稲盛和夫氏の死去は中国でも大きく報道された。
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京セラの創業者で日本航空(JAL)の再建を主導した稲盛和夫氏の訃報は、中国でも大きく報じられた。同氏の著書『生き方』は中国で500万部超のベストセラーになり、アリババ創業者のジャック・マー氏、ファーウェイの任正非CEOなど大物経営者とも交流を深めた。
稲盛氏が中国で最も敬愛を集める日本人企業家であることに異論はない。だが、稲盛フィロソフィが中国で広がったのはわりと最近のことで、筆者の記憶をたどっても2010年ごろまでは欧米の経営学の方が存在感が大きかった。稲盛氏の経営哲学はいつ、どのようにして中国で受け入れられたのだろうか。
ジョブスの伝記と『生き方』
筆者が中国の大学院で経営学を学んでいた2010年前後に主流だったのは、ドラッカーやチャンドラー、コトラーに代表される欧米の経営哲学、戦略だった。筆者は中国企業の経営を知りたくて留学したのに、テキストは全てアメリカの書籍の翻訳書で、「アメリカに留学するのと変わらない」とがっかりした(中国特有の文化や価値観は、教室の外で嫌というほど学んだが)。
授業でたまに語られる中国の戦略や戦術は「孫子」「三国志」まで遡るので、そこでようやく「市場競争の歴史が浅い中国では、独自の経営理論や経営戦略が確立されていない」と分かってきた。
しばらくすると、中国の書店で稲盛氏の本を見かけるようになった。アップルを創業したスティーブ・ジョブズの伝記と並べられるようになり、翻訳書の種類もどんどん増えた。
北京大学の楊壮教授が2018年に発表した「中国における稲盛和夫哲学の実践」によると、稲盛和夫氏の思想が中国に初めて上陸したのは、2001年に天津で開かれた「第1回中日経営哲学国際シンポジウム」だった。2007年には稲盛氏の経営塾「盛和塾」が江蘇省・無錫に設立された。中国国営テレビが2008年に稲盛フィロソフィをテーマとした番組を放映し、2009 年には稲盛氏が清華大学と北京大学で講演。2010年には盛和塾北京支部が設立された。
その後盛和塾は中国各地に設立され、2019年時点で37塾、塾生は7000人に達した。当時の盛和塾の塾生は全世界で1万5000人だったので、半分弱が中国にいたことになる。1983年に始まった「盛和塾」は稲盛氏の高齢化を理由に2019年末で解散したが、中国だけは名前を残した活動の継続が許された。
中国に盛和塾立ち上げた「伝道師」
京セラやJALなど稲盛氏が直接関わった組織にとどまらず、その経営哲学は海を超えて受け入れられた。
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稲盛フィロソフィが中国で欧米の経営理論に取って代わったのは、大きく2つの理由がある。1つは、稲盛氏の著書を精力的に翻訳した曹岫雲氏(76)の存在だ。
江蘇省企業家協会に所属していた曹氏は2001年、天津で開かれたシンポジウムに参加し稲盛氏と知己を得た。感銘を受けた曹氏は1カ月後に京都の京セラ本社を訪れ、稲盛氏の全著作と盛和会の全ての会報を入手し、経営者仲間との勉強会に使うようになった。
次第に盛和塾と中国の橋渡しのような役割を担うようになった曹氏は、既に出版されていた『生き方』の中国語版を一から翻訳し直し、2009年に改訂版を出した。同書は2022年までに500万部を超える大ベストセラーになり、多くの経営者に影響を与えた。TikTokを運営するバイトダンスの創業者・張一鳴氏も先輩に薦められ、20代で同書を手に取っている。
中国最初となる無錫の盛和塾も曹氏が中心となって立ち上げた。中国は思想を伝える団体に対する取り締まりが厳しく、曹氏ら5人の発起人はさまざまな根回しの末、地元政府の承認を取り付けたという。
