通常のミドリムシと、ゲノム編集によって作られたべん毛のないミドリムシ。
画像:理化学研究所
単細胞生物である、微細藻類の「ミドリムシ」。
多くの栄養素を含んでいることから健康食品へ応用されたり、はたまたバイオ燃料の原料として活用されたりと、私たちの生活に浸透し始めている生物だ。
その特徴の一つが、ミドリムシの体の端からするりと伸びた一本の糸「べん毛」と呼ばれる器官だ。ミドリムシはこのべん毛を左右に振ることで、水中を移動する。
9月9日、理化学研究所と、ミドリムシを原料に健康食品やバイオ燃料などを製造するバイオベンチャーのユーグレナは、ゲノム編集技術によってべん毛を失わせたミドリムシ、つまり「泳げないミドリムシ」を開発したことを発表した。
この成果は、ミドリムシの生産効率向上に貢献すると期待できるとしている。
※研究成果は、科学雑誌『Plant Biotechnology Journal』のオンライン版に掲載されている。
泳げないミドリムシがコストを減らすワケ
通常のミドリムシ(左)と、ゲノム編集によって作られたべん毛のないミドリムシ(右二つ)の一例。「bbs7」と「bbs8」は、べん毛に関わる遺伝子。ゲノム編集によって各名前の遺伝子の機能を失わせた。
画像:理化学研究所
「ミドリムシを泳げなくすることで、なぜ生産効率が上がるのか?」と疑問に思う人も多いだろう。
これには、ミドリムシを培養し産業利用する際の工程が大きく関係している。
ミドリムシを原料にさまざまな製品を作るには、ミドリムシを大量に培養した上でそれを回収し、必要な物質を抽出する必要がある。ただ、ミドリムシは培養液の中を自由に移動するため、まとめて回収するには手間がかかる。実際、今は遠心分離機を使って回収している状況だという。
実は、この回収にかかるコスト(遠心分離機の備品代や電気代など)が、生産コスト全体の2〜3割を占めており、回収効率の改善が生産コスト低減に向けた課題となっていたのだ。
ミドリムシは、もともと重力の向きとは反対側に向かって移動する性質(重力走性)を持っている。研究グループは、べん毛を失わせることで「これ(重力走性)が消失して沈みやすくなります」と説明する。
「泳げない」ミドリムシを開発したことで、培養液の中でミドリムシが自然と沈殿し、遠心分離機で分離した状態に近い状態になる。こうすることで、これまでかかっていた生産コスト全体の2〜3割を削減できる可能性があるというわけだ。
泳げなくなっても生産量は変わらず
ミドリムシの培養液を静かに置いておいたところ、120分後にはゲノム編集によって作られたべん毛のないミドリムシがほぼ全量沈澱した。
画像:理化学研究所
研究グループは、実験室で実施された「試験管レベルの試験」において、今回開発したべん毛のないミドリムシの増殖能力や産業に活用できる物質の生産量が、通常のミドリムシと同等であるということも確認したという。
大規模培養した場合でも同様の結果が期待できるのか、というBusiness Insider Japanからの質問に対しては、
「培養する際の攪拌など課題はあるが、生産における効率はあまり変わらないと想定しています」(研究グループ)
と回答があった。
研究グループでは、2020年に一般的な品種改良手法として知られている重イオンビームを用いた方法でべん毛を持たないミドリムシの開発に成功していた。ただ、この品種改良手法は、ランダムな突然変異によって目的とする性質を持った生物を得ようとするものであり、想定していなかった変化も起こることがある。実際、この手法で開発されたべん毛を持たないミドリムシは、増殖能力や産業に活用できる物質の生産量が通常のミドリムシと比較して劣っていた。
研究手法の概略。
画像:理化学研究所
そこで、研究チームはより的確に狙った遺伝子のみを改変をするために、CRISPER/CAS9を活用したゲノム編集技術を活用。この手法は2020年にノーベル化学賞を受賞したことでも知られているが、理化学研究所とユーグレナの研究チームは、2019年にミドリムシに対してCRISPR/CAS9を適用する手法を確立していた。
国内では、ゲノム編集技術が水産養殖の現場や、野菜の品種改良のために使用され始めている。一方で、産業用微生物への活用も本来相性が良い分野だ。
ミドリムシに限らず、今後、バイオ産業全体でゲノム編集のさらなる活用が期待される。
(文・三ツ村崇志)