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Insiderの記事の中でも、起業家のピッチデック(プレゼン資料)は特に人気が高い。起業を志す読者は先達のピッチデックをじっくり研究し、自分のプレゼンをブラッシュアップするためのヒントにする。
ただ、こうしたピッチデックや起業のハウツー本は、科学的というより自己啓発に近い。思いつきのアドバイスより実際のデータが欲しいという人には、専門家による研究のほうが向いているだろう。
どのようなピッチが効果的か、巨額の資金調達に成功するのはどういう人か……こうした疑問について、世界中の社会科学者や経営学者が現実に即した研究に取り組んでいる。私もそれらの文献を読んでみることにした。
実は市場規模よりパフォーマンス
それで分かったのは、ある論文の言葉を借りると、ピッチとは単なる「複雑なマーケティングツール」ではないということだ。数百人規模のイベントであれベンチャーキャピタル(VC)の会議室であれ、ピッチはコミュニケーションの媒体であり、シリコンバレーやその周辺では業界の情報通貨となる。
テック業界で最も効果的なピッチとは、最も論理的なピッチだと思うだろう。なんといってもシリコンバレーは、キレ者たちがデータに基づき意思決定を下す、超合理的な場所なのだから。しかしそのとおりだとすると、説明がつかないことが出てくる。
例えばアダム・ニューマン(Adam Neumann)はどうだ。WeWork(ウィーワーク)で10億ドルを溶かしたかの人物は、なぜビジネス界への復帰を許され、3億5000万ドル(約500億円、1ドル=144円換算)を与えられて新たな不動産ビジネスを始められるのだろう?
ピッチに関する学術研究からは、異なるストーリーがあぶり出される。うまくいくピッチにおいて重要なのは、市場規模、収益の可能性、創業者チームの経歴、技術の独占権といったビジネスの基本条件ではない。成功するのは、信頼を勝ち得るように作られたパフォーマンスなのだ。
ピッチの研究者であり、タルサ大学でメディアを研究するゼニア・キッシュ(Zenia Kish)教授はこう話す。
「プロダクトやアイデアについて伝える能力は、相手からの信頼に根ざしている必要があります。ピッチの研究をしていて興味深いのはこの点ですね。いかに個性やカリスマ性が意図的に盛り込まれているか。人は信頼できるという感覚を欲するものなんです」
問題は、信頼性のようなものを評価しようとすると、データよりも個人的選好に頼ることになるという点だ。
2008年のある論文では、3人の起業家が作成したピッチを投資家24人に評価してもらい、そのスタートアップに投資したいと思った要素は何だったかを聞いている。その結果、いずれかの起業家へ投資したいという評価と最も高い相関を示した要素はすべて「プレゼンにおける」要素、すなわち個人的なスタイルや話す能力などだった。経済的な要素はほとんど何の関係もなかったのだ。
あふれる情熱を表現できない起業家は不利
この研究によると、起業家が本当に成功したければ2つの特徴を備えていなければならない。「周到さ」と「情熱」だ。
数字を知り尽くし、市場を理解し、ピッチの質疑応答では問題に先回りする必要がある。しかしそれにも増して、魂でビジネスを感じていることを示さなければならないのだ。「救助犬と一緒に育ったので、犬の遠隔治療をアジアに広げることが一番の夢なんです」といった感じで。
このことは、ある程度までは理にかなっている。これまでに誰も試したことがないアイデアをプレゼンする場合、それがうまくいくかどうかについてのデータは存在しないからだ。過去の実績から将来の結果を予測できないなら、投資家は代わりに起業家のカリスマ性や感動的なストーリーといった要素で判断するしかない。
だがここからが厄介だ。修辞学が専門で、ピッチ研究にも取り組むテキサス大学オースティン校のクレイ・スピヌッツィ(Clay Spinuzzi)教授は次のように指摘する。
