在宅ワークシフトの追い風を受けてバリュエーションが高騰したNotion。だがそのバリュエーションの高さがいま相当なプレッシャーとなっている。
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生産性向上のための情報共有サービスを提供するスタートアップNotion(ノーション)は、シリコンバレーでも特に注目度の高い企業だ。
同社のブームが加速したのはコロナ禍がきっかけだった。同社が提供するクラウド上の「オールインワン」ワークプレイスは、テック企業やベンチャーキャピタル(VC)、さらにはTikTokのインフルエンサーたちがこのソフトでスケジュール管理をしていることで話題となった。
しかし、2021年11月にマイクロソフトがNotionとよく似た外観と機能の「Loop(ループ)」という製品を発売すると発表すると、Notionのブームは一気に終わりを告げた。Loopは、Word、Excel、Teamsなどマイクロソフトを代表する生産性向上パック「Microsoft 365」に含まれており、Microsoft 365の有料ユーザーは2021年4月時点で3億人を超える。
Notionの機能が「模倣される」こと自体に特段の驚きはない。競合が現れるとその機能を模倣するという動きはテック企業では決して珍しいものではないので、この展開を予想していた人もいただろう。特にオフィス向けソフトウェアは一部の大手企業が長らく独占してきた領域だったが、シェアを奪おうとするスタートアップ企業がこの2年で爆発的に増えている。
高いバリュエーションと景気後退という二重苦
Miro(ミロ)、Airtable(エアテーブル)、Notionなどの新規参入組がかつてないほどの資金とバリュエーションを獲得した要因は、主にコロナのパンデミックだ。突然「リモートファースト(在宅勤務優先)」となった従業員の作業効率を上げるべく企業各社が新しいソフトウェアを導入した結果、サービス利用者が急増して業界を揺るがす結果となった。
しかしこれらのスタートアップは今、重要な局面を迎えている。
非常に高いバリュエーションに見合う経営を維持しなければならないというプレッシャーに晒される一方で、顧客の多くは景気後退が迫るなかで支出を削減しようとしているからだ。
内部事情に詳しい関係者によると、こうした状況ではまず中小規模の会社や新規参入の会社のツールが解約され、大手企業の「スイート(パッケージ化されたソフトウェア)」製品のほうが有利になる傾向にあるという。
新規参入企業はここのところレイオフを行っているところもあり、業績が思うように伸びないと買収されるリスクもある。となれば、なおさら大手のほうが有利だ。
市場調査会社の451 Research(451リサーチ)のアナリスト、クリス・マーシュ(Chris Marsh)はInsiderの取材に対して次のように指摘する。
「ソフトウェアを契約する側の企業としては、どのプラットフォームが今後主流になり、そこでどういったアプリケーションが使われるようになるのか、これまで以上に戦略的な狙いをもって選ぶようになっています」
アナリストや投資家によると、生産性向上ツールではこれまでに新たなニッチ分野が開拓され、プロセスを自動化したり非同期で共同作業したりすることができるため、まだまだ大きな競争力があるという。しかし、成功するにはさらに高いハードルを越えなければならない。
フルプラットフォームの方がコスパがいい
景気後退局面では、オールインワンのパッケージを持つ大手テック企業のほうが圧倒的に有利だ。
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社員がどのようなサービスを利用しているかを分析するソフトウェアを提供するスタートアップ、Productiv(プロダクティブ)のCEO兼創業者のジョディ・シャピロ(Jody Shapiro)によれば、最近、オフィス向けソフトウェアに対する顧客の考え方に変化が見られるという。
コロナ禍初期の在宅勤務への切り替え熱で、企業は通常のプロセスを経ずにソフトウェアツールに多額のコストを割いた。しかし、今では企業もより戦略的になりつつある。機能に重複があれば削減したいし、本当に必要なのはどのツールなのかという点も気になっている。
多くの企業では、スイート製品1つで必要なものが複数揃うなら、個別ツールを購入するコストは正当化しづらい。また、Asana(アサナ)、Smartsheet(スマートシート)、Notionといったツールは、全社で導入するというより小規模なチーム単位で契約することが多いため、コスト削減の対象になりやすい。
さらに、IT関連の意思決定者252人を対象とした2021年のSurvey Monkeyの調査では、大手ソフトウェアベンダーよりも新規ベンダーを検討する主な理由として、54%がコスト削減を挙げている。つまり多くの企業は、コロナ不況以前から現金を「使う」手段ではなく「節約する」手段として代替サービスを検討していたわけだ。
すべての機能を含むスイート製品を解約するよりも個別の無駄なツールをなくす方がはるかに簡単だ。かくしてマイクロソフト、グーグル、セールスフォース、シスコシステムズなどの大手が恩恵を受けることになる。
逆に、今後業界で不可欠な存在になろうと激しい競争を繰り広げる新興企業にとっては、プラットフォーム戦略を採用することが間違いなく重要になってくる。米独立系調査会社Wolfe Research(ウルフ・リサーチ)のアナリスト、アレックス・ズーキン(Alex Zukin)は以前、Insiderの取材に答えて次のように語っている。
