アマゾンは、自社従業員と法人会員向けに提供する医療サービス「アマゾン・ケア(Amazon Care)」から12月末に撤退することを決めた。
Amazon Care; Rachel Mendelson/Insider
Insiderがここ数カ月にわたって経緯の報道を続けてきた通り、アマゾン(Amazon)シニアバイスプレジデント(ヘルスサービス担当)のニール・リンゼイは8月24日、従業員向けのメールを通じて、法人向けオンライン診療サービス「アマゾン・ケア(Amazon Care)」から年内で撤退することを明らかにした。
Insiderはこの社内向け発表のあと、現役および元従業員6人を取材した。彼らの多くは「唐突な決定という印象を受けた」と語った。
「人々の健康の問題を先取りする」というシンプルなアイデアを軸にしたこの新事業は、破壊的なイノベーションに取り組む社内研究機関「グランドチャレンジ(Grand Challenge)」のパイロットプロジェクトとして生まれた。
アマゾン・ケアは専用アプリおよびウェブサイトを通じて提供され、年中無休で1日24時間、いつでも患者に対応する。緊急救命センターに搬送される事態を防ぐだけでなく、生活習慣病を手遅れになる前に発見できる可能性もある。
結果として、アマゾン・ケアの法人会員と最終受益者である患者(法人会員の従業員)は医療費負担を節約できる。
どう考えても素晴らしいアイデアだが、ビジネスモデルとしては結局のところ失敗に終わった。
アマゾン・ケアからの撤退を表明したのは、同社がプライマリ・ケア(初期診療)企業ワン・メディカル(One Medical)を39億ドル(約5400億円)で買収し、ヘルスケア事業の強化に乗り出してからわずか1カ月後のことだった。
同じヘルスケア事業で撤退と買収を同時に進めるのは、何やらちぐはぐな印象を受ける。この点についてアマゾンの広報担当は、Insiderに次のように回答した。
「私たちの長期的なビジョンは、人々が健康を手に入れ、維持するために必要なヘルスケア製品やサービスへのアクセスを容易にすることです。
当社はアマゾン・ケアのチームが行ってきた仕事に誇りを持っています。ヘルスケアの未来とアマゾンが果たすべき役割を再構築するため、今後も顧客や業界のパートナーから学び、さらなるイノベーションを追求し、業界最高水準のプレーヤーを目指していく考えです」
アマゾンのヘルスケア部門を率いる新たなリーダー、バイスプレジデントのアーロン・マーティンは、事前収録のビデオメッセージを通じてのみアマゾン・ケアからの撤退を社内に伝え、一切の質問を受け付けることはなかった。
そのため、従業員たちはアマゾン・ケアの法人会員や患者(会員企業の従業員)に伝えるべき十分な情報を得ることができなかった。
Insiderの調査によれば、アマゾン・ケアを利用して診療を受けている患者はおよそ10万人。サービス年末終了のニュースをソーシャルメディアで知ってパニック状態になり、専門医の紹介を求める患者が殺到したと証言する従業員もいる。
アマゾン・ケアは過去数カ月の間にシアトル、ワシントンDC、ボストン、ダラス、ロサンゼルスなどの大都市にサービス提供エリアを拡大、利用者を増やしており、そうした新たに加わった地域の患者たちもかかりつけ医(プライマリ・ケア・プロバイダー)を新たに探さなければならない。
アメリカではバーチャル・ケア(オンライン診療)が急速に普及したことで、肝心の診療を担当する医師や看護師が不足している。「治療を求める患者がいても、医療スタッフを割り当てるのに苦労するのです」と、患者窓口を担当するアマゾンの現役従業員は実情を語る。
同従業員によれば、地方に住む患者の中には、どんなオンライン診療サービスを使っても医師がまったく見つからないケースが多々あり、その問題はアマゾン・ケアにとってもずっと足かせになっていたという。