「情熱は単に相手が感じとって終わりというものではありません。ピッチにおいて情熱は重要な要素です。ただここで問題になるのは、緊張していると話し手は感情が平坦になる傾向があるということです」
たとえ情熱があふれていたとしても、緊張していたり、発達障害だったり、単にエキセントリックな天才だったりすると、その情熱をうまく示せないことがあるのだ。変なヤツにはエンジェル資金はあげないよ、となってしまう。
プレゼン後にも情熱を示す機会はある。質疑応答だ。これは、起業家の真価が問われるという意味でピッチそのものよりも重要となることが多い。しかしそこには落とし穴がある。受ける質問の種類によっては、限られた情熱しか示せないのだ。それに投資家から飛んでくる質問は、ピッチをしている起業家のジェンダーに大きく依存する傾向がある。
ピッチの現場にもジェンダーバイアス
組織行動論を専門にするロンドン・ビジネススクールのダナ・カンゼ(Dana Kanze)は次のことを発見した。
投資家は男性起業家に対しては、将来のビジョンに対して興奮気味に質問するなど、「促進的な」質問をする傾向がある。一方、女性に対しては、考えうる損失の回避についての無味乾燥で無難な質問など、「予防的な」質問をする傾向があるのだ。退屈な質問にはたいてい、退屈な答えしか返せない。
「ゆくゆくこのビジネスをどうしていきたいのかと野心に関する質問をしてもらえれば、自分が思い描いているあっと驚くようなビジョンを、情熱をもって伝えられるんですけれどね。
そういう質問をしてもらえなければ『ああ、情熱もビジョンも伝えられなかった』と思いながら席を立つしかありません。そして、促進的な質問より予防的な質問のほうが多ければ多いほど、調達できる資金は少なくなるのです」(カンゼ)
想像がつくと思うが、一般的に白人男性はそれ以外の属性を持った人々よりも資金調達に成功する確率が高いことが研究で示されている。VCの大半が白人男性で、自分と似た属性の起業家に出資する傾向があるからだ。これは「ホモフィリー(同類性)」と呼ばれる現象で、微妙だったりあからさまだったりと程度はさまざまだ。
スタートアップ界隈のジェンダーギャップは以前から指摘されている問題だ。
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カンゼの別の論文も興味深い。トップが女性だが典型的に男性にアピールする商品(ビールやトラック用品)を扱っている会社と、トップが女性かつ女性をターゲットにした商品(ファッションなど)を扱っている会社とでは、前者の方が調達する資金が少ないのだ。
女性のアイデアは良くないとか女性には出資すべきでないとか、投資家が明示的に考えているわけではない。女性から男性に向けたビジネスのピッチを、「ふさわしくない」と考えてしかめっ面を向けるのだ。
論文ではこう述べられている。「アーリーステージの投資判断は、ジェンダーが目立つ起業における過去の実績が存在しないという非常に不確実性の高い条件のもとで下される」。これはつまり、VCは判断のためのデータがないので直感を信じるのであり、その直感は「女性は男性ほど男性のことを知らない」と言っている、ということだ。
この偏見には、単なるありふれた性差別以上の根深い問題がある。VCには、ピッチを行う起業家の性別にかかわらず、典型的に女性的とされる振る舞いをする人には出資しない傾向もある。
ある研究者チームは、大学で毎年開催されるコンペでピッチをする人たちを長年にわたって撮影した動画を使い、起業志望者のことをどれほど「女性的」(温かい、繊細、感情的)あるいは「男性的」(力強い、支配的、自身に満ちている)と思ったかを被験者に評価してもらった。
その評価と資金調達の成功との間の相関を調べたところ、より女性的と評価された振る舞いが見られたピッチほど、最終ラウンドに進む確率が下がったのだ。ちなみに、この論文のタイトルは「女の子みたいなボールの投げ方(ピッチ)をするな!」である。
