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エリザベス女王は人生の全てを国民に捧げた。96歳で死去、激動の生涯をふり返る

イギリス王室はエリザベス女王の死去を発表した。96歳だった。

イギリス王室はエリザベス女王の死去を発表した。96歳だった。

https://www.royal.uk/

イギリスのエリザベス女王が静養先のスコットランドのバルモラル城で亡くなった。イギリス王室が9月8日午後6時30分(日本時間9日午前2時30分)に発表した。96歳だった。1952年の即位以来、70年間にわたってイギリスとイギリス連邦諸国の君主を務めた。

イギリス王室が発表した声明の日本語訳は以下の通り

「女王は本日午後、バルモラルにて安らかに息を引き取られました。 (新たな)国王と王妃は今夜バルモラルにとどまり、明日ロンドンに戻る予定です」

エリザベス女王の死去に伴い、チャールズ皇太子(73)が新国王「チャールズ3世」として即位した。イギリスのアンセム「God Save the Queen(神よ、女王を守り給え)」は70年ぶりに「God Save the King(神よ、国王を守り給え)」となる。

女王の健康状態をめぐっては、イギリス王室が8日「今朝の診断の結果、医師団は女王の健康を懸念し、医師の監視下におくことを推奨している」と発表していた。

女王の健康状態に関する異例の王室声明を受けてBBCニュースは特別報道番組を放送。バッキンガム宮殿とバルモラル城からの中継映像や記者のレポートとともに、エリザベス女王の業績や王室の動向について伝えていた。

エリザベス女王死去の訃報が入った瞬間のBBCニュース。

バッキンガム宮殿に掲げられたエリザベス女王の死去を伝える声明。

バッキンガム宮殿に掲げられたエリザベス女王の死去を伝える声明。

REUTERS

エリザベス女王は6日、与党・保守党の党首に選出されたリズ・トラス氏(47)を新首相に任命したばかり。

新首相はロンドンのバッキンガム宮殿で任命されることが慣例だったが、女王の移動が困難なことから静養先のバルモラル城での任命となっていた。

治世下での首相は、第二次世界大戦でイギリスを勝利に導いた後に再登板したウィンストン・チャーチル以来、「英国病」と呼ばれた経済低迷に対応した“鉄の女”マーガレット・サッチャー、9月6日に任命したばかりのトラス首相に至るまで15人にのぼった。

9月6日、トラス新首相を任命したエリザベス女王。生前、最期の写真となった。

9月6日、トラス新首相を任命したエリザベス女王。生前、最期の写真となった。

REUTERS

2015年9月にはヴィクトリア女王(1819~1901年)の在位記録(63年7カ月)を抜いた。2022年2月にはイギリスの君主として在位70年「プラチナ・ジュビリー」を初めて迎え、6月に記念式典が挙行されたばかりだった。

イギリスの君主として史上最長の在位を記録した一方、昨年から公式の場で杖をつく姿が見られ、歩行が困難になっていることが伝えられていた。公務から離れることも増えていた。

2月には新型コロナウイルスに感染、回復後も「感染後、とても疲れてぐったりしてしまいますね」と倦怠感があることを明かしていた

プラチナ・ジュビリーの記念式典の動画では「くまのパディントン」とも共演。もしもの時のサンドイッチを鞄から取り出すシーンも。

トラス首相は女王の死去を受けて声明を発表。「女王の治世のもと我が国は成長し、繁栄してきました。今日のイギリスがあるのは、彼女のおかげです。女王は現代イギリスの礎でした」と追悼した。

その上で、新国王にチャールズ3世が即位したことを伝えるとともに、「エリザベス2世治世の終焉とともに、私たちはこの偉大な国の壮大な歴史に新たな時代を切り開くことになる」と述べた。

