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ドナルド・トランプ前大統領が在任中、「冬のホワイトハウス」と呼んでいたフロリダ州の別邸マール・ア・ラーゴにFBIが強制捜査をかけた件が世界的なニュースになっている。
マール・ア・ラーゴは、トランプ前大統領が退任と同時に拠点を移した私邸だ。予備選挙への出馬を考えるウルトラ保守の候補者たちがここを訪れては、資金調達イベントを開催したり、プレゼンをしてトランプ前大統領の支持を取り付けようとしてきた。国内外のロビイストたちが頻繁に出入りをする一方で、警備が手薄だとの指摘もかねてからされていた。
保守層がFBIを攻撃するという皮肉
事の発端は、トランプ前大統領が退任の際にホワイトハウスから書類を持ち出したこと。
1974年に大統領を辞任したニクソン元大統領が書類を破棄しようとしたことをきっかけに、アメリカでは1978年に大統領記録法が施行された。これ以降、大統領の業務に関する書類はアメリカ連邦政府の持ち物として国立公文書館(ナショナル・アーカイブス)に保存されることになっている。
トランプ前大統領の退任とともに届いた書類が一部足りないことに気がついた公文書館が、トランプ陣営にこれを要求した。2022年1月には15箱分の返還を受けたが、依然として足りない書類があったため、さらに返還を求めるとともにこれを司法省(DOJ)に通知した。
書類を自分の所有物だと信じるトランプ前大統領は返還を拒否。在り処の分からない書類についての調査を開始したDOJはトランプ前大統領の周辺にも聞き取りを行い、6月にはDOJ傘下のFBIの捜査官たちがマール・ア・ラーゴを訪問した。
トランプとその弁護士は当初、協力するそぶりを見せていたものの、令状をとったDOJが書類の保管場所のセキュリティビデオ60日分を確認したところ、トランプ側はDOJから連絡を受けた直後に保管場所からいくつかの書類を持ち出していたことが判明。そこでFBIは8月8日、マール・ア・ラーゴへの強制捜査を敢行した。
マール・ア・ラーゴからは機密扱いの書類などが回収された。
U.S. Department of Justice
今回の強制捜査は、トランプ前大統領が作ったSNSプラットフォーム「Truth Social」へトランプ自身が投稿したことで世間に知れ渡った。トランプがDOJ/FBIを非難すると、その支持者や共和党議員たちが捜査の正当性を説明するよう強く求めたため、DOJは捜査令状とともに押収した書類のリストを公開した。
令状によって明らかになったのは、「最高機密(top-secret)」に分類される書類をはじめとする押収物リスト(その詳細はほとんど明らかにされていない)とともに、トランプ前大統領が、スパイ防止法違反、捜査妨害で捜査の対象になっているということだった。
DOJとしては、法的根拠を持って記録の収集と保全を目指した公文書館からの要請を受けて調査を開始し、国家機密に関する書類の保存状態に懸念を示したからFBI捜索に踏み切ったという立場である。8月30日には押収した書類を撮影した写真の一部を公開した。
しかし、トランプ前大統領な強固な支持層であるMAGA(「アメリカを再び偉大な国に〔Make America Great Again〕」の意)の間ではFBIに対する反発が高まっており、実際に、オハイオ州シンシナティでは武装したMAGA支持者が警察と撃ち合いになって死亡する事件も起きている。
FBIといえば、公民権運動の指導者だったマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師や反戦運動を牽引していたジョン・レノンなどを捜査対象にした歴史もある。オバマ政権時代には、国務長官だったヒラリー・クリントンがプライベートなサーバーを使ってメールを送信していたことがFBI内部からリークされるなど、連邦政府の中でも保守傾向の強い機関として知られてきた。
2020年にBlack Lives Matter運動が盛り上がった際には「Back the blue(警察を支持)」というスローガンを掲げて捜査当局への連帯を示した保守層が、そんな保守性の強いFBIを攻撃している現状は皮肉である。
アメリカはなぜスパイ防止法を必要としたのか
ところで今回、トランプ前大統領に容疑がかけられているスパイ防止法違反は、かなり深刻な重罪である。
例えば、2016年の大統領選挙ではロシアをはじめとする外国のハッカーたちが暗躍した事実が明らかになっているが、NSA(国家安全保障局)の契約業者の従業員リアリティ・ウィナーは、ロシアの関与を示す機密書類を情報サイトThe Interceptに匿名で送ったためにスパイ防止法違反で起訴され、63カ月の禁固刑を受けた。
そもそもスパイ防止法が制定されたきっかけは、1917年に徴兵制度に反対した社会主義者たちだった。
アメリカの徴兵制度のルーツは植民地時代に遡るが、第一次世界大戦までは、徴兵の対象になった男性たちは代役を立てることが許されていた。しかし1917年4月に第一次世界大戦が勃発すると、時のウィルソン大統領が徴兵を制度化し、成人男性は徴兵を逃れられなくなった。
徴兵義務付けに反対する声を封じ込めるため、ウィルソン大統領が多くの議員の反対を押し切って1917年に通過させたのがスパイ防止法だった。