簡単なことだ。ピッチを成功させるには男になればいい。魅力的な男ならなおのこといい。研究によると、ピッチに男性の声でナレーションを当てると、女性の声の場合よりも投資家が出資したいと言う傾向が高まるという。
「誇張」も有効だ。ある研究では、エンジェル投資家たちに対し、さまざまな要素を微妙に変えた架空のピッチ(実在のヘルスケアスタートアップを元にしたもの)を提示した。アイデアの潜在的な価値や市場について、用意周到さ、思慮深さ、一貫性の程度を変えたパターンが用意された。なかには事業のポテンシャルについて信頼できるとは言いがたいバージョンもあった。
結果、投資家たちは誇張されたバージョンほど高く評価した。判断のためのデータがない中で、彼らはただビッグなアイデアで驚かせてほしかったのだ。
この、投資家と起業家の間の「情報の非対称性」は非常に大きいため、投資家は起業家に対する親近感や自分自身の直感に頼ることになる。ここでもやはり、ビジネスのファンダメンタルズはほとんど関係なかった。
世界を変える前に、シリコンバレーを変えろ
ずいぶん不健全で不誠実な話じゃないか。
こんなのが資本のエコシステムの基礎になるとは思えない。まるでデイビッド・モラーの著書『詐欺師入門——騙しの天才たち その華麗なる手口(The Big Con)』のようだ。シリコンバレーは全部ごまかしなのか? 砂上の楼閣なのか?
この問いに対し、前出のスピヌッツィ教授は「砂上の楼閣ではないですが、偏見の集合体であることは間違いないでしょうね」との返答だった。別の研究者も言う。時にはピッチした内容が現実の会社になって、税金を払い、何百人何千人という雇用を生むことものだから詐欺とは言えないと。
だがこれはおかしな擁護だ。アイデアを実現することではなく資金を調達することを「成功」と定義しているのだから。WeWorkは現実の会社になったが、いまこの社名を聞いて多くの人々が連想する言葉は「詐欺」だ。
ピッチに関する研究の多くには限界があることにも触れておくべきだろう。多くの論文は実験による証拠ではなく小規模な聞き取り調査に基づいている。投資の実際の結果を考慮している研究はあまりない。実際の行動の多くが行われるプライベートなピッチを観察している研究はさらに少ないし、デューディリジェンス後に起こったことの研究や、契約が結ばれる前の起業家やそのアイデアを深く調べた研究となると、輪をかけて少ない。
一方で、「シリコンバレーは経験主義のユートピアだ」という考えが偽りであることを示す研究もある。それどころか、自由奔放で金をかけた遊びを野放しにする信念こそが、シリコンバレーが他のテックエコシステムと一線を画しているポイントだ。
「以前、ある連続起業家がこんなおもしろいことを言っていました。東海岸のピッチデックでは、最も重要なスライドには収益の数字が載っている。西海岸のピッチデックでは、最も重要なスライドには問題と解決策についての『ストーリー』が載っている、とね」(スピヌッツィ)
残念ながら現実世界では、ストーリーや物語に依存しすぎると物事を台無しにしてしまう。
シリコンバレーの有力者たちにとっては、スタートアップは単なるビジネスではない。テクノロジー楽観主義を利用して、既存のシステムを破壊し、指数関数的に成長し、世界を変えるためのメカニズムなのだ。
これこそがカリフォルニアのイデオロギーであり、現代の情報時代を築く一方、VCが実現できることを限定する結果も招いた。
感動的なピッチはたいてい世界を変えようと謳うが、ピッチのプロセス自体が世界の卑劣な属性を体現しているのであれば成功するのは難しい。
システムとは往々にして、マルチメディアパフォーマンスアートに駆動された同窓生ネットワーク同然の働きをする。その結果、(大半が男性である)カリスマ起業家が、(男性が決める)刺激的なビジョンを持って、自分の偏見が単なる常識だと思い込んでいる投資家(これも大半が男性)から資金を得ることになる。
私にもっと起業家精神があれば、すべてを破壊する機は熟した、と言うかもしれない。
※この記事は2022年9月26日初出です。