起業家の離婚危機は「決められたルールの中で戦うから起きる」反省から見出した家庭とのバランス【Next Commons Lab・林篤志3】

Next Commons Lab 林篤志

撮影:千倉志野

人生を左右する重要な二つの事柄が同時に動き出すことは、時としてないだろうか。

Next Commons Lab(以下、NCL)代表理事である林篤志(36)にとって、30歳を迎えた2015年はそのような年だった。この年の夏、林はパートナーの渡辺敦子(45)とともに岩手県遠野市に移り住んだ。

遠野市は北上山地の南にある。遠野盆地は冬になると放射冷却により気温がマイナス20度にまで下がる豪雪地帯だ。その遠野市に移り住んで1カ月後、長女が生まれ、林は父親になったが、この時点でNCLを遠野市だけでなく全国へ広げる設計図を頭に描いていた。

月の半分不在、妻はワンオペ育児の時期も

林の自宅横にある手作りのブランコ

撮影:千倉志野

スタートアップにとって初動は生命線だと言われる。起業直後にどれだけ機動的に動き、資金を集め、世の中にインパクトを持ってアプローチできるかはその後の成長を左右する重要なポイントだ。そのため、多くのスタートアップのCEOは資金集め、ネットワークづくり、市場の開拓に息つく間もなく突き進む。

林は株式会社の形をとらず一般社団法人として始めることを選んだが、初動期が重要であることはどんな組織も同じだ。

娘の誕生とNCL発足の準備は同時進行となる。月のうちの2週間は各地出張で不在にする林と、慣れない環境で一人で育児をする渡辺はぶつかってしまう。そんな波乱含みの中、遠野の生活は始まっていた。

社会を構成する最も小さな単位が家族だとすると、家族は制御システムとはおよそ相容れない。生活リズムは自律することができたとしても、そこには一緒に暮らす人の感情という目に見えない周波が飛び交う。

エンジニア出身の林の思考は「システム構築」であるのに対し、渡辺は中央大学法学部を卒業後、筑波大学で日本画と陶芸を学び、顔の見える関係の中でのものづくりから派生するコミュニティを大切にしたい「生活の人」。家庭内の調整にもシステム論を持ち込む林は、渡辺の目には生活の機微にあまりに無頓着に映った。

だが二人は両極にあるようでいて、自然と共生しながら人が助け合う社会の実現を望んでいるところは似た者同士であるらしい。

ポスト資本主義掲げても矛盾に葛藤

スターネット

渡辺が新卒で就職したスターネットは、栃木県をベースに自然と土地と現代の暮らしの調和について発信している。

スターネット公式ウェブサイトよりキャプチャ

出会いは土佐山アカデミーだった。渡辺は大学を卒業後、栃木県益子町のスターネットに就職している。

スターネットの創設者はクリエイターの馬場浩史だ。馬場は、土地に根ざしたものづくりの美を、つくり手の顔が見える関係で手渡していく場所としてスターネットをつくった。オーガニックレストラン、ギャラリー、ものづくり工房などを備えた場所だ。

渡辺は馬場のもとで、ものづくりをする人たちを受け止める益子町独特の温かさや、顔が見える関係の中で得られるものの安心感を体験した。

その後、東京でエシカルファッションと日本のクラフトを扱うセレクトショップを企画立案し、ブランドプロデューサーとして活躍する。その渡辺の経験を、3年目を迎えた土佐山アカデミーの起業家プログラムの参加者たちに話してほしいと林が渡辺を講師として招いた。

その頃渡辺は東京から地方への移住を考えていて、すでに土佐山を経験している林は頼もしかった。意気投合して恋愛が始まり、遠野への移住もすんなり決まった。移住先に遠野を選んだのはむしろ渡辺のリードによる。

ところが赤ちゃんとの生活の現実で不協和音が生じたのは前述の通りだ。前後して渡辺もNCLの企画メンバーとなり、前職の経験を生かしてNCLで「食」「産後ケア」をテーマにしたコンテンツの開発を始めた。

林はポスト資本主義を実現する新しいシステムとしてNCLを語り、渡辺はNCLのコンテンツをつくる。異なる役割を担い合える良い組み合わせのようだが、生活に根ざした視点に興味が持てないのか、理解できないのか、大きな話に終始する林と、手を動かす一つひとつの仕事の連続で形づくられる生活の確かさを大切にする渡辺は、家庭でもNCLのプロジェクトでも噛み合わなくなる。

その頃の林は、ポスト資本主義社会を目指したプロジェクトをダイナミックに進めなくてはという焦燥感と、ポスト資本主義社会を標榜しながら社会の最小単位である家族や生活を大切にすることができていない矛盾に葛藤していた。渡辺は林に対し、生活を大切にできずにポスト資本主義社会の実現ができるのかと疑問を持った。

衝突と和解のための話し合いは数えきれない。そんな中でも2年後には次女が誕生する。

その後、家族は遠野を離れ、鎌倉での短い生活を経て2021年から長野県北佐久郡の御代田に暮らしている。

ウッドデッキが象徴する意見の違い

Next Commons Lab 林篤志

リビングの窓の向こうには、DIY中のウッドデッキが見える。このウッドデッキをめぐる林と渡辺の意見の違いは、二人の考え方の差を象徴しているようだ。

撮影:千倉志野

御代田を選んだ理由のひとつは、風越学園だった。風越学園は御代田町の隣町、軽井沢町に2020年につくられたばかりの幼稚園・小・中学校一貫のプライベートスクールだ。子どもを真ん中において、子どもにとってのより良い学ぶ場所とは何かを考え、学校と親が一緒につくっていくという新しい学校だ。自然の中で草木や土、鳥や虫を身近な存在として体感することを大切にしている。2021年から姉妹は通い始めた。