「経営陣は医療の人間的な側面を忘れています。私たちは法人会員を相手にしているのではなく、患者を相手にしているのです」
一方、アマゾンの広報担当は「アマゾン・ケアの終了を発表してから、専門医の紹介を求める患者が目立って増えている事実はなく、問い合わせ電話の数も普段と変わりません」と説明する。
企業カルチャーの問題
アマゾンの現役・元従業員の多くは、アップルやグーグルのヘルスケア事業もやはり壁にぶち当たったように、テック企業に特有のカルチャーが失敗の原因ではないかと考えている。
そのカルチャーに触れたことのない方々のために言うなら、つまりはこういうことだ。
どんな分野であれテック企業には、迅速に動き、短期間で目標を達成し、ビジネスを勝利に導くことが求められる。それができなければ、企業としての成長も、従業員個々の昇進の機会もない。
ところが、ヘルスケアサービスに求められる姿勢はだいぶ異なり、何より患者に寄り添い、長い時間をかけて患者の健康問題を解決していく必要がある。テック企業のエンジニアにとっては退屈で、苛立ちの募るプロセスと言えるだろう。
アマゾンの元従業員は次のように語る。
「アマゾンに入社してくるプロダクトマネージャーのほとんどは、世界をより良くすることにあまり関心がありません。そして、彼らがビジネスで達成すべき重要業績評価指標(KPI)は、必ずしも顧客が求めるベストの解決策とは一致していません。その典型がアマゾン・ケアだったということです」
創業者のジェフ・ベゾスに代わって、アンディ・ジャシーが最高経営責任者(CEO)に就任した影響も無視できない。
2021年7月のトップ就任からおよそ1年、ジャシーは無駄を省くことに終始こだわってきた。
ベゾス時代のアマゾンは、新型コロナの感染拡大を背景とするEコマース需要の急増に対応するため、倉庫スペースと物流担当の従業員の拡充に走ったが、ジャシーは一転して2022年第2四半期(4〜6月)に10万人もの労働力を削減、だぶついた倉庫スペースの解消も一気に進めた。
アマゾン・ケアについても、グランドチャレンジのプロジェクトの一つだったころから、(当時同社クラウド部門のアマゾン・ウェブ・サービス[AWS]を率いていた)ジャシーはその成長可能性に懐疑的だったと元従業員は証言する。
全米各地でオンライン診療対応に必要な数の医師を確保するのは難しく、しかも高い利益率を期待できないというのがジャシーの考えだったようだ。
結果としてみれば、その考えは間違いではなかったと思われる。
企業からの関心は驚くほど低かった
アマゾン・ケアのセールスポイントは、オンライン診療に加え、必要に応じて医療スタッフを患者の自宅に派遣し、検査や治療を行う訪問サービスを提供できることだった。
しかし、前述したように、医師と看護師は全米で不足している。そこで、スタートアップと提携したり、契約社員を雇い入れたりして医療スタッフを確保しようとしたものの、元従業員によれば、「直接雇用には時間がかかる上に、人件費が想定以上に膨らんでしまった」という。
アマゾンの広報担当は、同社の提携するケアメディカル(Care Medical)が人材派遣会社を通じてアマゾン・ケアの医療スタッフを確保している状況について、「業界では一般的な慣行です」と説明する。
そのように医療スタッフ不足という深刻な問題を抱えながらも、アマゾンは事業の拡大に踏み切った。
アマゾン・ケアは当初、自社の従業員向けとしてサービスを開発し、スタートさせたが、2021年3月には法人会員を募集すると公式ブログで公表。同年夏には正式に会員企業向けサービスを開始し、ワシントン州では訪問診療にも対応。ワシントンDCや他の都市に訪問診療の提供範囲を広げることを明らかにした。
社内関係者によると、アマゾンにとって外部企業の反応は「予想外」のものだった。
社内向けの福利厚生をわざわざ法人会員向けサービスとして派手に打ち上げたにも関わらず、企業からの関心は驚くほど低かったのである。
