提供:LIFESCAPES
頭で思い描いた通りに動く巨大なロボットや、ヘッドギアで思考を読み取りメタバース(仮想現実)を自由自在に動き回るアクションゲームなど——。
SFマンガやアニメではもはや「定番」の設定ですが、実はいま、この夢を現実にする可能性を秘めた「BMI」という装置の研究開発が進んでいます。
「BMIは『Brain-Machine Interface』。定義から言うと、『脳(Brain)と機械(Machine)を機能的につなぎ合わせたもの』という意味です」
そう語るのは、慶應義塾大学理工学部でBMIの研究に取り組む牛場潤一教授です。
牛場教授は、BMIを活用して身体が麻痺状態になった患者を治療するためのデバイスの事業化を推進するべく、LIFESCAPESというスタートアップ企業を設立。慶應義塾大学の教授とCEOの二足のわらじで、研究開発に取り組んでいます。
BMIは、医療やヘルスケア、エンタメビジネスの文脈で、いま非常に注目されている分野です。2016年には、電気自動車メーカー・テスラの代表を務めるイーロン・マスク氏が、脳に埋め込むチップを開発するNuralinkという企業を設立したことも大きな話題となりました。
9月のサイエンス思考では、医療やメタバースをはじめ、さまざまな分野での可能性を秘めているBMIの現状について、牛場教授に話を聞きました。
「BMIは既に社会に浸透している」
慶應義塾大学理工学部でBMIの研究に取り組む牛場潤一教授。
撮影:三ツ村崇志
「脳と機械をつなぎ合わせるものがBMIである」とはいうものの、牛場教授によるとBMIのやり方は大きく分けて3種類あるといいます。
例えば、牛場教授が研究しているのは「念じたとおりに機械を動かす、いわゆるサイボーグやテレパシー的なBMI」だといいます。
このタイプのBMIでは、「手を動かしたい」「足を動かしたい」と念じた際に発生する脳の活動(脳波など)をセンサーでピックアップする必要があります。
牛場教授は、AIを使い、ピックアップした脳波データからその人の意思通りにロボットアームを動かしたり、コンピューターのカーソルを操作したりすることができるといいます。
脳波を読み取ったイメージ。こういったデータを元に、その人が身体をどう動かそうとしているのかを読み取る。
撮影:山﨑拓実
脳の活動を読み取る方法には、いくつか種類があります。
牛場教授らはヘッドギアのようなものを使って脳波を計測していますが、外科的手術によって、脳や脳の血管の中に電極を入れることで、脳の活動をより正確に読み取ろうとするデバイスもあります。
アメリカのSynchronは2021年12月23日、脳の血管にBMIデバイスを導入した筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者が、BMIデバイスを通じてTwitterでメッセージを発信することに成功したという驚きの発表をしています。
※このTweetは、ALS患者のPhilip O-Keefe氏が、SynchronでCEOを務めるThomas Oxley氏のアカウントを利用してつぶやいたもの。
「念じるタイプ」とは対照的に、「外からの刺激を人間に入力するBMI」も存在します。BMIの社会実装という意味では、こちらの方が先んじています。
「例えば、マイクやカメラで撮影した音や映像のデータをAIで処理して、音や視覚を処理している脳の領域にインプットしてあげると、難聴の人や眼が見えない人が、マイクの音やカメラの映像を手がかりに『知覚』することができます。
これは『入力型のBMI』とも言われていて、医療機器(人工内耳や人工網膜)として実用化しています」(牛場教授)
子どもが着けている装置が「人工内耳」。
REUTERS/Eliseo Fernandez
これに加えて、脳に電極を埋め込んで活動を制御する「介在型」とも呼ばれるBMIもあります。
「例えばパーキンソン病のように、脳の活動がうまくいかずに手の震えが起きてしまうような方に対して、脳の信号を整えてあげて、震えを止めることなどができるとされています」(牛場教授)
脳に電極を埋め込み、刺激を与えることで治療する手法は「深部刺激(DBS)」と呼ばれ、日本でも一部の病気に対する治療法として保険適用されています。
「BMIと聞くと、最近ブーム的に広がったようにも見えるのですが、歴史を紐解いてみると、人工内耳や人工網膜、DBSなど、医療機器として社会実装されているものもたくさんあるんです」(牛場教授)
「BMIのフロンティア」で脳の損傷を治療する
私たちは脳のポテンシャルを生かしきれていないのかもしれない。
Shutterstock/Yurchanka Siarhei
牛場教授は、「念じて動かす」出力型のBMIの領域が「BMI研究にとっての、今のフロンティアになっている」と話します。
