスト資本主義社会への狼煙を挙げるゼロ地点となり、林を地方へと向かわせることになる。

2011年7月には人口1000人の高知県土佐山地区へ移住し、「土佐山アカデミー」を発足した。林と地方がつながったのはこのときからだ。 地域の人と外の人が互いに「先生」となって自身の知恵を分け合い、地域の資源を生かし課題を解決しながら豊かな暮らしを育むことができる、そんな理想を描いた。

地元の人たちと朝まで酒を飲み、手間をかけて信頼関係をつくりながら物事を進めていく。そうして移住者は増えたものの、自治体との交渉に行き詰まりを感じる。

都市から地方へと移住した人たちが定住するための受け皿をはじめ、過疎化や少子化の課題に根本的に向き合う姿勢が自治体の側にはないことを知り、社会の仕組みを変えるのは難しいという思いに行き着いた。そして、NCLでも試行錯誤は続いた。

NCLの目的を起業家たちに背負わせていいのか

Next Commons Lab 林篤志

撮影:千倉志野

「NCLは家に例えるならリノベではなく掘っ建て小屋でもいいから、自分でゼロから建てることを目指すようなものです。

起業家を募集して地域に送り込んでサポートをするわけですが、ポスト資本主義社会を具現化するというNCLの目的まで起業家一人ひとりに背負わせるのは重いなと気付きました」

当人たちは知らない土地に移住して事業を成功させなければいけない。ポスト資本主義的な志向は持っているとしても彼らも生活をしていかなくてはならない。

それは野球で例えるなら、「センターからホームまでワンバウンドもせずに球を投げるようなもの。イチロークラスの選手でないと難しい」(林)。

一方で、売り上げを追い求めて拡大志向になれば、結局は都市型の資本主義経済に近付いていることになり、地方でやる意味が分からなくなる。

「売り上げを求めるのか、地域に求められるものをつくるのか。つまり、クラフトビールで考えるなら、東京で何万個も売れるビールを地方から目指すのか、それともその地域の1000人みんなが飲んでいるビールで、かつ住民のコミュニティになっているようなブルワリーをつくるのか。そういうことを考え続けました」

そしてNCLの開始と同じ頃、私生活では子どもが生まれた。本当の意味での暮らしが始まる。それはNCLの思想とも通じる大切な営みであると頭では分かっている。

だが、立ち上がったばかりの事業に集中もしなくてはならない。それは林の葛藤の始まりでもあった。

(敬称略・続きはこちら▼)

(第1回はこちら▼)

(文・三宅玲子、写真・千倉志野)

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