※本記事は、2021年12月21日に公開した記事を再掲したものです。
サントリーHDの鳥井信吾副会長。産業界は科学技術立国の再興に向けて何ができるのか、Business Insider Japanの単独インタビューに応じた。
撮影:今村拓馬
「基礎研究は偉大だと。人類の最高の価値だと。極端に言うと、それくらい考え方を逆転しなきゃいけない」
こう語るのは、飲料大手・サントリーHDの鳥井信吾副会長だ。
サントリーは1940年代から基礎研究に特化した研究所を構え、直接商品開発に関係しない研究を続けてきた。
1960年からは理化学研究に対する奨励助成もスタート。サントリー生命科学財団と名称を変えた現在でも、大学院生や若手研究者に向けた支援を継続している。2020年にも、45歳以下の若手研究者を対象にした合計5億円規模の研究資金を支援するプログラム「サントリーSunRiSE」を発足させ、研究界隈では話題となった。
サントリーはなぜ基礎研究を支援し続けるのか。日本の産業界からみた日本の科学技術や社会の現状と、科学技術立国再興のために産業界に求められる役割とは何か、鳥井副会長に話を聞いた。
「科学技術だけの問題ではない」
撮影:今村拓馬
── 日本の「科学技術」の現状を、鳥井さんはどう認識していますか?
鳥井信吾副会長(以下、鳥井):感覚的なことを言えば、まだまだ日本の実力は盤石だと思っています。ただ、科学技術を取り巻く環境は、逆境になっているのではないかと感じています。
若い技術者・研究者を取り巻く社会環境や、政治経済、産業界のリーダーの意識が、彼らをバックアップするようになっていない。
ただ、それは科学技術に限らず、色々なところで起きていると感じています。
── なぜそのような状況になってしまったのでしょうか?
鳥井:確証はないのですが、以前、日経新聞の「私の履歴書」で俳優の吉行和子さんが仰っていたことが印象に残っています。
演劇はバブル時代には自由にやれていたが、1995年頃から「採算がとれるかどうかが重視され始めた」と。そして、その頃から「『心を閉ざす人』が増えてきたような気がする」と。
科学技術の衰退の話と直接関係しているとは一概にはいえませんが、地下水脈的に関係しているのではないかなと感じています。
── 科学技術の現場では「役に立つ研究」「利益の出る研究」への傾倒が問題視されることが多いです。その流れと似ているかもしれませんね。
鳥井:そうですね。しかも、「利益の出る研究」の流れが本当に利益を生み出しているかというと、そうでもないかもしれない。だから結局、思っていたように利益もでないし、その裏で本当にやるべきだったことができていない状況になってしまうことも多い。
役に立たなさそうなものを役に立つようにする。儲からなさそうなものを儲けられる仕組みにしていく。「役に立たなさそうだからやらない」とか「儲からなさそうだからやらない」とか、本来はそういう話ではないはずなんです。
サントリーグループは非上場企業が大半だ。それが、長期的な視点が必要とされる基礎研究を支援し続けられた理由の一つなのかも知れない。
撮影:今村拓馬
── 実際、バブル崩壊以後、企業の基礎研究に対する投資意識に変化はあったのでしょうか?
鳥井:ここ20年くらいでしょうか、「株主資本主義」や「金融資本主義」という考え方が日本に入ってきてから、時価総額の大きさで会社の優劣が判断される傾向が強くなってしまいました。
投資ファンドなどが企業にリターンを求めるのは当たり前なのですが、そういう風潮が経営者に過度に影響を与えている。経営者がそのことばかり考えるようになってしまってはまずい。そうして、長期的な研究投資などの展望を描きにくくなってしまったということは(現状の)背景の一つとしてあるかなと思います。
── 何か企業が新しい事業をやろうとしたときに、確実に時価総額などにプラスになることが分かっていなければ進めにくくなったと?