スパイ防止法が成立して最初に対象になったのは、徴兵制度に抵抗することを呼びかけるパンフレットを配布した社会主義やアナーキストの活動家たちだった。彼らは、表現の自由を定めた米国憲法修正条項第一条を盾に闘ったが、最終的に検挙された活動家たちは例外なく有罪判決を受け、投獄された。
ユージン・デブス(1855〜1926年)。
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スパイ防止法で投獄された人物のひとりにユージン・デブスがいる。1885年に生まれ、インディアナ州で民主党の州議会議員になったが、組合の組織化やストライキに参加して労働者の権利拡大運動に従事するうちに、米軍とスト参加者が衝突した事件の責任者として有罪判決を受け、1894年に投獄された。デブスは服役中に社会主義理論と出会い、社会民主党の創立者のひとりとなった。
釈放されてからも労働運動のリーダーとして多くの組合の組織化に尽力したデブスは、1904年から3回にわたって社会民主党から大統領選挙に立候補した。回を重ねるごとに得票数を増やしたものの落選を重ね、第一次世界大戦が勃発すると、徴兵制度への抵抗を呼びかけたことからスパイ防止法違反で検挙され、禁固刑を受けて再び投獄され、1920年には獄中から選挙に出馬している。
宗主国による圧政に耐えかねて蜂起の末、独立を勝ち取ったはずのアメリカが、強制的徴兵への反対運動を鎮圧するために「スパイ防止法」を考案したという歴史的経緯があったのだ。
社会主義への抵抗感薄まる若年層
アメリカの社会主義を悪魔化するこうした考え方は、スパイ防止法が登場した1910年代から勢いを増してきた。特に、第二次世界大戦後の冷戦時代に入り、ソビエト連邦や中国に代表される社会主義/共産主義の国々が独裁体制を敷いたことでさらに加速した。
特にソ連が崩壊してからは、資本主義と民主主義の組み合わせが正しいあり方だとの考え方が勢いづいてネオリベラリズムの台頭につながったが、これによってアメリカでは貧富の格差が拡大し、貧困人口の増加につながった。
オバマ元大統領は在任中に医療保険制度(通称オバマケア)の改革に取り組んだ。しかしその制度には数々の問題が指摘されており、国民の評価は高くない(写真は2017年撮影)。
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クリントン元大統領やオバマ元大統領は国民皆保険を実現しようとしたが、「社会主義である」との反論に遭ってことごとく阻害された。コロナのパンデミックが起きたことでアメリカの無保険者の割合は減らせたものの、福祉や社会保障の拡大はいまだに保守サイドによって社会主義的政策とのそしりを受ける傾向がある。
トランプもまた、大統領選挙中から折に触れて民主党関係者を社会主義者と呼んだり、社会主義の脅威に対する恐怖感を煽ったり、社会主義という仮想敵をレトリックに使ってきた。それと同じレトリックがいまもMAGA系の議員候補や論客によって頻繁に使われている。
こうして1世紀以上にわたって強固に信じられてきた「資本主義=善、社会主義=悪」という構図だが、近年、特にZ世代やミレニアル世代の認識に明確なシフトが見られるようになった。
新興メディアAxiosとMomentiveが2021年に共同で行ったオンライン調査によると(下図参照)、アメリカの回答者の57%が資本主義に対してポジティブな印象を持ち、ネガティブな印象を持っていると回答した36%を上回ったが、回答者の年齢を18〜34歳に絞るとポジティブ/ネガティブの比率は49%対46%に変わる。18〜24歳のZ世代に限定すると、実に54%が資本主義に対してネガティブな印象を持っていることが明らかになった。
一方、社会主義に対する印象は、全体では52%がネガティブな印象を持ち、ポジティブな印象を持っているのは41%だが、18歳から34歳の年齢層ではポジティブな印象を持つ回答者が50%を超えている。
いま日本では、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党の癒着がニュースを賑わせているが、その歴史的経緯の中で、共産主義に反対するスタンスが両者を結びつけたことが明らかになった。
安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者が犯行を決意したとされる2021年9月の旧統一教会の友好団体UPF(天宙平和連合)のイベントには、安倍氏のほかにトランプ前大統領も参加していた。銃撃事件後の2022年8月12日にソウルで開催されたUPFの会合には、トランプ前大統領がビデオで演説を寄せただけでなく、ペンス前副大統領、ポンペオ元国務長官が現地に駆けつけている。
アメリカ政府が社会主義的言論を弾圧するためにひねり出したスパイ防止法がいま、同様に社会主義という仮想敵を利用して支持者を増やしてきたトランプ前大統領に対する捜査の法的根拠として使われていることにも、壮大な皮肉を感じるのである。
(文・佐久間裕美子、連載ロゴデザイン・星野美緒)
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。