※本記事は、2021年10月28日に公開した記事を再掲したものです。
10月8日、所信表明演説をする岸田文雄首相。
REUTERS/Kim Kyung-Hoon
「成長戦略の第一の柱は、科学技術立国の実現です」
10月8日、岸田文雄首相が所信表明演説で語ったこの一言は、筆者にとって衝撃だった。
「日本は、科学技術立国である」
ことあるごとに聞かされてきたこのフレーズが、すでに過去の産物であるという現実を、首相自らが認めている発言ともとれたからだ。
日本を取り巻く経済環境が厳しくなる中で、この先どうすれば科学を再び育んでいくことができるのか。
日本のアカデミアが長年抱えてきた「選択と集中」の弊害や、近年注目される中国の躍進。そして、科学技術立国の再実現に向けたこれからの企業と大学の関係について、前編に続き、細胞内の「ごみ」をリサイクルするシステム「オートファジー」の研究で2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した東京工業大学榮譽教授の大隅良典博士に話を聞いた。
大隅良典(おおすみ・よしのり):東京工業大学榮譽教授。大隅基礎科学創成財団 理事長。「オートファジーの仕組みの解明」により2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞。大隅基礎科学創生財団では、基礎科学の発展、企業との新しい関係構築に向けてさまざまな取り組みを進めている。寄付はこちらから。
中国の躍進で問い直される「日本の科学」
東京工業大学の大隅良典博士。
撮影:今村拓馬
——日本では、すぐに役に立つ研究への研究予算の「選択と集中」が進められてきました。大隅先生はよく「選択と集中」の問題点を指摘されていますが、あらためてその弊害を教えて下さい。
大隅良典博士(以下、大隅):選択と集中はあってもいいんです。
ただ、それを進める条件は「基礎」があることです。今は、科学の広い裾野を切り捨てた上で、選択と集中をしようとしている。それは間違ったメッセージです。新しい科学は、裾野の広い知の体系から生まれてくるものです。
このままでは、日本の科学の底が浅くなってしまう。
なにも、あらゆる分野に多額の資金が必要だというのではありません。
研究者の好奇心に基づいたことをコツコツと研究できる土壌を育て、知の裾野を広げておかなければ、次の世代の科学は育たない。その喪失を早めていることが、選択と集中の最大の弊害なんだろうと思います。
私は、このままだと、10年後にノーベル賞をもらえるような人が出てくることはなくなってしまうのではないかと思っています。
2016年にノーベル賞を受賞した際に、スピーチをする大隅良典博士。
TT NEWS AGENCY/Henrik Montgomery/via REUTERS ATTENTION EDITORS
——そういう意味では、近年あらゆる分野で中国の躍進が注目されています。大隅先生は、中国の科学技術の進歩についてはどう捉えていますか。
大隅:まず、お金のかけ方が違いますよね。私は昔、植物学の研究室にいたのですが、数十年前は中国ではイネ以外の研究にはなかなかお金が出ていなかったようですが、今では、何でも研究できる自由度があると聞きます。
中国はまさしく国策で科学技術振興を進めているので、資金力も半端ではありません。投資の意思決定も早いので、原理が分かっていてあとは力仕事になるような分野では、もう圧倒的です。
大学もたくさん作られていて、研究の場(ポスト)も増えている。研究者になることに対して、中国の社会には不安が少ないように感じます。
——若手も研究者を目指しやすいですね。
大隅:そうですね。ただ、私はまだ「中国のサイエンス」にはなっていないのだろうなと感じています。現在の中国の科学は、欧米に留学していた人材が戻ってくることで、欧米のスタンダードに則って研究している状況です。
そういう意味では、日本のサイエンスは(数やスピードで中国には敵わない中で)何を目指したら良いのかを考えなければいけないと思います。
——「日本式」ともいえる科学への取り組みが必要になるというわけですね。
大隅:日本には、必要なときに必要なお金が投資されるシステムがありません。
何に対しても「欧米で流行し始めたら日本でも導入しましょう」となってしまう。日本で新しい技術が生まれても、「日本の面白い技術だぞ」となかなか力を入れようとしないんです。
科学技術立国の実現に向けた、企業と大学の役割
日本の大学等の民間企業等との共同研究等にかかる受入額の内訳。2019年は、800億円を超えた(NISTEP科学技術指標2021より)。
出典:Flourishを用いて編集部が作成。
——最近、産学連携や大学発ベンチャーなどが増えています。企業と大学の距離間が近くなりすぎると、「役に立つ研究」への集中が加速されるようにも感じます。大隅先生が考える企業と大学の理想的な関係はどのようなものでしょうか?