鳥井:その視点(時価総額など)だけで評価されることには手を出すけど、「何か分からへんけど夢があって、10年後に大きな付加価値が出るかもしれない」ということにはあまり興味を持たない。どんどん短期志向になってしまったのではないかと思います。
また、「ものづくりがいらない」という考え方になってきたことも、基礎研究への意識が向かなくなった背景の1つだと思います。今から30年ほど前にアメリカの社会学者であるダニエル・ベルは「脱工業化社会」を指摘し、実際そうなりました。企業ランキングでも、製造業は軒並み衰退していきました。
それで、日本にもいわゆるGAFAのような企業を作りたいというプレッシャーもあって、「製造業がいらないとはいわないけど、製造業に固執するのは時代遅れ」という雰囲気があった。
── 最近は「日本にGAFAを」が合言葉のようになっていますよね。
鳥井:ものづくりの基礎は基礎研究にあります。基礎研究をしっかりやって、その後応用研究に進み、実際にものを作っていく。ものづくりを軽視する風潮から、基礎研究も不要だと考えられるようになってしまったのではないかと仮説として思っています。
ただ、私はずっと思っているのですが、日本人はものづくりに向いていますよね。
手先が器用だとか、勤勉だとか、チームワークが良いとか。それに完璧主義です。なのに、それだけではダメで、欧米並にならなきゃいけないというプレッシャーがある。
でも、そもそも欧米と同じ方向にいく必要性はまったくない。日本はGAFAとは別の生き方をもたないといけないのかもしれません。
「会社の利益にならないことをやろう」
生命科学財団の基礎研究の成果について語る際の表情から、鳥井副会長が純粋にサイエンスを面白がっていることがよく伝わってきた。
撮影:今村拓馬
── サントリーは昔から基礎研究に特化した研究所を構え、力を注いでいます。その理由を教えて下さい。
鳥井:もともと、2代目社長の佐治敬三が、1946年に「食品化学研究所」と言う研究所を作りました。これが現在のサントリー生命科学財団の原型です。基本的に「会社の利益にならない(ならなくても良い)ことをやろう」という前提で続けています。
佐治の恩師である、大阪大学の小竹無二雄教授が、よくドイツ語で「エトバス・ノイエス(何か新しい発見)はないか?」と話していたそうです。
だから、佐治は会社の役に立つのではなく、真理探求を第一とした。「新しいことを志す研究所を作りたい」「真理探求への燃えたぎる情熱のるつぼにしたい」という強い理想があったんです。
創業の精神があるから、本当に純然たる学問、真理探求を進めるために研究所を今も継続できている。今は専任の研究員が27名。役員、事務方も含めると、総勢で34人が在籍しています。
大学や研究所にポストが見つかって移る人もいれば、逆に大学からやってくる人もいます。
研究所では、例えばムギネ酸という麦やイネが鉄を取り込むときに関わる物質の研究や、細胞がタンパク質を取り込むときのメカニズムの研究。「ヒト」と「ホヤ」で共通しているホルモンの研究など、そういう基礎研究をやっています。
サントリーの事業とはまず関係ないけれども、世界初の研究がたくさんありますよ。
ムギネ酸添加による生育効果(右:ムギネ酸類)イネ栽培アルカリ土壌でのポット栽培14日目)ムギネ酸を添加した方が、イネがよく成長している。
提供:愛知製鋼・徳島大学
── 企業として基礎研究を継続してきたことに加えて、最近では、サントリーSunRiSEのような研究者支援も新たに実施していますよね。
鳥井:佐治の強い意志が実施できた理由の一つではありますが、大きな話として「企業はなんのためにあるのか」という話になると思います。
会社の利益を上げるだけではなく、企業は社会のためにある。世の中に貢献するとか、世の中に必要とされていないと、最後には企業は成立しない。
サントリーの中にはそういう会社の経営観念・創業精神が生きていたということかもしれません。
他の企業のことは分かりませんが、パナソニックの創業者の松下幸之助さんもそう話していますよね。「企業は社会の公器」であると。
そういう確固たる理念というか、企業文化が無いと、世の中の状況に応じて企業はくるくる変わってしまう。
もちろん、サントリーの歴史の中では短期的な商売もやってきました。今、企業が存続できているのは、それがうまく回っていたからです。短期的に企業が存続するための利益を出しながら、長期的な視点も持つというのが理想ですが、なかなかそんなことができる人は多くはありません。
今は、日本の国中が短期的な思考に陥ってしまっているのかもしれません。
── サイエンスに限らず、長期的な視点を描けないことの問題点は根深いですね。この先、日本が短期・長期的視点の両輪をうまくバランスしていくためには、何が必要になってくると思いますか?