バッキンガム宮殿の周りに集まった人々。2022年9月8日

バッキンガム宮殿の周りに集まった人々。2022年9月8日

REUTERS/HENRY NICHOLLS

伯父の退位で、未来の「女王」となる運命に…。

1926年5月29日、洗礼式での記念写真。中央がエリザベス妃に抱かれたエリザベス王女。後列右から2人目が父のヨーク公アルバート。

1926年5月29日、洗礼式での記念写真。中央がエリザベス妃に抱かれたエリザベス王女。後列右から2人目が父のヨーク公アルバート。

Library of Congress, Public domain, via Wikimedia Commons

エリザベス女王は1926年4月、ロンドンでヨーク公アルバート王子とエリザベス妃の長女として生まれた。家族など親しい人からは愛称「リリベット」と呼ばれた。

1936年、人生を大きく変える事件が起こる。伯父のエドワード8世が離婚経験のあるアメリカ人のウォリス・シンプソン氏との「王冠を賭けた恋」で退位したことだ。

これにより父のヨーク公がジョージ6世として即位。エリザベス王女は推定王位相続人となり、未来の「女王」となる運命を背負った。

1939年7月、ジョージ6世がダートマス海軍兵学校を視察した際、妹のマーガレット王女とともに同行。この時、のちに夫となるギリシア王家のフィリップ王子が案内役を担当した。フィリップ王子は18歳、エリザベス王女は13歳。エリザベス王女が一目惚れしたと語られる。BBCは「フィリップ王子とエリザベス王女が会うのはこれが初めてではなかったが、王女が王子に興味を持ったのはこの時だった」と伝える

フィリップ王子との出会いの直後、欧州は第二次世界大戦に突入。10代の青春期を戦時下で過ごすことになり、ほどなくしてウィンザー城に疎開した。

1940年10月にはBBCラジオを通じ、初めての演説が放送された。演説は戦時下のイギリス領や海外に疎開した子どもたちに向けられたものだった。

「この国では何千人もの人々が家を離れ、父や母と離れ離れにならざるを得ませんでした。妹と私は、最愛の人たちと離れることがどういうことかを経験から知っているので、皆さんのことをとても気の毒に思っています」(1940年10月)

1945年春にはイギリス軍の女性部隊「補助地方義勇軍」(ATS)に入隊。軍用車両の整備や軍用トラックの運転などに従事した。

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1945年4月

Ministry of Information official photographer, Public domain, via Wikimedia Commons

国民に手をふる当時のジョージ6世一家。一番左が後のエリザベス女王。

国民に手をふる当時のジョージ6世一家。一番左が後のエリザベス女王。

Twitter/@RoyalFamily

「全生涯を皆さんのために捧げます」

大戦終結後の1947年には初の外遊で南アフリカを訪問。21歳の誕生日にはケープタウンからイギリス領全土に向けて演説した。

「全生涯を皆さんのために捧げます」。未来の君主としての覚悟を示した誓いは、のちにエリザベス女王の公務に対する奉仕の姿勢を象徴する言葉となった。

「私は、皆さまの前で宣言します。長くとも短くとも、私の生涯の全てを皆さんのために、そして私たち全員が属する偉大なる帝国という家族への奉仕に捧げることを」(1947年4月21日)

それから7カ月後、エリザベス王女はフィリップ王子と結婚。1952年2月に父王の急死を受けて25歳で即位。「女王 エリザベス2世」となった。

翌年にウェストミンスター寺院で執り行われた戴冠式は全世界にテレビ中継された。

1947年、マルタ島でのハネムーン。

1947年、マルタ島でのハネムーン。

Getty Images/Hulton Royals Collection

1953年、エリザベス女王の戴冠式の日。

1953年、エリザベス女王の戴冠式の日。

Getty Images/Hulton Royals Collection

1953年、エリザベス女王とウィンストン・チャーチル首相。

1953年、エリザベス女王とウィンストン・チャーチル首相。

Central Press/Getty Images

気さくで飾らない性格だが激しい気性の持ち主だったとされるフィリップ殿下に対し、女王は控えめで思慮深い性格だったと伝えられている。

毎年クリスマスに放送される女王のメッセージはイギリスの風物詩の一つだった。

1952年、初のクリスマス放送を行うエリザベス女王。

1952年、初のクリスマス放送を行うエリザベス女王。

Fox Photos/Hulton Archive/Getty Images

プライベートではチャールズ皇太子、アン王女、アンドルー王子、エドワード王子の子供4人、8人の孫、12人のひ孫に恵まれた。

1951年8月、家族とともに。

1951年8月、家族とともに。

Getty Images/Hulton Royals Collection

だが、家族との生活にはときに暗い影もあった。代表的なものが、チャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃の離婚問題だ。

