VRゴーグル。これを装着してけん玉のVRを行う。
撮影:三ツ村崇志
視力が落ちたら、メガネをかけたり、コンタクトレンズを付けたり、最近ではレーシック手術などで視力を回復することができる。
しかし中には、成長する過程で視力がうまく発達せずに、小さい頃からメガネなどをかけても視力を十分に確保できないようなケースがある。いわゆる「弱視」だ。
9月29日、住友商事とVRベンチャーのイマクリエイト、順天堂大学発ベンチャーのInnoJinは、VRを活用した子ども向けの弱視治療用アプリのプロトタイプを発表した。
今後、2025年以降の薬事承認を目指して、3社で共同開発を進めていくとしている。
大人になってからは治療できない「弱視」
左からInnoJinの猪俣武範代表、住友商事のメディカルサイエンス部九鬼嵩典部長代理、イマクリエイトの山本彰洋代表。
撮影:三ツ村崇志
日本では、弱視の有病率は小児の約3%と言われている。
順天堂大学の眼科医でもあるinnojinの猪俣武範代表によると、弱視は視力が発達する10歳ごろまでであれば治療が可能だが、それを過ぎてしまった大人に対する治療法はない。国内では小児の弱視患者は約40万人いると推計されており、その社会・経済的損失は2.2兆円にものぼると猪俣代表は指摘する。
弱視を治療するには、子どものころに早めに弱視であることを見極めて、適切な治療法にアクセスする必要がある。ただ、ここに課題があった。
例えば、弱視の中でも片眼の視力だけが落ちているケースでは、視力が正常な方の眼を眼帯で覆い、視力が落ちている方の眼だけで数時間生活することで視力の発達を促す治療法が一般的だ。
ただ、猪俣代表は
「この方法だと、眼を隠すことを嫌がる子どもがいます。また、保護者にも協力してもらう必要があり、負担をかけてしまうのが現状です。医師側としても、治療時間を把握しにくい」
と課題を話す。
「けん玉VR」で弱視を治療できるか?
VRけん玉のデモ。
撮影:三ツ村崇志
今回共同開発を進めるVR治療アプリでは、イマクリエイトが開発した「VRけん玉」を活用する。
患者にVRゴーグルを着用してもらい、視力が落ちている眼には通常のけん玉の映像を写し、視力が正常な眼には半透明の見えにくいけん玉の映像を写す。このように、両眼の見え方に差をつけることで、眼帯を使ったときと同じような治療効果が得られる可能性を探っていくという。
VRの両目で見ている映像をディスプレイに映したもの。画面右側の映像が少し薄い。このように表示に差をつけることで、一方の眼を積極的に使おうとする。
撮影:三ツ村崇志
猪俣代表はこの手法で、弱視全体の約5割(斜視弱視、不同視弱視)に対する治療効果の検証を進めていくとしている。
また、
「ゲーミフィケーション効果によって、子どもの(治療からの)離脱率を低減できるのではないかと考えています。保護者の負担も軽減できると思いますし、VRをやっている時間を記録できます」(猪俣代表)
と、既存の治療方法が抱える課題を解決する手段にもなり得るのではないかと期待を語った。
今回、3社の共同研究の枠組みの中では、住友商事がプロジェクトマネージメントやファイナンスのサポート、戦略立案。完成後の販売・流通面でのサポートも担う予定だ。
InnoJinは治験をはじめとした医学的な側面をカバー、そしてイマクリエイトが実際のプロダクトになるVRアプリの開発を担う。
今後、2023年を目処に小規模トライアルを実施、その後2024年には治験(臨床試験)を進めていき、2025年度以降に薬事承認を目指す計画だ。売上高も数十億円規模を目指すとしている。
治療用アプリ市場へのVR活用、課題は?
デジタル機器やIoTを活用して治療する 「デジタルセラピューティクス(DTx)」と呼ばれる分野は、新しい治療法として世界的に注目されている分野だ。調査会社の富士経済によると、治療用アプリの国内市場は2022年の2億円から、2035年には2850億円に拡大すると予測されている。
国内で見れば、医療ベンチャーのCure Appが、スマートフォンにアプリケーションをインストールする形式で、2020年12月には日本初の治療用アプリであるニコチン依存症の治療用アプリ、2022年9月には高血圧の治療用アプリの販売を開始し、それぞれ薬事承認も取得している。
他にも、住友商事と資本提携しているSUSMEDが、不眠症向けの医療用アプリの研究開発を進めており、同分野の広がりが見えてきている。
CureApp社が開発した治療用アプリ、ニコチン依存症患者の治療用アプリ「CureApp SC」と、高血圧患者の治療用アプリ「Cure App HT」。
撮影:小林優多郎
ただ、今回住友商事らが発表したVRデバイスを活用した治療用アプリでは「VRデバイスをどう治療に組み込むか」が課題になりそうだ。
イマクリエイトの山本彰洋代表は、将来的な治療方法としてのイメージを問われると、
「理想を言えば、一家に一台VRゴーグルがあって、そこでインストールできればと思っています。ただ、その時のVRゴーグルの普及具合によります」
と現状を語った。
CureAppの治療用アプリの場合、病院で医師からアプリを“処方”されると、患者が自身のスマートフォンにインストールすることで治療プログラムに取り組む。これは、今や誰もがスマホを持っていることを前提とした発想だ。
ここ1〜2年で、VR・メタバースをめぐる環境は大きく変わってきた。ただそれでも、あと数年でVR端末の保有が「当たり前」になるかというと疑問が残る。
となれば、実際に病院で治療用にVRアプリを処方された場合、VR端末を貸し出したり、操作方法を説明したりと、既存の医療システムにはない運用スキームが必要になる可能性もある。
また、治験を実施する上で、「VRゴーグルのハードの性能による違いなどをどこまで考慮するべきか」など、おそらくこれまでの治験では全く想定されていなかったことについても、医薬品医療機器総合機構(PMDA)などといちから議論していく必要もありそうだ。
注目されている治療用アプリ市場。そこにVRを活用していくためには、VR市場そのものの発展が非常に大きな鍵を握っているといえる。
(文・三ツ村崇志)