稲盛氏(左)がかつてジャック・マー氏と語り合ったこととは?
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京セラ創業者の稲盛和夫氏と、中国最大のEC企業アリババグループを創業したジャック・マー氏は、2014年に中国・杭州市で2008年以来となる2度目の対面を果たした。当時、日本航空(JAL)の経営再建に成功した稲盛氏と、アメリカで史上最大のIPOを実現したマー氏は、それぞれの国を代表する企業家として脚光を浴びていた。
稲盛氏は8月に90歳で死去し、マー氏は中国政府の不興を買ったことでこの2年は表舞台から姿を消している。「哲学する経営者」という共通点を持つ2人が何を語り合ったか、5時間近くに及んだ対談を要約して紹介したい。
注:対談は稲盛氏、マー氏の他にも複数が参加し、自由討論に近い形式で進められました。そのため、2人の発言も分かりやすさを優先して文意を変えず要約しています。
102年企業を目指す理由
ジャック・マー氏(以下、マー):中国企業はマネジメントにしっかりとした思想と文化を根付かせる必要があると考えています。あなたが寺で1年間和尚さんをしていたと聞いて、私も60歳で出家しようと考えたのですが、妻が許してくれませんでした。けれど実のところ、私たち企業家は仕事でも生活でも災難と楽しさの両方を経験できるので、日々修行しているのと同じですね。
アリババは15年前に創業しました。あと87年は存続するつもりです。これまでの15年は運に恵まれうまくやってこられましたが、今後はミッション、価値観、カルチャーを確立し、「他の人たちがうまくいってこそ、自分たちもうまくいく」の精神を持ち続けることが非常に重要です。
稲盛和夫氏(以下、稲盛):私たちの考えは一緒ですね。良い時も困難な時も、毎日が修行です。アリババはわずか15年でこれほどの大企業になったのですか。多くの人は成功すると傲慢になりますが、あなたは違いますね。ところで、なぜ「(15+87の)102年」なのでしょうか。
マー:アジア企業、特に中国企業は「100年企業」を目標にしています。アリババは20世紀最後の年である1999年に設立されました。3世紀にわたって、つまり22世紀(2101年)まで存続しようと思えば102年という計算になります。きっと後の時代の人が私よりうまくやって、実現するでしょう。
哲学の継承には努力が必要
マー:道教は調和を、儒教は規範を、仏教は包容を説きます。私は太極拳から、物事には良いも悪いもなく、結局は捉え方次第だと悟りました。中国で企業を経営する上では、良い「中国の薬」が必要です。儒教、道教、仏教を融合してこそ良い薬ができます。一つだけだと偏ってしまいます。
多くの人がカルチャーや思想では儲けられないと言います。しかしカルチャーと思想を通じて良いやり方を見つけ、稼ぐことはできます。アリババがそれを証明しています。企業経営はカルチャーが根底にあるべきで、私はカルチャーや思想が自分と他者に収益をもたらすものだと固く信じています。企業経営の目的が儲けることだけなら何も面白くないでしょう。
稲盛:前回お会いしたときは、あなたがこれほどの傑出した人物だと思いませんでした(笑)。
マー:私は禅宗や寺に興味を持っています。ただ、修行は寺でだけやるものではなく、人間はずっと修行ですよね。
稲盛:まさに。企業経営は修行そのものです。その考えは大したものです。
マー:企業が死んでも、企業のカルチャーは死にません。イノベーターが滅んでも、イノベーションは滅びません。
企業は文化、哲学、宗教の延長線上にあるものだと考えています。私にとって経営は自分を修練する方法に他なりません。歴史が覚えているのは、財を成した人ではなく、思想を持ち、思想の体系をつくった人です。
私は京都が一番好きで、箱根も伊豆も好きです。まだ行ったことはないですが、きっと日本の農村も味わいがあり、とても素晴らしい場所でしょう。東京は良いところだけど、ニューヨークや北京との違いが分かりません。お金は稼げるでしょうけどね。
ジャック・マー氏は2年近く、表舞台から遠ざかっている。
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稲盛:マーさんがおっしゃる通り、優れた文化があってこそ継承が続くものですが、私はその継承には努力がとても大事だと考えています。