アン王女、アンドリュー王子の結婚生活も破綻した。ウィンザー城が火事に見舞われたこともあった。一連の災難が続いた1992年を女王は「ひどい年」と呼んだ。

ダイアナ元皇太子妃が悲劇的な交通事故で亡くなった時には王室批判の矛先が向けられた。

1981年、チャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃の結婚式。

1981年、チャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃の結婚式。

/Princess Diana Archive/Hulton Royals Collection/Getty Images

1997年、ダイアナ元皇太子妃の葬儀。

1997年、ダイアナ元皇太子妃の葬儀。

Jayne Fincher/Getty Images

近年も王室メンバーのスキャンダルをはじめ、ヘンリー王子夫妻と王室メンバーとの確執も伝えられる。ヘンリー王子夫妻は王室メンバーから離脱し公務を引退。アメリカに移住した。

昨年4月には73年連れ添った最愛の夫・エディンバラ公フィリップ殿下に先立たれるなど、女王のプライベートが憂慮される出来事が続いていた。

エリザベス女王とフィリップ殿下。左が1947年、右が2017年。

エリザベス女王とフィリップ殿下。左が1947年、右が2017年。

Getty Images,Twitter/@RoyalFamily

度重なるスキャンダルで立憲君主制の廃止論や王室廃止論もくすぶる中にあってか、エリザベス女王は国民に対し開かれ、親しまれる王室のあり方を模索した。王室の近代化を進め、SNSも活用。慈善事業やボランティアにも関わり、女王はイギリスの精神的な支柱となった。

2012年のロンドン・オリンピックでは開会式に登場。映画「007」でジェームズ・ボンドを演じたダニエル・クレイグとも共演した。

「大英帝国」の終焉と重なった治世

エリザベス女王の治世は「大英帝国」の終焉とも重なる。第二次世界大戦と前後して、イギリス帝国は次第に解体。脱植民地化が進む大きな変動期にあった。

戦後かつての植民地は続々と独立を果たし、イギリスの国際的な影響力は低下。過去の帝国主義・植民地主義とどう向き合うかも問われた。

1956年にはエジプトのスエズ運河国有化宣言を受けて勃発したスエズ戦争(第二次中東戦争)に出兵したが、国際社会から非難を浴びた。「英国病」と呼ばれた社会・経済不安にも苛まれた。

そうした中でエリザベス女王はイギリスと旧植民地で形成されたコモンウェルス(イギリス連邦)との平等な関係と連携を深め、一定の影響力を持ち続けた。

精力的に海外も周り、130を超える国と地域を訪問。1975年5月にはイギリスの君主として初めて訪日。NHKで大河ドラマ「元禄太平記」の収録を見学した。

1984年の英中共同声明で「最後の植民地」と言われた香港返還に目処がつくと、86年にはイギリスの君主として初めて中国を訪問。香港は1997年、中国に返還された。

長年にわたってイギリスが支配したアイルランドとの和解にも力を注いだ。2011年には約100年ぶりにイギリスの君主としてアイルランドを訪問。独立闘争の犠牲者を悼んだ。

北アイルランド自治政府のマーティン・マクギネス副首相と握手を交わすエリザベス女王。

北アイルランド自治政府のマーティン・マクギネス副首相と握手を交わすエリザベス女王。

REUTERS

2012年には北アイルランド自治政府のマーティン・マクギネス副首相との会見も実現した。マクギネス氏は、イギリスからの北アイルランド分離闘争を続けてきた過激派「IRA(アイルランド共和軍)」の司令官だった人物だ。

女王はフィリップ王配の叔父だったマウントバッテン卿をIRAのテロで暗殺されており、両者の会談は歴史的なものだった。

第二次世界大戦からEU離脱に至るまで、イギリスの現代史を象徴する波乱に満ちた96年の生涯だった。

Twitter/@RoyalFamily,Associated Press

※情報を随時更新します。

(文・吉川慧)

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