鳥井:もっと信じて、自由にやらせてあげたら良いのだと思います。できる人はできるし、できない人はできない。これはもう永遠の真理ですよね。だから自由にやらせてあげたらできる人が必ず成果を出す。
今は政治や経済など、分野ごとに互いに分断してしまっている。もちろん政治家は選挙区などでは話を聞いているのでしょうが、それでも社会経済の実態を知らない。企業人もあまり政治家と話をしなくなってしまったように感じます。お互い「勝手にやってちょうだい」という状況です。
偉い人ばかり集まれば良いという話ではありませんが、もっといろいろな立場の人が、どうすべきかちゃんと互いに話をすべきなのだろうと思います。
── 距離の近い限られた範囲ですべてが決まっているのかもしれませんね。
鳥井:そうかもしれませんね。
あとは「モデル」が非常に大事になってくると思います。
こんな研究者や経営者になりたい、という「モデル」がないと、絶対に後が続きません。そういうモデルとなる人材がどの業界にもたくさんいることが大きなポイントになると思います。
サントリーSunRiSEの支援は、支援先となった研究者たちにそういう「モデル」になってほしいという意味もあったんです。
企業は基礎研究の価値の「再評価」を
撮影:今村拓馬
── 科学技術の発展は日本の経済の発展においても欠かせません。あらためて日本を科学技術立国にするために、企業は何をすべきだと思いますか?
鳥井:まず、基礎研究の価値を再評価しないといけないと思います。
鉄は鉄、自動車は自動車、医薬は医薬、再評価をして川上から川下まで人類の科学や技術の歴史を振り返り、いかに基礎研究があって今の社会になったことを知る。そのうえで、「うちはどうするのか」と改めて決定しなければならないと思います。
ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによるDNAの発見から、メッセンジャーRNAワクチンや山中先生のiPS細胞まで、60年くらいかかっていますよね。発見当初は、誰もそんなことができるなんて思わなかった。
Macintosh(マッキントッシュ)からiPhoneの誕生までも30年くらいかかっています。
どんなものでも、ものになるまでに時間がかかっているということを、改めて理解しなければなりません。そんな棚からぼたもちみたいなことありませんからね。
我々も、ウイスキーやワイン、ビールなんかを100年やっていますが、まだ分からないことだらけです。
── 分かることが増えると、さらに分からないことも増えてくる。その繰り返しですね。
鳥井:それもありますね。また、違う観点としてもう一つ。
明治維新の頃に「岩倉使節団」というものがありましたよね。岩倉具視や木戸孝允、大久保利通など政府の重職を担う彼ら本人が、自分たちの目で世界を見て、勉強していた。そういう姿勢だった。
明治憲法を作るときや、地方行政制度をつくるときにも、山県有朋と伊藤博文は海外の憲法学者に直接学びに行っています。日本のトップがみずから学ぼうとしていたんです。
そういう点から考えてみると、私も含めて、経営のトップや政治のトップが今は現場から離れてしまっているのではないかと。
松下幸之助さんは二股ソケットを発明しました。本田宗一郎さん(ホンダ創業者)はいわずもがなです。盛田昭夫さん(SONY創業者)も自分たちでトランジスタを作った。
経営者でありながら、政治家でありながら、維新の元勲でありながら、みんな必要であれば現場にいました。
当時と比較して、国も大きくなったし、企業も大きくなった。難しい側面はあるとは思いますが、今はそういう距離感が無くなってしまったのかもしれません。
── そういった現場を見れば、基礎研究の価値を再評価することにもつながるかもしれませんね。
鳥井:あと、基礎研究ってやっぱり分かりにくいんですよね。そういう意味で、科学ジャーナリズムのような、間を取り持つ人材が必要なのかも知れません。
研究者に何度も話を聞くと少しは分かってくるのですが、専門家はあまり分かるように話してくれないので(笑)。
ただ、大学の先生が尊敬されているのは、一般人には分からんような難しい、すごいことをやっているからですよね。誰でも分かることをやっているのなら、尊敬されない。
わけの分からない浮世離れしたことをやっているのではなくて「我々に理解できないすごいことをやっている」。だから、基礎研究は偉大だと。人類の最高の価値だと。
そういうことを分かりやすく伝える科学ジャーナリズムは必須です。世の中も、それくらい価値観を逆転させなければならないのではないでしょうか。
(文・三ツ村崇志)