「ベスト・オブ・ブリード(訳注:複数のベンダーから個別に必要な製品を選択してシステム構築すること)戦略を掲げて対抗すべく複数の製品を揃えるか、無策のまま他社に買収されるか。そのいずれかでしょう」
マイクロソフトの広報担当者に「Notionに似たLoopというアプリケーション」のリリースについて尋ねてみたところ、同社はプラットフォーム戦略を重視しているようだった。
「仕事をするには複数のアプリケーションが必要です。Microsoft 365は生産性向上ツールと共同作業ツールを統合したものですから、ユーザーは複数のアプリを組み合わせなくても完全なソリューションを構築できるため、コスト削減と利便性を一度に得られます」(マイクロソフトの広報担当)
一方、Notionのアイバン・ザオ(Ivan Zhao)CEOはマイクロソフトがLoopをリリースした際に次のように語っている。
「私たちは、すべての人がソフトウェアを自分の望むとおりに使えるようにすることを使命としています。これはまだ始まったばかりの長い道のりです」
進む大手とスタートアップの統合
現在、生産性向上ソフトウェア領域でプラットフォーム戦略が採用されつつあるのは明らかだ。コロナ禍で急成長した企業が主要プラットフォームになろうとさまざまな策を講じているからだ。
例えばZoomは、コロナ禍で高まった勢いを活かして、クラウド電話サービスやカンファレンスルーム技術、アプリストアなどの製品をリリースしている。一方、Slackは2020年にセールスフォースに277億ドルで買収され、これによって有力プラットフォームに取り込まれる道を選んだ。この買収によって宿敵マイクロソフトとの競争で有利に立つ狙いだ。
このほかにも、複数の機能を統合して単一プラットフォームに近い機能を提供することで、顧客の日々の業務フローの大部分を担おうという競合他社もいる。Google Workspaceと統合してGoogle Meetでも使えるようになったMiroしかり、最近Microsoft Teamsとの統合を発表したFigma(フィグマ)しかりだ。
カナダの銀行最大手ロイヤル・バンク・オブ・カナダ(RBC)のアナリストは2021年のメモで、次のように記している。
「より大規模なプラットフォームになる余地があるか。ソフトウェア企業にとってはこの点がますます重要になりつつある。その余地がなければ、一定水準以上の牽引力を得られなくなるリスクがある」
いち早く新カテゴリーを確立せよ
コロナ不況の影響で、生産性向上ツールやコラボレーションツールを提供するスタートアップには厳しい時期だが、とはいえ成長が不可能というわけではないと専門家は語る。共同作業で発生する問題や、既存のツールでは解決できない問題に取り組んでいる生産性向上系スタートアップには人気が集まっている。
例えばNotionやCoda(コーダ)は、文書作成時の共同作業やプロジェクト管理の常識を塗り替え、単純作業をより楽にしてくれる自動化機能も追加している。Miro、Figma、Canva(キャンバ)などは、リモートで働くチーム向けの視覚的共同作業ツールという新カテゴリーを開拓している。
アクセル(Accel)のパートナー、リッチ・ウォン(Rich Wong)は、「多くの企業にとって、Miroのような仮想ホワイトボードツールは、SlackやZoomと並んで生産向上と共同作業に欠かせない第三のツールになりつつある」と述べている。
このことはSlackを傘下に収めたセールスフォースにも当てはまる。同社のビジネステクノロジー担当上級副社長、アンディ・ホワイト(Andy White)は次のように話す。
「SlackはデジタルHQ(訳注:デジタル空間にある仕事の拠点)の中心ですので、Miroでプロダクトロードマップを作ってHuddleで短いチームミーティングを開くということはあります。Clipで録音してチームのSlackチャンネルで共有し、非同期での共同作業を行う、なんてこともできます」
こうしたツールはコロナ禍以前から存在していたものの、ニッチな存在にすぎなかった。しかし在宅勤務への移行が後押しとなって「主流」になり、「多くの新しい使い方が生まれた」と、前出の451リサーチのマーシュは指摘する。
しかし、これらのスタートアップがテック業界以外にも本格的に広がっていくためには、カテゴリーの確立にもっと注力する必要があるとマースは付け加える。
Wordの文書、PowerPointのプレゼン、Eメール、オフィス向けメッセージングアプリ、ビデオ会議ツール。大半の人はこれらに慣れ親しむ一方で、まったく新しいカテゴリーのオフィス向けソフトを開発しているスタートアップも数多く存在する。MiroやFigmaが取り組むホワイトボードツールやスマートドキュメントツールは、顧客に対して製品だけでなく、新しい使い方も売り込まなければならない。
ブランドや製品の認知度という点では、スイート製品を提供するマイクロソフトやグーグル、セールスフォースといった大手が圧倒的に有利だ。長らくオフィス向けソフト市場を牽引してきた実績があり、知名度の高さも抜群だ。ガートナーの調査によると、人は名前をよく知っている会社からソフトウェアを購入する傾向が強いという。このことは、スタートアップにとって大きな課題となる。
大企業が他社の機能を模倣したり、業界内でレイオフが行われたりする現在の状況では、どの企業がこの新分野の勝者になるかはまだ不透明だ。バーテックス・ベンチャーズ(Vertex Ventures)のパートナー、サンディープ・バードラ(Sandeep Bhadra)はこう話す。
「結局、ユーザーに広く愛される製品を作っている企業が勝つでしょうね」
(翻訳・渡邉ユカリ、編集・常盤亜由子)