アンナミラーズ高輪店が品川駅の再開発計画に伴い8月31日で閉店を迎える。品川駅西口の景色も変わろうとしている。
撮影:吉川慧
アメリカンレストラン「アンナミラーズ」の国内唯一の実店舗、高輪店が8月31日に営業最終日を迎えた。最後の日も早朝から閉店を惜しむ人たちが行列に並んだ。
撮影:吉川慧
最終日は午前5時頃には30人以上が待機しており、午前8時15分頃には258組の受付をもってイートインの整理券の発行を終了。ファンの熱量の高さが伺えた。
アンナミラーズ高輪店の最終日の待機列の様子。午前8時15分頃には258組の受付が終了した。(※一部モザイク処理をしています)
撮影:吉川慧
1970年代、日本の外食産業の黎明期にオープン
東京・青山の1号店の様子。
出典:井村屋グループCSRレポート2014
アンナミラーズは井村屋グループが運営する外食ブランドで、アメリカ東部ペンシルベニアのドイツ・オランダ系移民の家庭料理をモデルとするレストラン。日本では井村屋が1972年に米アンナミラーズ社とライセンス契約を締結。翌1973年に1号店を東京・青山にオープンした。
1970年代の日本は「すかいらーく」(1970年)や「ロイヤルホスト」「日本マクドナルド」(1971年)などがオープンするなど外食産業の黎明期だった。
こうした時代にアンナミラーズはアップルパイやチェリーパイなど、アメリカ風のスイーツや料理で独自性を発揮。本場の空気を大事にした店構えや従業員の制服も人気を呼んだ。最盛期には首都圏を中心に20店舗超を展開した。
「練りパイと言われる食感のあるパイ生地や濃厚なカスタードクリームを使うなど当時日本にない数々のパイやコーヒーのおかわり無料サービス、アメリカと同じユニフォームなどアンナミラーズが提供したホスピタリティ(おもてなし)の数々は、高度経済成長期にあった生活スタイルに合致し、多くのお客様にご支持いただきました」
(井村屋「アンナミラーズの歴史」より)
都内で生まれ育った千葉県在住の女性(61)は取材に対し、「20代の頃、青山のアンナミラーズに友達とよく行きました。チェリーパイが好きでした。可愛らしい制服が印象的で、青山や原宿周辺で遊んでいた知人たちが近隣の店舗によく通っていました。三番町のトニーローマ(1979年オープン)や六本木のハードロックカフェ(1983年オープン)などとともに、1970年代〜80年代にかけて都内で身近にアメリカの空気を感じられる場所だったと思います」と懐かしむ。
1983年オープンの高輪店は、現存する国内唯一の店舗だった
ホームメイドパイの「バナナチョコレート」。バナナ、チョコ、生クリーム、サクサクのパイ生地が織りなすハーモニーで人気のメニューだった。
撮影:吉川慧
1990年には米アンナミラーズ社から日本国内で「アンナミラーズ」などの商標を独占的に使う権利を買い取った。その後は「バブルの崩壊や、新業態へのシフト、流通商品化路線への転換」(井村屋グループCSRレポート2014)や、時代とライフスタイルの変化も伴い、国内では高輪店を残すのみとなっていた。
高輪店は1983年に11番目の店舗としてオープン。品川駅前のショッピングセンター「ウィング高輪」という好立地もあり、多くの客で賑わってきた。2013年にはリニューアルし、店内にオーブンを設置。焼きたてのパイを提供できるようにした。
再開発計画で閉店も、オンラインショップは継続
「アンナミラーズ高輪店閉店のお知らせ」
出典:井村屋グループ
6月14日、井村屋グループはアンナミラーズ高輪店について「国土交通省より品川駅西口基盤整備事業に伴う移転要請があり、移転対象となる他店とともに退店について合意し協力することとなりました」と発表。
品川駅西口で39年の歴史を刻んできた高輪店の閉店が報じられると、店舗には多くの人が連日訪れるようになった。
漫画家の江口寿史さんもアンナミラーズの思い出をツイート。「アンナミラーズはぼくにとっては80年代の吉祥寺の象徴でした。いろいろ想いがあり過ぎて一言では語れませんが、この絵を感謝の言葉の代わりにさせていただきます。アンナミラーズありがとう」という惜別の言葉とともにイラストを添えた。
今後は「オリジナル・パイやチーズケーキのファンが数多くいらっしゃるため、EC販売を中心に商品をお買い求めいただけるよう、様々な展開をすすめていく予定」とし、一部商品は公式ショップなどでの通信販売を続ける。
再開発計画で変わりゆく品川駅西口の景色
アンナミラーズ高輪店が入居していたウィング高輪。右が旧SHINAGAWA GOOS。左奥には品川プリンスホテルの施設。品川駅西口の顔となってきた景色だ。
撮影:吉川慧
品川駅西口(高輪口)周辺では、ウィング高輪から柘榴坂(ざくろざか)を挟んで位置した京急系の複合商業施設「SHINAGAWA GOOS(シナガワグース)」が閉館。目下、解体工事中だ。
ここはかつて、高度経済成長期の1971年に開業した「ホテルパシフィック東京」だった。解体後の跡地は京急とトヨタ自動車が共同事業者として新たな複合施設の建設を計画。新たな街づくりを目指している。
国交省も品川駅西口の再開発について、「都心と羽田空港との連携やリニア中央新幹線による国内外の利用者の増加、国際交流拠点」として“品川の玄関”に相応しい空間を目指すとしている。
さらに都・東京メトロは、南北線について白金高輪から品川への延伸を計画。六本⽊・⾚坂エリアなどの都⼼部と品川駅周辺地区が直結されることで利便性の向上を目指している。
国土交通省「品川駅西口周辺の施設配置計画について」
出典:国土交通省
時代とともに品川・高輪口の景色は変わり、新たな街の歴史が刻まれようとしている。
高輪店の閉店で、アンナミラーズも日本で紡いできた50年の歴史に一旦は節目を迎えることになる。井村屋グループは「店舗としては高輪店同様の集客力が得られる立地候補を検討しておりますが、現在のところ新規出店は未定」としている。
ただ、店内各所には「Stay tuned more information.We will be right back!(続報にご期待ください。私たちはすぐ戻ってきます!)」「SEE YOU SOON!!(またお会いしましょう!!)」など、再出店を目指すような意気込みが随所で垣間見えた。
そして、各テーブルに設置されたアンナミラーズの歴史を振り返った紙のランチョンマットには、こう記されていた。
「We shall return!(私たちは、必ずや戻ってきます!)」
撮影:吉川慧
(文・吉川慧)