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「人生最大のトンネル」期を抜け出産。ワクワクする課題解決法を提案し続けたい【WELgee・渡部カンコロンゴ清花4】

渡部カンコロンゴ清花

撮影:伊藤圭

2020年初めのある日、NPO法人WELgee(ウェルジー)代表、渡部カンコロンゴ清花(31)は、事業統括の山本菜奈(27)とちょっとした言い争いをした。

ある団体へのプレゼンテーションの準備を2人で分担したものの、当日に渡部が「ごめん、できてない」と言い出したからだ。

「『締め切り決めたよね?』と私も怒っちゃって」と、山本は振り返る。「その日から、ジェスさん(渡部の愛称)と連絡が取れなくなりました。物理的に消えちゃったんです」

「寝ないで頑張る」では乗り越えられない壁

渡部はこの時、誰にも言わず翌日の航空券を買い、前年に結婚した夫が当時住んでいたアメリカへと飛んだ。

ただ山本とのやり取りは、コップの水をあふれさせる「最後の一滴」にすぎなかったという。長い時間をかけて、水はたまり続けていた。

連載第3回で恩師の下澤嶽が指摘したように、渡部は得意不得意の差が非常に激しい。共感力や発信力、ゼロから新しい仕組みを発想する力は突出しているが、チームをまとめることや、組織を管理し事業に必要な資金を調整し、構想を持続的なシステムにするといったことは苦手だと、自らも認める。

それでも団体の規模が小さいうちは、「寝ないで頑張る」といった体力と根性で、どうにか難局を切り抜けられた。しかし組織が拡大し、団体を支援してくれる人の数や扱う金額が増えるほど「自分はこれができない」「これもダメだ」と落ち込む場面が増え、次第に「自分には存在価値がない」とすら思うようになった。

「組織の成長に自分が追いつけないというギャップが苦しかった。かなり以前から、このままじゃダメだと気付いてはいたけれど、目先の重要な案件への対応を優先して、見ないふりをしていました」(渡部)

渡部は中学以降、「NPOのみんなのものだった」親には物心ともにあまり頼らず、自力で進路を切り開いてきた。チッタゴン丘陵地帯での活動も「できることは最大限やった」という自信につながった。しかしこれらの成功体験が仇となって、自分の苦手分野を認めて人に任せることに、大きな抵抗を感じるようになった。

「『任せるよ』と言うのは、組織の代表として無責任だと思っていました」

その結果、不得手な作業を中途半端に抱え込み、最終的には冒頭の山本にしたように、チームに迷惑をかけた。当時の渡部について、山本はこう話す。

「ジェスさんはずっと申し訳なさそうで、できないことを指摘されるんじゃないかとびくびくしているように見えました。まるで『あるべきNPO代表』という、別の自分になりたがっているみたいでした」

成功体験を白紙に戻し、自分に向き合う

眠れない女性

渡米後、渡部は体調の変化に苦しみながらも、自身と徹底的に向き合った(写真はイメージです)。

gbbot/ShutterStock

渡米した渡部は食欲が落ち、眠れなくなった。なのに朝はベッドから起き上がれず、涙が止まらない。今でも当時の記憶はややあいまいだという。

ただ分かっていたのは「過去の自分のやり方は、もう通用しない」ということだ。WELgeeの仕事からもほぼ離れ、FacebookやTwitterなどすべてのSNSをアンインストールし、外からの情報を遮断して自分と向き合った。

「これまで頑張って乗り越えてきた経験も成功した思い出も、全て白紙に戻す作業は、過去の自分を否定するのと同じようなもの。本当にきつかった」

そこへさらに、妊娠が発覚。「ただでさえいっぱいいっぱいなのに、子どもまで背負ってやっていけるのか」と悩んだ末、NPOの先輩や学生時代の恩師、友人たちに、オンラインで悩みを相談し始めた。

するとそれまで「順風満帆で、キラキラしているように見えた」先輩たちが、口々に悩んだ時期のことを語り「コーチングを頼んでみたら?」「心にあることを一つひとつ書き出してみては」といったアドバイスをくれた。「悩んでいるのは自分だけじゃない」と安心できたことで、渡部は少しずつ浮上していった。

