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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
アマゾンはこの9月から、ドイツやイギリスなどヨーロッパの主要国で「アマゾンプライム」の会費を大幅に値上げします。アメリカではすでに今年2月に139ドル(約1万8900円)へと値上げを実施。となれば、いずれ日本でも同様の値上げがあるのでしょうか? 価格をめぐるアマゾン経営陣の狙いを入山先生が考察します。
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デジタル系サービスの値上げが相次いでいる理由
こんにちは、入山章栄です。
みなさん、本や日用品をネットで買うときは、どこを利用していますか? 僕自身は、かなりアマゾンに依存しています。アマゾンプライムにも加入してます。
BIJ編集部・常盤
入山先生もアマゾンプライムの会員なんですね。そのアマゾンが欧米でプライム会費を大幅に値上げしているのをご存じですか?
アメリカではすでに今年2月に139ドル(約1万8900円)となっていて、今後はイギリスやドイツなどの欧州圏でもアメリカ並みの水準に引き上げるそうです。
日本のプライム会費はいま年額4900円。月当たり400円くらいです。送料無料などいろいろな特典があることを考えるとお得だなと思える金額ですが、これが1万5000円だ2万円だとなってくると、「楽天やヨドバシドットコムに乗り換えようかな」と思う人が増えるのではないでしょうか。入山先生はどう思われますか?
最近、このようなデジタル系サービスの値上げが増えていますね。ネットフリックスもスタンダードプランが月950円だったのが、その後2度の値上げを経て、現在では月1490円になっています。
それから僕も入っていますが、DAZN(ダゾーン)というスポーツメディアが月額1925円から3000円へと、かなり大幅な値上げをしました。
BIJ編集部・常盤
そうでしたね。ネットフリックスはそれで会員が減ったと報道されていました。
なぜデジタル系サービスの値上げが相次いでいるのか、僕の理解では理由は少なくとも2つあります。
第一に、こういうデジタル系のサービスは世界中で求められるので、ある程度までは、顧客数が増えるという意味で売り上げの成長が期待できます。さらに言えば、この連載で前にも述べたように、ネットワーク外部性の効果もある。つまり、いったん「この分野ならこのプラットフォームが一番だよね」という存在になると、もうユーザーは勝手に増えていく。アマゾンもそうですが、「みんながアマゾンを使うから、自分もアマゾンを使う」となるのです。
ユーザー数が伸びていれば売上も増えますから、値上げをする必要はないし、むしろ価格を抑えたほうが、ますますユーザー増が見込めるでしょう。
ところがサービスが一通り普及して成熟期に入ってくると、もう追加で獲得できるお客さんの数はそれほど増えなくなる。でもアマゾンやネットフリックスは、まだこの先しばらくは売上高が成長するだろうと投資家に期待されている。だから、売上を伸ばし続けなければいけない。お客の増加に期待できないのなら、あとは価格を上げるしかありません。これが1点目です。
さて、さらに重要なのは、2つ目の理由です。
いくらお客の伸びが期待できないからといって、価格を上げればお客の数はさらに減るかもしれない。ではなぜアマゾンはアメリカやヨーロッパでこんなに強気な値上げができるのか。ここを考える上で非常に重要になる経済学の考えが、「需要の価格に対する弾力性」というものです。
値上げすべきかどうかは「価格弾力性」で分かる
これは簡単に言うと、「製品やサービスの価格を変更したときに、お客さんがどのくらい敏感に反応するか」の敏感度のことです。
これは、下のような割り算の計算式で表します。分母は「価格が何パーセント変化するか」。それに対して分子は「お客さんの数がどのくらい変化するか」。価格を上げると、お客さんの数は減る。分母が増えると分子は減るので、基本的にマイナスの値になりますが、プラスにした方が分かりやすいのでマイナス1を掛けます。
取材内容をもとに編集部作成。
つまり、価格弾力性が1よりも大きければ、お客さんはその製品サービスの価格変更により敏感に反応したということ、すなわち弾力性が高いということですね。例えば価格を1%上げたら、お客さんが5%減ったとします。すると分母が1で、分子が5なので、マイナス5。それにマイナス1を掛けるから、価格弾力性は5ということになる。これはかなり高い弾力性です。かなり価格変化に敏感な状態ですね。
他方で、あるいは価格を1%上げても、お客さんが0.5%しか減らなかったとすると、分母が1で分子が0.5なので弾力性は0.5と、1以下です。これは価格弾力性が低い、つまりお客さんはその製品・サービスの価格変化にさほど敏感でない、ということです。
BIJ編集部・常盤
なるほど、そうやって数値化できるんですね。
ではどういうときに価格を上げることが戦略的に望ましいかというと、一般にはそれは価格弾力性が低いときです。なぜなら、企業の目標の一つは売上高のアップだからです。弾力性が低ければ、価格を上げても、それほどお客さんの数は減らないから、価格と客数の掛け算である売上高は増えるんです。例えば価格を10%上げても、お客さんが5%しか減らないのであれば、トータルの売上金額は増えますよね。
逆に価格弾力性が高いときは、お客さんが思った以上に価格に敏感なので、価格を上げるとそれ以上にお客さんが減ってしまう。例えば価格を3%上げただけなのに、お客さんは10%も減ってしまうかもしれない。そうなるとトータルの売上高が減る。
ここまでをまとめると、「その製品サービスの価格に対する需要弾力性が高いときは、価格を上げないほうが売上高は増える。一方で、価格に対する需要弾力性が低い時は、価格をあげた方がむしろ売上高は増える」ということなのです。
これは、僕が早稲田大学ビジネススクールの経済学の授業で最初に理解してもらうことです。でも、意外と多くの企業やビジネスパーソンが理解していないことでもあります。読者のみなさんはぜひご理解ください。
BIJのサブスク価格は値上げしても大丈夫?