牛場教授は大学で基礎的な研究をする傍ら、スタートアップ企業であるLIFESCAPESを設立し、BMIを使って脳卒中などにより生じた「手指の麻痺」を治療しようと研究開発を進めています。出力型のBMIが、なぜ麻痺の治療に活用できるのでしょうか。
私たちの脳内では、無数の神経細胞がネットワークを構築しており、身体の動きなどに関わる信号はこのネットワークを通じて手や足などの末端に送られています。脳卒中などになると、ダメージを受けた脳の神経細胞が機能しなくなり、ネットワークが壊れてしまうことがあります。ネットワークが壊れると、その損傷具合に応じて思い通りに身体を動かせなくなってしまうわけです。
ただ、私たちの脳には、傷ついたネットワークを迂回する「バックアップ経路」がたくさん存在しています。実は、このバックアップ経路をうまく使うことができれば、たとえ本来の神経細胞のネットワークが壊れていても、身体を動かすことが可能になる……というロジックで、麻痺の治療ができるというのです。
とはいえ、課題もあります。
「私たちは、脳にバックアップ回路があったとしても、簡単に切り替えることができません。うまく切り替えるには、(バックアップ経路を使うように)脳をアップデートしてあげる必要があります」(牛場教授)
実はここで、BMIの活用が期待されているのです。
フィードバックで脳をアップデートする
牛場教授が代表を務める、LIFESCAPESが開発しているデバイスのイメージ。
提供:LIFESCAPES
例えば、麻痺が重ければ、リハビリの際にうまく脳のバックアップ回路を活動させることができたとしても、身体が動かない場合があります。
「試行錯誤するけれども、それが正しいのか正しくないのか、本人もセラピストも誰も分からない。BMIを使って正しい脳活動を見える化することで、それが分かってくる」(牛場教授)
脳が正しい活動をした際に、ロボットアームなどを用いて強制的に身体を動かしたり、動きをサポートしたりすることも非常に重要です。脳が正常な活動をした際に、「身体が正常に動いた」というフィードバック(筋肉の収縮などの物理的な変化の情報)をすることで、さらに学習効果が高まると考えられています。
「これを毎日繰り返すことで、最後にはBMIのサポートを得なくても、ご自身で正しい神経回路を使って身体を動かせるようになるんです」(牛場教授)
BMIによるリハビリテーションの有効性は、世界中で行われた臨床試験の結果から明らかになり、日本脳卒中学会が発表している治療ガイドラインにも、そのことが記載されるようになりました。
脳卒中などによって脳にダメージを受けると、身体に麻痺が残ることがある(画像はイメージです)。
Birch Photographer/Shutterstock.com
牛場教授の研究室でも、共同研究先の医療機関と連携してすでに合計40人近くの脳卒中患者に研究に協力してもらい、その結果を論文として報告しています。10日間の継続的な訓練によって、臨床試験に参加した脳卒中患者の7割で筋肉の応答がみられるまで回復したといいます。
現在は、医療機器として認可されることを目指して、知見を積み重ねている最中だといいます。
「僕らのような専門家が慎重に使うから有効性がみえるのではなく、初めて扱う方でも同じように効果があるのか。そういう誰もが使えるテクノロジーとして、もっと作り込みをしていく必要があると思っています」 (牛場教授)
「脳の可能性はこんなものではない」
スタートアップ企業を立ち上げ、社会実装に向けて着実に研究開発を進める一方で、牛場教授は、大学などの研究機関で基礎的な「脳の機能」について研究を継続することも非常に重要だと指摘します。
「まだ分かっていない未知の脳の領域の方が、実はまだ大幅に機能を回復させるポテンシャルがあるかもしれません。
例えば、手術で脳の半分を切除した人が、劇的に回復するような奇跡みたいなことだってあるわけですよね。そういった事例では、今までとは明らかに違う領域が、脳の機能を補っていることになります」(牛場教授)
脳が持つこうしたポテンシャルを最大限に生かすことができれば、BMIの可能性はより広がるはずです。
単純に脳にフィードバックをするインターフェースを作るだけでは、脳のどんな活動が脳の柔軟性を引き出しているのかを理解することはできません。「デバイスの作成」と「脳に対する基礎的な理解」の両輪が揃って進歩していく必要があるのです。
「脳という臓器は、それだけの可能性を秘めていることは間違いありません。だけど我々はその可能性を十分に引き出すテクノロジーを持っていません。
だから私は、大学の教授として脳の仕組みの深い本質的な理解を追求しながら、今の時点で分かっているナレッジでも医療を変える強さがあるのならそれを事業化しようとしているんです」(牛場教授)
BMIで「リアル脳トレ」も現実に?