「しまった、思ったほど人気がない、と焦りました」と元従業員は振り返る。「思い返せば、あれがアマゾン・ケアにとって運命の瞬間でした」。
問題は他にもある。
企業の福利厚生担当にしてみれば、ある地域に住む従業員は訪問診療を受けられるが、それ以外の従業員はオンライン診療に限られるという統一性(あるいは公平性)のない医療サービスを従業員に勧めるのは難しい。
例えば、アマゾン・ケアは現在でもワシントン州に住む法人会員の従業員にしか、ワクチン接種を行うことができない。
アマゾン・ケアを統括するリンゼイは、Insiderが入手した従業員向けメールにこう記している。
「この決定は軽々しくなされたものではなく、何カ月にもわたる慎重な検討の結果、そうせざるを得ないという結論に至ったものです。
法人会員にはアマゾン・ケアの多くの側面について好意的に受け止めていただいているものの、私たちがターゲットとする大企業にとっては完全なサービスとは言えず、また、長期的に機能するものでもありませんでした」
営業担当チームと企業顧客の関係もぎこちなかった。
アマゾン・ケアは高価なサービスで、福利厚生の分野では珍しく2ケタの利益率を狙った価格設定だったと、元従業員は証言する。
また、アマゾンの担当者は営業先の企業から、実際にアマゾン・ケアをどれくらいの患者が利用しているのか(サービス導入を検討する側からすれば当然の質問だが)よくたずねられたが、そのたび「それは社外秘です」と答えるしかなかったという。
さらに、医療保険会社との交渉が難航したことも痛手だった。
Insiderが過去に報じたように、アマゾン・ケアの利用料金に保険が適用されるよう、医療保険大手エトナ(Aetna、ドラッグストア大手VCSヘルス傘下)などと交渉したが、サービスローンチから日が浅く患者の治療費を下げることを示す十分なデータを持っていなかったため、保険会社を納得させるのに苦労した。
元従業員はInsiderに対し、「企業顧客を開拓するためには、アマゾン・ケアを医療保険の適用対象とすることが一里塚だったのですが、適用の前提となる十分なデータを揃えるのには、実際には何年もかかったでしょう」と語った。
いずれにしろ、事業としての実績が不足していたのは致命的だった。
良くも悪くも医療スタッフの直接雇用を急いだために、現在はシカゴやオースティンなどおよそ20の都市で訪問診療を行うことができるようになり、ホテルチェーン大手ヒルトンなど約20社と法人契約を結ぶことにも成功したが、アマゾン上層部が設定した目標には遠く及ばなかった。
実態を知る元従業員は次のように疑問を投げかける。
「上層部は2022年末までに140社の顧客を獲得する目標を課していました。
もちろん、アマゾン・ドットコムでトイレットペーパーをパレット単位で売るという話なら、140社の新規顧客を獲得するのはさほど無理な目標ではありません。急成長を続けるAWSも、新規顧客140社を確保せよと言えば、できるかもしれません。
しかし、サービス内容や品質に全国的な一貫性のない(アマゾン・ケアのような)ビジネスで、どうやってそれだけの新規顧客を開拓しようと言うのでしょうか」
アマゾン上層部と医療スタッフとの断絶
既存の顧客を満足させ、より多くの顧客を獲得するために、アマゾン・ケアはサービスを改善する必要があった。
しかし、そのための努力はしばしば官僚主義や不適切な判断に遮(さえぎ)られたと、取材に応じた現役・元従業員たちは口を揃える。
企業規模が大きくなるにつれ、管理職の層が厚くなり、官僚主義がはびこっていくのは世の常だが、破壊的イノベーションと期待されて生まれてきたアマゾン・ケア事業も例外ではなかった。
例えば、アマゾン・ケアの低人気を挽回するために、現場の社員たちはアプリやウェブサイトの機能を改善することを求めていたが、上層部はそこへの投資を行う代わりに、営業担当を増員したのだった。