ところでBusiness Insider JapanのPremium会員の価格は月額550円、年額で5500円ですね。正直、結構リーズナブルですよね。もしかしたら社内では「さすがに月1000円ぐらいにしてもいいんじゃないか」という話があったりしませんか?
BIJ編集部・常盤
そうですね……今は多くの方に読んでいただきたいのでその価格設定にしていますが、月額550円というラインは運営上けっこうギリギリですからね。
なるほど。もし値上げをするのであれば、それは先にも書いたように、読者のみなさんのBusiness Insiderの価格に対する需要弾力性が低い必要があります。そうでなければトータルの売上はむしろ減ってしまう。
では弾力性を低くするには何が重要かというと、いろいろとファクターはあるのですが、メディアの場合はやはりその魅力であり、読者が持つロイヤルティでしょう。「Business Insiderが大好きで、絶対に読みたいんだ」という方が多い状態ですね。そういう人が大勢いればいるほど、価格を上げてもそれほど読者数は減らないので、価格を上げた方が売上金額が増えることになる。そのためにも、ぜひ引き続き魅力あるコンテンツを出してくださいね。
ところで、この戦略をを世界で一番徹底している会社の1つはアップルではないでしょうか。特にiPhoneですね。アップルには「絶対にアップル製品じゃないと嫌だ」という、ロイヤルティの高いファンがたくさんいますよね。弾力性が低いから、価格を上げられるわけです。
アマゾンがなければ生きていけない
ここでアマゾンの話に戻りましょう。なぜアマゾンが欧米でプライム会員価格を上げられるかというと、それは、経営陣が「アマゾンプライムの価格に対する顧客の需要弾力性はそれなりに低い」と判断したからということになります。それはアマゾンが一大プラットフォーマーであり、アマゾン経済圏を作っているからです。つまり我々の多くは、もはやアマゾンにめちゃめちゃ依存している。
僕もそうですが、何か必要なものがあると、すぐにアマゾンで検索して注文するのが習慣になってしまっています。さらにはプライム会員の特典、つまりAmazonプライムビデオとか、Amazon Musicとか、キンドルのアンリミテッド(電子書籍の読み放題サービス)など、たくさんのサービスを利用している。つまりアマゾン経済圏に取り込まれてしまっている。
アメリカやヨーロッパでは、実は日本以上にアマゾンがないと生きていけないような状態の人も多い。つまり、顧客の価格に対する弾力性が低い。だから、「このくらい強気の価格でも大丈夫だ」とアマゾンの経営陣は判断しているのでしょう。
BIJ編集部・常盤
なるほど、我々は囲い込まれてしまっているわけですね。入山先生は、もしアマゾンが今後日本でのプライム会員価格を1万5000円に引き上げたらどうされますか?
僕は多分続けると思いますよ。僕はもうアマゾンの経済圏に入ってしまっているので(笑)。
ただし常盤さんがおっしゃったように、日本には楽天やヨドバシドットコムなどがある。そして、残念なことに日本は貧しくなってきていますよね。長い間デフレ経済圏にいたので、安いのが当たり前になってしまっている。だから日本人は全体的にアマゾンの価格に対して、欧米の人よりも弾力性が高いかもしれない。
この理由で、おそらく日本のアマゾンは、アメリカやヨーロッパほどにはプライム会員価格を上げにくいのではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
だとしたらありがたいですが……。入山先生と違って私はプライム会員価格が1万5000円になったらやめるかもしれません。ケチなんですね、きっと。
「ケチ」と言わず、「価格弾力性が高い」と言えばいいんですよ(笑)。
BIJ編集部・常盤
そうですね(笑)。いずれにせよ、今後のアマゾンの出方に注目ですね。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、音声編集:小林優多郎、編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。