4人が暮らす森には美しい佇まいの古い別荘が点在する。一帯は、1970年代に東京大学の社会学系のゼミの卒業生たちが共同で購入したコミューンのような場所なのだという。林たちが暮らす、絵本から抜け出たような美しい家は、老齢で維持ができなくなった持ち主から10万円で譲り受けた。渡辺が益子町のスターネット時代に知り合った建築家と大工に依頼してリノベーションした。

リビングの掃き出し窓の向こうにむき出しの木肌がまだ新しいウッドデッキが見える。家の庭から切り出した木を製材所に持ち込んで製材し、板を組み合わせて林が大工仕事をしている途中だ。ウッドデッキをめぐる夫婦の意見の違いはそれぞれの特性を象徴的に表していた。渡辺は「手づくりするのが当たり前」。林は「工務店に注文すれば1日でできる」。

自分たちでつくることから生まれる生活の温かさや美しさは日常を愛おしむ生き方につながるという渡辺に対し、林の本音は「自分がつくると4日かかる。プロに頼めば1日でできる」。NCLのシステムを少しでも前進させたい林には、時間はいくらあっても足りない。NCLを優先すれば、大工仕事は外注することになる。ウッドデッキづくりを引き受けてくれる大工を探すのはわけのないことだ。

だが、それはNCLの目指すポスト資本主義の社会像からやや離れはしないだろうか。自立して自由に生きられる人たちから成るコミュニティの構成員は、生活の手間暇を惜しまないことは大切な要件だ。

家庭の話になったとき、林がこんなことをつぶやいた。正直言って、NCLとか仕事とか、僕にとって難しいことは何もない、家庭こそがいちばん難しい、と—— 。

「家庭のことは簡単にいろんなことをすっ飛ばしてはできない。僕は放っておくとマクロで抽象的なシステムの話ばかりに頭が行ってしまいますが、妻は僕と違って暮らしの人です。

ウッドデッキのことみたいな具体的なものも大事だと今は思うようになりました。それは地域のことも同じだと思うので、この頃は抽象論と具体的なことの反復運動をしています」

ポスト資本主義社会の狼煙は、「生き方を変えよう」と世の中に提案することにほかならない。それには林自身がまず生き方の点検を迫られる。もともとの林はといえば、実はホテル暮らしが続いても平気なタイプだ。

だが、パートナーと出会い、子どもを授かり、子どもと一緒に生きていくというタイミングと林の事業が同時期に始まり、林は生活というもののリアリティから逃げられない状態になった。それは生き方を変えることを真剣に考えるまたとない機会だった。

「遠野の頃はNCLを成功させるために家族を犠牲にする形になっていた。起業家に離婚危機が多いのはよく聞く話ですが、決められたルールの中で戦うからそうなるんだと今は気付きました。競争に勝つためには、何かを犠牲にしなければいけないというのは当たり前。

なら、そのルールの中で戦わない、新しいルールを自分でつくれば、そこはまだ競争がないので、何かを犠牲にしないと成り立たないということはない。今の自分はそうやって暮らしとのバランスを取っているし、逆に当時の自分は決められたルールの中で戦っていたと思います」

一緒に始めた一般社団法人

御代田の根

「御代田の根」のインスタグラムアカウントには、子どもを含めた多種多様なアクティビティについて投稿されている。

御代田の根 インスタグラムよりキャプチャ

NCLからは距離を置いた渡辺だが、御代田で林と一緒に新しく始めた活動がある。きっかけは子どもたちの放課後の居場所を考えたことだった。

風越学園には学童クラブはなく、また各家庭は学校から離れているため、毎日の送迎が必要だ。共働きの3家族が集まるうちに、子どもとの暮らしで手助けはどの家庭でも必要としているし、コロナ禍で子どもも大人も直接人と会える場所を求めている、という話になった。

そこで、3家族が中心になって、一般社団法人「御代田の根」をつくった。日本財団からの助成と御代田町からの町有地の提供を受け、子どもも大人も集える広場づくりに着手した。

広場に森を育み、体を動かして草を刈り、地面を整え、広場をつくっていく過程を通して大人たちが知り合い、関わりを持ち合う。また、森が育まれる過程に携わりながら、自然のサイクルとバランスを自分たちの生活に取り戻していくことを目指している。

背景には保護者たちに共通する問いがあったという。「お金を稼げる人が偉い」「生産性が高いことは重要」「市場で売れないものに価値がない」といった現代の価値観は果たして自分たちにとって必要なものなのか—— 。

広場の地中に微生物が増えて土壌が豊かになるよう、大人たちは近隣の森から落ち葉や枯れ枝を集めて“通気浸透水脈”をつくるために、枝や炭を地中に埋めた。森を育む作業の過程で、大人たちは上記の問いに対する答えを全身で感じ取っていく。答えはもちろんノーだ。

渡辺は「御代田の根」で代表理事を務める。「御代田の根」について、渡辺は次の言葉をキーワードとして挙げた。

保育シェア、自然資本、土木、森・杜、“つくる”こと、シェア、循環、ギフト。

「御代田の根」のビジョンと林がNCL で描く新しい社会像は重なり合っている。対極なようでいて、二人は根っこがつながっている。

(敬称略・続きはこちら▼)

(第1回はこちら▼)

(文・三宅玲子、写真・千倉志野)

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