自社開発にこだわるクラウド部門のAWSとも衝突があった。
アマゾン・ケアのチームは、医療業務ソフト大手アテナヘルス(Athenahealth)の電子カルテの使用許可を得るために、AWSのセキュリティ担当者と何カ月も交渉しなくてはならなかった。
アマゾン・ケア独自の電子カルテを構築する当初の計画が頓挫(とんざ)したため、サードパーティであるアテナヘルスのシステムを使うことにしたものの、AWSのセキュリティ担当はその方針転換を「アマゾンの評判を脅かすものと考えていた」と言うのだ。
最終的には当時AWSのトップだったジャシーが、いくつかの条件を付けた上でアテナヘルスの電子カルテの使用を承認した。
こうした従業員の複数の証言から読みとれるように、上層部はアマゾン・ケアの事業拡大のスピードにこだわり、一方で患者に対応する現場の医師たちは、より良い医療を提供するために細部にこだわった。
不幸だったのは、その間に立って両者の主張を通訳できるリーダーがいなかったことだった、とある現役従業員は語る。
その点について、アマゾンの広報担当は「リーダーシップチームにはヘルスケアやサイエンスのバックグラウンドを持つ従業員が参加しており、彼らの専門知識は高く評価されています」とし、上層部に現場への理解がなかったとの指摘に反論する。
しかし、米ワシントン・ポスト(8月19日付)が報じたように、実際には上層部と現場の断絶の結果、患者に対する医療サービスの一部に支障が出た可能性もある。
現役従業員2人および元従業員がInsiderに語ったところよると、医療スタッフから「ニアミス」の報告を受けたケースがあったという。ニアミスとは、例えば、患者が本来併用してはならない薬を処方されたものの、偶然服用せずに済み、深刻な問題まで発展せずに済んだようなケースだ。
これについても、アマゾンの広報担当は反論する。
「現在までのところ、患者や医療スタッフの安全性に関連する事故は報告されていません。当社は、患者と医療スタッフのために、業界標準のポリシーに従って臨床的に安全で適切な医療を提供しています」
すでにヘルスケア分野で新規事業を計画中
アメリカの医療サービスは、患者負担が大きいにも関わらず、アウトカム(患者の満足度や症状改善など)が相対的に低いことで知られる。
アマゾンはそこにビジネスチャンスがあると考え、アマゾン・ケアをスタートさせた。その判断自体は間違っていなかった。
リンゼイが従業員向けのメールで述べている通り、法人会員はアマゾン・ケアの多くの側面を好意的に受け止めており、患者の評判も悪くない。
Insiderの取材によれば、法人会員の従業員のアマゾン・ケア(アプリ)の登録率は多くの企業で2ケタに達している。10%以上という数字は、ヘルスケア関連のアプリでは決して低いものではない。ある現役従業員によれば、「患者から電話で熱烈な感謝を受けたこともある」という。
アマゾンのオンライン薬局、臨床検査、バーチャル・ケアを統括するリンゼイのポジションは、比較的新しいものだ。それだけに、まだ試行錯誤の段階にある。
アマゾン・ケアのサービス終了はワン・メディカルの買収(7月下旬)より前に決定されたとアマゾンは説明しているが、ヘルスケア業界の専門家は、アマゾン・ケアとワン・メディカルのサービスが重複するために撤退を決めたのではないかと推測している。
なお、Insiderは現役従業員2人への取材を通じて、アマゾンのヘルスケア事業に関する新たな情報を入手した。
社内のコードネーム「カタラ(Katara)」と呼ばれるプロジェクトで、アマゾン・ケアとは別のバーチャル・ケアサービスを開発しているという。法人会員向けではなく、患者に直接医療サービスを提供することを目的としている模様だ。
新プロジェクト「カタラ」についてアマゾンにコメントを求めたが、広報担当からは「噂や憶測にはコメントしません」との回答があった。
(翻訳:田原寛、編集:川村力)