大隅:今は大学が貧しくなっているので、とにかく企業との共同研究費を稼ぐのが至上命題になっています。
例えば、企業の下請けのような仕事をたくさん受ければ、企業から数億円という資金を得ることはできるでしょう。でも、それはいい関係とは言えません。
私は、企業における研究と大学における研究の役割が何なのかを明確に意識することが重要だと思っています。
財団を運営している中で、大学に基礎研究を望んでいる企業がたくさんあるということを知りました。
昔は、企業にも中央研究所のようなものがあり、自分たちで基礎研究も進めていました。しかし今は、基礎研究をやるような企業はほとんどありません。
大学は企業にできない基礎研究を進め、企業はそこから自分の目で使える知識や技術を見定め、引っ張り上げることが仕事なんです。
大学発ベンチャーの累計数。2010年代後半から急激に数が増えている。
出典:令和2年度産業技術調査事業「研究開発型ベンチャー企業と事業会社の連携加速及び大学発ベンチャーの実態等に関する調査」大学発ベンチャー調査調査報告書
——短期的な製品開発のような形での連携は本質的ではないと?
大隅:大学発ベンチャーなどで成功する事例がたくさん出てきていることはもちろん歓迎すべきことです。それはそれで進めれば良いと思います。
ただ、初めに(前編参照)お話した「人材の育成」という意味では、大学も企業も利害関係は一致しているんです。企業も意欲的な学生に来て欲しいはずです。
今は、
「すごく優秀だと思って採用したけれども、言われたことを淡々とこなすだけの学生が増えている」
と耳にすることが多いんです。
企業が単にお金をつぎ込んで自分たちの利益を求めるのではなくて、企業との関わりによって大学の研究力がアップする。そこで育った人材が企業に加わることで、企業の研究力もアップすることにつながる。
そういう関係を築くのが理想だと思っています。
——基礎研究への投資が、まわりまわって企業にとっても利益になるということを認知してもらう必要がありそうですね。ただ、企業がそのような支援をできるかどうかは、経営環境とも関係する難しい問題ではないでしょうか。
大隅:各企業の内部留保金はものすごく大きいので、大胆に踏み出せないのは考え方の問題だと思います。
海外の企業で成功例が出てくれば、日本でも風向きが変わるかもしれませんね。
私自身、独立した直後、研究費が非常に少なかった頃に、ある企業から研究会へ誘われました。そこでは「発酵」の面白さを学ばせていただき、何年かにわたって研究費を200万円ずつ頂きました。
それはとてもありがたかったし、私との議論の間で彼らは「とても儲からせていただいた」と仰っていました。
そういう関係がね、私は理想なんじゃないかと思います。
科学を文化にすることはできるのか?
取材の中で、「自分はいい時代に研究者として活動することができた」と語る一方、最後の仕事として、財団の活動を通じて社会と科学をつなぐ仕事をしたいとも話していた。
撮影:今村拓馬
——大隅先生はよく「科学を文化にしなければいけない」というお話をされています。科学を取り巻くさまざまな課題がある中で、根底にある科学への好奇心を育む土壌を整えるためにもそれは重要だと思います。あらためて、科学を文化にするためには何が必要だと思いますか?
大隅:ネット社会になり、大量の情報に触れられるようになりました。そうなると、私たちはやっぱり混乱してしまう。あらゆる情報が相対化されて、常にその中から選択を迫られる気持ちになってしまう人がたくさんいるわけです。
ただそこで大事になるのは、「何が正しいのか」「どうすればそれが実証されるのか」ということだと思います。
言葉でいうなら「データに基づいて、検証して、間違っていれば間違っていたと修正していくこと」です。そういうことが少なくなって「言ったもん勝ち」の状況になってしまうのは、非常に危険です。
科学的であるということは、意見を言うならその根拠を示し、間違っていたら直していくということです。科学のプロセスというのは、そういう歴史なんです。
——「科学によって分かったこと」というのは、「普遍の真理」というわけではないということでしょうか?
大隅:科学というのは、人間の歴史の一環ではないでしょうか。必ず次の世代の科学者は、その前の世代を乗り越えて新しいことをやっていかなければなりません。
そこに永遠の真理があるのではなく、それ以前に分かったことを否定しながら科学は発展していきます。検証に基づいて、真理を少しずつ深めていくプロセスこそが科学なんです。
それを理解して、そのプロセスを楽しんだり、大事に思ったりできるようになっていくことが、科学が文化になっていくことなのだと思います。
——先生のオートファジーの研究もまた、将来は否定されてしまうのでしょうか?
大隅:否定というとあれですが、まぁそうかもしれないですね(笑)
もちろん自負はありますよ。ただ、新しい技術があれば、それまで分からなかったことが分かってくる。それが新しいこととして理解されていく。
科学ってつくづく人間くさい活動だと思うんです。
私がオートファジーに興味を持ったのは、当時の時代背景の中でのことです。100年前でも100年後に生まれても、酵母でオートファジーの研究をしようと思わなかったのではないでしょうか。
科学はまさに時代の産物だということを、歴史的な流れなども踏まえて知ってもらえればよいのかなと思います。
(聞き手・三ツ村崇志)