「静かな退職」ブームは私たちに、幸福な人生とは何かを問うている

静かな退職

iStock; Rebecca Zisser/Insider

「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉が、最近にわかに注目を集めている。

一義的には「必要以上に一生懸命働くのをやめること」を意味するこの新語をめぐっては、まずそのトレンドがウォールストリート・ジャーナルの記事で取り上げられて話題になった。その後、これに対する反発が巻き起こると、さらに反発への反発も起こった。

今や誰もが「静かな退職」について、Z世代の働き手だけでなくその親世代も含めて(それが何を意味するかにかかわらず)一家言を持っている。

私たちはこの現象を、若手世代が仕事とプライベートの線引きを肯定するものとして祝福すべきなのだろうか。それとも、Z世代のさらなる権利意識の表れとして非難すべきなのだろうか。

まさか自分の記事が発端だったなんて

私は基本的に、この種の議論に首を突っ込むのが好きではない。読者と共有するに値する分析を展開するのに時間がかかりすぎるからだ。しかし今回は事情が違う。

今年3月、私は「ハッスル・カルチャー(仕事を全力で頑張るという文化)の次に来るものは何か」というテーマで記事を書いた。原稿の執筆にあたりコロナ禍の影響によって全力投球で働くことを静かに控え始めた人たちを取材し、この種の働き方を「コースティング・カルチャー(coasting culture:惰性で仕事をする文化)」と名づけた。

人事担当者は、このような非自発的な従業員の行動を「退職実施中」と呼ぶ。しかし私は、この新しい仕事観にはもっと深い意味があると感じていた。私たちが当たり前のように持っていた常識(従業員は身を粉にして働くものだという常識)に、従業員が密かに反旗を翻しているのだ。

最初に「静かな退職」という新語を耳にしたとき、なんとなく自分が執筆した話と似ているなと思った。少し経って、それが偶然の一致ではなかったことを知った。『ロサンゼルス・タイムズ』のマット・ピアース記者によると、「静かな退職」の由来を探ったところ私が過去に書いた記事がきっかけになっているという。

ブライアン・クリーリー(Bryan Creely)というキャリアコーチがTikTokで私の記事に何度か触れながら、「あなたは仕事を『静かに退職』した人ですか?」と視聴者に問いかける。「静かな退職」はこのときに生まれた言葉らしい。この投稿は反響を呼び、口コミで広がった。

「静かな退職(Quiet Quitting)」のほうが、私が名づけた「コースティング・カルチャー」よりはるかにキャッチーだ。しかし多くの人が指摘しているように、実際に仕事を続けているのに「静かに退職」したと言われると混乱するだろう。

仕事において120%の力を発揮しないことと、仕事をまったくしないことを同一視するのはいただけない。その意味で、「静かな退職」という言葉は不正確だ。しかしこれは、「大退職(Great Resignation)」や「反労働運動(antiwork)」のサブレディットなど新しく辞書入りした言葉と同じく、この前例のない職の不安な時期に仕事との新しい関係について何かを表現しようとする試みと見なすことができる。

「静かな退職」とは仕事を辞めることではなく、ものの見方を変えること、つまり「ハッスル・カルチャー」をやめることを意味するのだ。

単なるサボりか、ワークライフバランスの見直しか

「静かな退職」に関する議論は、その定義をめぐって展開されているものが多い。「静かな退職」の反対派は、これはクビにならない程度に最低限の仕事をすること、つまりサボることだと考えてけしからんと言う。一方の推進派は、これは明確で持続可能なワークライフバランスを確立するものだと言って称賛する。これでは、お互いにまったく別のことを話しているかのようだ。

両者の緊張感は、この議論の発端となった私の記事にも表れている。私はその記事の中で、コロナ以前は昼夜問わず働いていた4人(以下はすべて仮名)を紹介した。

ジャスティンとダリルの2人は、勤務時間を週40時間(つまり所定の勤務時間)に減らした。ベンチャーキャピタリストのステイシーは勤務時間を密かに週30時間に短縮し、職務怠慢にならない程度にゆるく働くようになった。4人目のアンソニーは、フリーランスのエンジニアとして複数の仕事を掛け持ちし、実際は週10〜15時間しか働いていないのに週80時間分の請求ができることを発見した。

この記事が公開されたとき、ジャスティン、ダリル、ステイシーについてはさほど声は上がらなかったが、アンソニーに対しては非難轟々だった。ある人事担当者は「これは詐欺だ!」と呆れていたし、読者の中にも「どうしてこれが違法にならないんだ」と激怒し、アンソニーを「道徳的な不届き者」だと断じる人もいた。

しかし私は、アンソニーのことを嫌なやつだとは思わなかった。むしろ、職場のロビン・フッドとして金持ち企業から時間を盗んでいるように私の目には映った。彼は長らく働き詰めの生活を送っており、数え切れないほどの時間を会社に奪われてきた。これが倫理にもとる行為なのであれば、少しくらいは見返りを求めたっていいじゃないか。実際、この記事が公開されると「アンソニーやるじゃん」というツイートもいくつか見かけた。

では、「静かな退職」とはジャスティンやダリルのように給料分の時間数しか働かないと決めて働くことなのだろうか。それとも、アンソニーのような働き方をすると決めた人たちを指すのだろうか。

一つの言葉でくくられるにはあまりに異なる行動だ。しかし現在の状況を考えれば、この混乱ぶりも頷ける。

仕事を減らしたら幸せになれるか

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