2018年のロイヤルアスコット競馬大会に馬車で現れたエリザベス女王。
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エリザベス女王(エリザベス2世)があのような熱烈な支持を得たのは、単に王冠をかぶっていたからではない。9月8日に崩御した女王は、変化への柔軟性、ブランディング力、そしてチームワーク力を通してレガシーを作り上げたのだ。
そして、そのスキルから私たちが学べるものもきっとある。スイスのIMDビジネススクールでリーダーシップ論と組織変革を教えるマイケル・ワトキンス(Michael Watkins)教授はInsiderのメール取材に応じ、エリザベス女王は「不変性と柔軟性のバランス感覚に優れた」指導者だったと言う。
ワトキンスによると、このような指導者は「原則に忠実で、一貫したコミットメントを持ちつつも、不可避の(時には劇的な)変化に直面した時には柔軟に対応することができる」のだという。
景気後退の脅威や、リモートワークをめぐる不透明な労働環境などのために物事が不安定に感じられる今の時代、こうしたスキルはリーダーにとって特に重要なものだ。
本稿では、エリザベス女王の統治から学ぶことのできるリーダーシップの教訓の中から、最も意義深い3つを紹介する。
女王は自分よりも国を優先した
エリザベス女王がイギリス連邦の君主となったのは、暴力を伴う脱植民地化の時代が数十年にわたって続いていたときだった。
多くの人々から愛された一方で、暗い歴史を伴うイギリス君主制の象徴ともなり、前世紀には多くの者が(かつてのリズ・トラス新首相も)イギリス君主制の廃止を主張した。
「このようなパブリックイメージの低下に対処するため、エリザベス女王はイギリスを統治するうえで何よりも国民を優先した」
オレンジリーフ・コンサルティング(Orange Leaf Consulting)のCEOで、『Sell Yourself: How to Create, Live, and Sell a Powerful Personal Brand』(未訳:自分を売り込む——強力なパーソナルブランドを作り、生き、売る方法)の著者であるシンディ・マクガヴァン(Cindy McGovern)はそう指摘する。
「女王は感情を表に出さない銅像のような人だと思われていたが、実際はそうではなく、非常に思いやりのある人だった。本当に奉仕の心を持っていた」(マクガヴァン)
女王は、初めてテレビ放送された1957年のクリスマススピーチの際、自分の役割は歴代の国王・女王と同じではなく、また同じにはできないと述べた。
「私は皆さんを戦いに導くことはできませんし、法を定めたり、人を裁いたりすることもありません。しかし、私にできることは他にあります。それは、この歴史ある英国の国民と、兄弟国の全ての人々に、私の心と献身を捧げることです」
女王は在位中、国民のためになると信じた時には王室の慣習に挑戦することも厭わなかったとマクガヴァンは言う。
今でこそ王室の人々がファンに挨拶するのは当たり前のことだが、エリザベス女王が1970年のロイヤルツアーで最初の「ウォークアバウト(walkabout)」(王室のメンバーが集まった国民と直接言葉を交わすこと)を行うまで、そのような習慣はなかったのだ。
「これは本当に強力なリーダーシップの特徴だ。仕事をうまくこなしても、人々に支持されるとは限らないということを、多くの指導者は忘れてしまう」とマクガヴァンは言う。
女王は時に、家族よりも女王としての役割を優先したことさえあった。孫のハリー王子(Prince Harry)とその夫人のメーガン・マークル(Meghan Markle)サセックス公爵夫人から、名誉ある軍職と王室からの支援を剥奪するという選択をしたのだ。
2021年2月に彼らが王室メンバーとしての役割から離脱すると発表した際のことだった。
ペプシコ(PepsiCo)のシニアバイスプレジデントであるマウロ・ポルチーニ(Mauro Porcini)はInsiderの取材に対し、「女王は大義と国を何よりも優先した。自分自身よりも女王としての義務を優先したのだ。自分自身よりもパーパスを愛した。それは誰の目にも明らかだった」と言う。
女王は一貫したブランドを維持した
エリザベス女王のカラフルな帽子とペットのコーギー犬たちも、実はリーダーシップに欠かせない要素だったとマクガファンは言う。これらを通じてイギリス連邦の人々は女王に親しみを持ち、それが女王を安定の象徴、激動の世界に必要とされる不変の象徴へと変貌させていったと言う。
「女王は何があっても変わらなかった。コロナがあっても、戦争があっても、平和でも、不景気でも、スキャンダルがあっても、彼女はエリザベス女王以外の何者にもなろうとはしなかった」とマクガヴァンは言う。
ポルチーニは、女王が作り上げたパーソナルブランドは、周りの世界が根本的に変化していっても、70年間注目の的であり続けたと言う。
「女王が全世界津々浦々の何十億人もの人々に心から敬愛されたのは、その一貫性があったからだ」
女王は指導者たちの良きパートナーだった
女王は在位中、15人の首相と公務をこなした。
女王は即位して間もない27歳の時にウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)に会い、彼から君主制や政党について教えを受けた。マクガヴァンは、エリザベス女王自身が助言者や政府に頼る姿を見せたことで、他の指導者たちも助けを求めやすくなったと指摘する。
その半世紀後、トニー・ブレア(Tony Blair)元首相はザ・テレグラフ(The Telegraph)の取材に対し、「(女王は)全幅の信頼をおいて話ができ、その信頼を決して裏切らない数少ない人物だ」と語っている。
女王とイギリス議会との関係も女王のイメージを高めた。社会心理学者でありコロンビア大学で経営学教授を務めるアダム・ガリンスキー(Adam Galinsky)は、「女王が統治原則に反したり、それらに対立したりすることがあったりしたら、君主制はおそらくイギリス社会の支持を失っていただろう」と指摘する。
「しかし女王はその区別を心得ていたため、議会の良きパートナーとして振る舞えたのだ」
マクガヴァンは、「女王は宝石をつけてただ座っていたわけではない。それどころか実際に公務をこなさなければならなかった」と言う。
「女王は大黒柱のような存在に見えたが、彼女の強さは極めて優秀な人々に囲まれていたためでもあったのだ」
(編集・野田翔)