日本には東芝、日立のような歴史の長い大企業があります。明治維新で封建社会が解体され、近代日本が誕生した時期、商才のある人々が会社をつくりました。この時の創業の精神は、創業者の「社訓」として継承されていきました。しかし、その精神や哲学の継承には努力が必要なのです。もちろん紙に書いて保存はできますが、継承の努力をしなければ形骸化します。そうなると、存続はしているものの活力を失った企業になってしまいます。
日本の大企業は創業の精神を失ってしまったものが少なくありません。京セラは今年創業55周年を迎え、全国各地で創業記念式典を開催しました。この記念式典も企業精神を継承するための努力です。
マーさん、あなたの哲学や思想は非常に優れたものですが、若い人にどうやって継承していくのですか。
マー:資本主義社会はプレッシャーと誘惑が多く、経営者は大変です。企業はその大きさではなく、独自の文化や魅力を示すべきです。本来、文化は時間をかけて修練するものですが、アリババはこんなに大きくなり、注目を集めるようになりました。カルチャーを維持するのもなかなか難しいです。
アリババは今、繁栄・成長フェーズではなく、危険なフェーズに突入したと考えています。だから制度によって文化を強化しなければなりません。アリババはカルチャーの浸透度合いも従業員の評価に組み入れています。カルチャーと制度は決して矛盾するものではありません。
企業のビジネスモデルとカルチャー・制度の整合性を取るのは、自然に春夏秋冬あるようなものです。夏も冬も厳しいです。けれど(アリババのある)杭州も(京セラのある)京都も春夏秋冬を経て、これだけ長く発展を続けています。
経営者である前に人として正しくあるべき
ソフトバンク・ビジョン・ファンドは最近アリババグループの株を現金化し、両企業の関係も変わりつつある。
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稲盛:京セラの3代目社長の伊藤(謙介)は社長就任後、「哲学が薄れれば京セラの命運も尽きる」と言って、哲学の継承を企業経営の最も重要な位置に置きました。彼に請われて私は経営哲学と人生哲学から構成される「京セラフィロソフィ手帳」を策定し、それは社内の研修活動で使われるようになりました。各部門の幹部から一般社員に至るまで京セラフィロソフィを学び、共有し、仕事で実践しています。
「宗教や文化の違う外国の従業員に、日本の哲学が受け入れられるの?」と疑問を呈されることもあるのですが、私の思想や京セラフィロソフィは仏教や儒教の思想のみを源流としているのではありません。人としての正しい道は、国を問わず共通しています。京セラの欧米の数千人の従業員も、上海や東莞の工場で働く農民工も、みな京セラフィロソフィを学んでいます。
京セラフィロソフィは普遍性や実用性を持っています。日本航空(JAL)の経営再建でも使いました。人として正しくあることは、経営者にとって最も基本的な要件です。
マー:私が企業の価値観を構築しようとしていたとき、多くの人に米GE(ゼネラル・エレクトリック)にはできるけれど、中国企業には無理だろうと言われました。また、伝統企業なら可能だろうけど、ハイテク企業には無理だろうとも言われました。
しかしその後、(GE元CEOの)ジャック・ウェルチ氏と交流する中で、本物の価値観は、人が良い人間であるための基準であり、普遍的なものだと気づきました。ハイテクだろうがそうでなかろうが、中国だろうが欧米だろうが、良い人間であるための価値体系は同じなのです。
稲盛:「仕事が修行」という経営者に私は初めてお会いしました。これだけ人間性にあふれた経営者は初めてです。
私は65歳のときに禅寺で出家の修行をしました。私たちのような人間は寺で修行してもなかなか本当の成果が出ません。幸い、私たちは素晴らしい企業で仕事をしており、そこが修行の場所なのです。仕事には苦痛も楽しさもあり、さまざまな出来事に遭遇します。これは僧侶が寺で修行をするのと全く同じですね。仕事を通して修行をすれば、自分の人格を高め、人間形成ができます。マーさんの考えに完全に賛成します。
私は82歳で、マーさんのお父さんの年齢です。私は寺で修行をしましたが、考えてみたら、会社を設立以来55年間ずっと修行をしてきました。日本では戒律を守らず品行方正でない僧侶を「生臭坊主」と言います。私もそうかもしれません。この年齢になっても、まだ煙草をやめられません(笑)。
(敬称略、来週公開予定の後編につづく)
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。