曹氏は2010年に北京で盛和塾の活動を支援する事務所を稲盛氏と共同設立し、稲盛フィロソフィの「伝道師」的役割を果たしてきた。
曹氏は2001年に「日本語ができる経営者」という理由で業界団体に推薦され、稲盛氏が登壇するシンポジウムに参加した。この偶然がなければ、中国での盛和塾の設立はもっと遅れていただろうし、稲盛フィロソフィは今のように広がっていなかったかもしれない。
稲盛フィロソフィが広がった「時代」
稲盛氏の経営哲学は中国の経済成長に霧がかかった2010年代に急速に広まった。
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稲盛フィロソフィが中国で広がったもう1つの理由は「時代」だ。それについては前述の北京大学の楊教授が率いる研究チームが明らかにしている。
楊教授のチームは2016年に中国の盛和塾塾生と企業家への大規模な調査を実施し、2018年に研究成果を発表した。
楊教授は稲盛氏の経営哲学を「敬天愛人」「利他経営」など「道」を説くものと、「アメーバ経営」など「術」を説くものに分け、企業家たちに、稲盛氏の「道」「術」の中から最も大事だと思うものを選んでもらった。その結果、「道」に関する回答が80%、術が20%だった。具体的には、「人間として、何が正しいのか」「敬天愛人(天を敬い人を愛する)」「致良知(良知を全面的に発揮する)」がトップ3を占めた。
また、回答者の96.2%が稲盛フィロソフィが中国の陽明学と源流を同じくしていると考えていた。明代の思想家・王陽明の陽明学は毛沢東や蒋介石など中国の偉人に影響を及ぼし続けてきたが、企業家たちは稲盛フィロソフィを陽明学の経営学版だと解釈していた。
楊教授は調査結果から、「稲盛フィロソフィが中国で人気になったのは、天の時、地の利、経済発展の段階がかみ合った」と結論づけた。
ドラッカーを中心とした欧米のマネジメントは1980年代にハイアールグループの張瑞敏CEO、レノボ創業者の柳伝志がこぞって導入した。それは中国経済の開放直後で、中国に企業向けのマネジメントという概念や知識がほとんど存在しなかったことが関係している。
その後中国は高度成長期に入り、2000年代まで「国民総金儲け時代」が続いた。楊教授は「人も企業も『周りより早く金持ちになる』ことが最大の目標で、『何が正しいか』『企業理念』など考える必要もなかった。稲盛氏の経営哲学はこの時期の中国人には響かなかった」と指摘した。
だが、2008年の金融危機を機に、経営者たちは従来の手法の限界に直面し、内省を迫られた。稲盛フィロソフィは不確実な未来への対処法を求める中国人に、するりと入ってきたというのが楊教授の見方だ。
楊教授は中国企業のグローバルでの存在感が高まり、中国のGDPが日本を抜いて世界2位になる中で、「欧米の真似ではなく、中国独自の文化理念や価値観を持つべき」との意識が高まったことも、稲盛フィロソフィの広がりに寄与したと分析している。中国の企業家たちは、稲盛フィロソフィを海外の思想ではなく、中国に起源を持つ経営哲学と受け止めたのだろう。
もっとも、楊教授の研究によると中国の企業家は稲盛フィロソフィを熱心に学ぶ一方で、「中国の市場経済に(稲盛氏が大事にする)価値観がない」「業界にはびこる裏ルールと『致良知』が両立しない」「利他の経営を実践したら残酷な市場競争を勝ち抜けない」と悩みを抱えていることも浮き彫りとなった。
楊教授は「稲盛フィロソフィの浸透を妨げるもの」として「日中関係の悪化」を想定していたが、実際には2010年から尖閣諸島問題で日中関係が緊迫したにもかかわらず、中国での盛和塾の活動はむしろ拡大していった。中国人企業家が、稲盛フィロソフィの活動を実践できない要因としてこぞって挙げたのが、「中国内部の問題」だったのだ。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。