アスリートが集中するためメソッドも、BMIによって科学的に解明できるかもしれない(画像はイメージです)。
ZephyrMedia/Shutterstock.com
ここまでの話を聞くと、BMIはとりわけ医療分野での活用が期待されているようにも感じます。しかし、BMIの可能性はそれだけにとどまりません。
「健康な人であっても、実は脳の状態によって制約を受けることは多いんです。
例えば、『今日仕事がはかどらないな』とか、スポーツでも『今日はうまく身体が動かないな』とか、コンディションが整わないことってありますよね。その一つの要因として、『脳の疲労』というものが考えられます」(牛場教授)
実際、頭を使いすぎることで、脳の神経細胞がうまく働かなくなること(神経伝達物質の不足など)があるといいます。そういった状態では、いくら仕事やトレーニングを繰り返しても、なかなかパフォーマンスが上がりません。
もし、そういった脳の状態を見える化できるBMIがあれば、例えば毎朝脳の調子を確認して、日々のパフォーマンス改善に生かすことができるかもしれません。定量的に判断することが可能になることで、もしかしたら治療薬の開発なども加速するかもしれません。
また、スポーツの現場での活用にも期待がかかります。
例えば、スポーツの現場では、ボールや人の動きなどに俊敏に反応しなければならない場面が頻繁に現れます。しかし、身体を俊敏に動かすには、脳がしっかりと「身体を動かすモード(準備状態)」になっている必要があります。
「本人は準備しているつもりでも、脳が準備状態になっていなければ、反応には時間がかかります。BMIを使って本当に脳が活性化した状態、いわば『トップギア』を維持するトレーニングなどもできるのではないでしょうか。いわばリアル脳トレですね」(牛場教授)
スポーツ選手の間では、「ゾーン」と呼ばれる極限まで集中した状態になるために、音楽を聞いたり、自分なりのルーティンを作ったりと、さまざまな手法が取り入れられています。「○○メソッド」などと呼ばれる流儀や手法が提案されることもあります。
「ただ、『○○メソッド』というふうに人の名前がついた手法というのは、個人的な経験に基づいたナラティブなレベルであって、まだサイエンスにはなっていないんです。
もちろん、そういうものが本質を捉えている可能性もあると思いますが、科学的な検証や開発はこれからです。BMIを脳科学のツールとして活用することで、研究が大きく発展していくと思っています」(牛場教授)
メタバースとBMIが開く可能性
メタバースは、いまのところVRゴーグルで楽しむものだとされているが、将来はこれにBMIが組み合わさるのかもしれない。
撮影:伊藤有
また、メタバースとBMIを組み合わせた取り組みも今後注目のテーマです。
牛場教授の研究室では、今秋にゲームのアバターをBMIを使って動かすイベントを開催する予定だといいます。
「メタバースの中で、自分のデジタルツインをシンクロ率100%でコントロールすることにチャレンジしています」(牛場教授)
まさにSFさながらの取り組みですが、現時点のBMIの技術だけでは「前方に進む」「停止する」といった大雑把な動きを読み取る程度が限界だと、牛場教授は話します。
より正確にアバターを動かすには、加速度計を使ってその人の頭の位置や傾きのデータを組み合わせたり、腕や足などの筋肉の表面に現れる信号をキャッチしたりと、脳波以外の複数の身体情報を組み合わせて解析する必要があるといいます。
まだまだ技術的な進歩が必要な分野ではありますが、バーチャルな世界に自身を忠実に投影できる技術が確立すれば、その波及効果はとてつもなく大きいはずです。
エンタメとしての価値は言わずもがなですが、前述した医療分野での活用にも期待が高まります。
「メタバースやデジタルツイン技術のおかげで、安全な環境で簡単に『練習』ができるようになりました。
実際、コロナが流行している間、感染の懸念から患者さんが研究室に来にくくなったのですが、BMIのデバイスを貸し出して、我々とメタバース上で会い、一緒にリモートワークアウトをしようという話もありました」(牛場教授)
今後さらにBMIの研究が進み、実際に身体に麻痺のある方がBMIデバイスを装着して外に出歩けるようになるかもしれません。
そういった未来が来た際には「メタバースの中で練習をして、うまく使いこなせるようになってから、リアルワールドでやってみる。そんな仕組みができるかもしれません」(牛場教授)。
また牛場教授は、メタバースにおけるBMIの活用について「練習の場」という以上の可能性を秘めているのではないかと語ります。
「麻痺が重く、外出が困難でいつも家にいる。そういう方々が、メタバースの中で他のアバターとコミュニケーションを取って音声で話したり、一緒に動き回ったりできると、『人とつながることって楽しいな』とか、『街中を散策するのは面白いな』とか、そういうことを再発見するきっかけにもなるのではないでしょうか。
私は、(いくら仮想世界が充実しても)人はリアルを求めるんじゃないかと思っているんです。だから、メタバースをきっかけに、自尊心や生きがいなど、そういったものを改めて見直す、BMIはそこにつながっていける道具になるといいのではないかと思っています」
(文・三ツ村崇志)