アフリカには「早く行きたければひとりで行け、遠くまで行きたければみんなで行け」ということわざがある。渡部はこの時期ようやく、このことわざの真意が分かり始めたという。

「自分はこれが苦手なんだと認め、手放す領域があっていい。相手と信頼関係があるからこそ『任せるよ』とも言えるんだと、思えるようになりました」

それからは苦手な作業を少しずつ、メンバーに分担してもらうようになった。弱みが分かると、強みも分かった。名刺管理にはSansanを、顧客管理にはセールスフォースなどのデジタルツールを積極的に導入し、作業負担を軽くするようにもなった。

WELgeeでは2022年8月下旬、山本ら職員2人が理事に就任し、内部理事が1人から3人に増えた。山本は「複数の理事による集団体制へと舵を切ったことは、ジェスさんが『あるべき代表』のテンプレから脱し、人に任せられるようになったことの表れのように思います」と話す。

さらに山本は「ジェスさんは子どもの心のまま大人になったような人。ずっとありのままの彼女でいてほしい」と、笑顔で語った。

「私たちは組織運営を学ぶことはできても、ジェスさんにはなれません。組織としても『圧倒的な弱み』を持つ代表と私たち職員が、お互いを補い合うことで、難民の人たちに対してももっとインクルーシブになれると思うんです」

事業や組織に固執せず、力を発揮できる場所へ

家族と渡部カンコロンゴ清花

渡部と夫(写真中央)、そして息子はそれぞれパスポートの発行国が異なっている。

提供:渡部カンコロンゴ清花

「人生最大のトンネル」を抜けた渡部は2021年、長男(1)をアメリカで出産。渡部は日本の、コンゴ民主共和国(DRC)出身の夫はDRCの、長男は出生地であるアメリカのパスポートで、日本に帰ってきた。乳児を抱えて保活や近県への引っ越しなど慌ただしい生活の中、WELgeeの活動を続けている。

渡部と日本で出会った夫はその後、抽選でアメリカのグリーンカード(永住権)を取得した。永住権を持続するためには、今後も定期的に渡米する必要がある。それぞれの国での法的地位について夫と話し合い、子どものパスポートや自分のビザなどの問題にも対処してきた。その中で、国籍や国境を意識せざるを得ない「難民」の立場をわずかではあるが経験できたようにも感じている。

「壮絶な経験を重ねた彼らに『あなたの気持ちは分かるよ』などとはとても言えない。それでも、もどかしさに寄り添えれば、と思います」

渡部は「難民問題は有史以来存在し、国家という枠組みがある限りなくならない。有効な支援の形も、時代によって変わるでしょう」と話す。

WELgeeの事業も、30年後には機能しなくなっているかもしれない。渡部は長期的に見れば、現在の事業やWELgeeという枠組みに固執する必要はないと考えている。

「市町村のような地方自治体と協働で、難民と住民が共生する好事例を作って横展開できたらいいなと思うこともあります。あるいは政治の文脈で、立法や制度作りに関わった方が、難民支援の仕組みを社会にインストールするのに有効かもしれません」

大学時代の恩師、下澤は言う。

「彼女は若く伸びしろも大きいので、今後10年ぐらいの間に活躍の幅はさらに広がるでしょう。団体の枠に留まらず、政治家やグレタ・トゥーンベリさんのようなアクティビスト、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏のような存在になれる可能性もある、と思います」

渡部カンコロンゴ清花

撮影:伊藤圭

渡部は子どもの頃「大きくなったら何になりたいの?」という質問が苦手で「看護師」「ピアノの先生」などと、適当に答えていた。大人になった今も、職業としてずっと「NPO代表」を続ける自分はあまり想像できないという。昔ながらの「職業」では表現できない役割が、社会にたくさん生まれているという期待感もある。

「私は社会に新しい課題解決法を『こんなやり方もあるんですよ、面白くないですか?』と提案する時が一番ワクワクするし、そこに自分の価値があると思う。20年後、30年後も、力を一番生かせる場所で、自分の役割を果たしていたいと思います」

(敬称略・完)

(文・有馬知子、写真・伊藤圭)

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