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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
「マシュマロテスト」や「1万時間の法則」など、よく知られている心理学研究の中には再現性が低いものが少なくないことが、いま話題になっています。実はこうしたことは「よくあること」と入山先生は言い、実験結果そのものよりも重要なポイントについて語ります。
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「マシュマロテスト」も「スタンフォード監獄実験」もインチキ?
こんにちは、入山章栄です。
今回からBusiness Insider Japan編集部の野田翔さんが、この連載に参加してくれることになりました。
BIJ編集部・野田
みなさん、初めまして。野田翔と申します。29歳、ミレニアル世代です。よろしくお願いします。
野田さん、ミレニアル世代ならではの意見を期待してますよ!
BIJ編集部・常盤
さて、今回お持ちしたトピックは、私が気になったnoteの記事です。
有名な心理学や行動経済学の法則ってありますよね。「マシュマロテスト(マシュマロを食べるのを我慢できた子どもは大人になってから成功する)」とか、「スタンフォードの監獄実験(普通の人でも看守役や囚人役を演じると、それらしく振る舞うようになる)」。「1万時間の法則(どんなことでも本当に身につくまでには1万時間を費やす必要がある)」も有名ですね。
ところがこれらの法則の根拠となった実験を追試しても、同じ結果が出ない場合がほとんどなのだそうです。これには驚きました。入山先生の専門の経営学は心理学や行動経済学と関連が深いと思いますが、これは研究者の間ではわりとよく聞く話ですか?
これは最近よく聞く話ですね。このnoteの記事によれば、「心理学の研究で再現性が認められたのは、トップジャーナル(学術誌)に載った論文のうち4割程度だった」ということです。これを聞くと一般の方は、えっ、そんなに再現性が低くて大丈夫なの?と思いますよね。でも、不謹慎な言い方かもしれませんけれど、僕は4割はむしろ「意外と高いな」とすら思いました。
BIJ編集部・常盤
あ、そういう感覚なんですか。
はい、あくまで僕の印象ですけどね。こういった社会科学・人文科学の研究のことをあまり知らない人からすれば、「とんでもない」と思うでしょうね。でもそもそも、こういった分野で実験結果が100%再現されることは、まずあり得ないと考えた方がいいと思います。どういうことか、説明しましょう。
まず前提として、僕のいる経営学は、その基盤として心理学や行動経済学を応用しています。そしてこういった研究分野、世界では一応、「科学化」を目指しています。経営学や経済学は社会科学の一分野ですし、心理学は人文科学の一分野といえます。科学というと「白衣を着た人がフラスコを振ってる」みたいなイメージが強いですが、あれは自然科学という科学の一部なのです。
それでは、科学とは何でしょうか。
これは本質的にはかなり哲学的な議論なので、あまり簡単には言えませんが、あえて大胆に言うと、「科学とは真理を追究するもの」です。これは多くの研究者が同意してくれると思います。
では真理(Truth)とは何かというと、普遍的に当てはまるこの世の法則のこと。この普遍の法則を見つけるために、世界中の研究者は日々研究をしているわけです。その時に重要なのが、「理論と実証のせめぎ合い」です。
例えば万有引力の法則というものがありますね。物を放り投げたら、必ず地面に落ちます。そういう理論があるのではないか、とまず学者が考えたとしましょう。
しかし、その理論法則がが本当に、この世に普遍的な真理かどうかはまだ分からない。なのでそれを検証する必要があります。これを実証研究と言います。
実証研究のやり方は分野によってさまざまで、物理学であれば「実験」や「観測」をすることで、本当にその理論が正しいかどうかを検証していく。僕のいる経営学では、実際の企業データを使った統計分析や、心理実験などがよく使われます。
この「理論と実証のせめぎ合い」によって、われわれは、少しずつだけれど真理に近づいている。これが世界中の科学分野の研究者がやっていることです。
生き物を扱う実験は再現性が低い
さて、ここで重要なのが、いわゆる自然科学と、社会科学・人文科学では、扱う対象分析や手法が違うことです。
例えば物理学であれば、実証のために観測したり実験をしたりしますが、これは比較的再現性が高い。高いところから物を投げたら絶対に下に落ちてくるわけですから(ただし実際は、ものすごく厳密に条件を設定します)。1万回、上からものを放り投げたら、地球上であれば1万回、物は下に落ちるでしょう。
一方、心理学における実証研究の最大の手法は、心理実験です。例えば100人の人を集めて、50人ずつに分ける。一方のグループにはマシュマロ効果的な法則に当てはまるような条件を与える。残りの50人のグループには、そういう条件を与えない。
そして一定期間後に、グループによる違いが出るか出ないか、出たとしたらどの程度の違いかを測定する。検証の結果、理論の予測に適合する違いが出れば、「どうもこの理論は真理に近いのではないか」という話になるわけです。
ところがここで厄介なことがあります。それは、心理学や経営学が扱うのは人間だということです。つまりこれらの分野は、「人間が何をどう考え、どう行動するか」を研究する分野です。そして、人間の考えることはものすごく複雑で、曖昧ですよね。
BIJ編集部・常盤
同じ条件でも、人がどう考えるかはそれぞれ違いますしね。
おっしゃる通りです。被験者が若いか年配か、男性か女性か、日本人か外国人かでも違う。もっと言うと、その日の体調や気分によっても、心理は違うでしょう。今朝、出がけに奥さんとケンカした人と、奥さんとハグしてきた人とでは、絶対に気分が違うはずです。
ですからそもそも自然科学と比べて、社会科学や人文科学の実験結果は、本質的に再現性が低いのです。それは人間を対象とするからです。
実は、自然科学ですら、全ての分野で常に100%の再現性があるわけではありません。例えば生物系・生命科学系の実験は再現性が低い傾向がある、というのが僕の理解です。
例えば細菌の研究をしている人に聞くと、同じ種類の最近でも、それぞれの研究者が持っている細菌によって、実は結果が変わることもあるそうです。だから本当に再現性があるのかを確認するため、研究者の間で細菌の貸し借りをすることもあるとか。
細菌ですらそうなのですから、ましてやより複雑な人間の心理実験であればなおさらです。実験に協力した50人と50人を再び集めたところで、被験者自体も条件が変わっていますから、完全に同じ結果が出ることはほぼ期待できない、とすら言えるのです。
加えて、経営学や心理学では、さらにもう1つ、大きな課題があります。
自然科学では多くの場合、理論を提示する人と、実証研究をする人が別の人や研究者グループであることが多い。理論を提示する人は、理論だけに集中する。そして発表された理論の中で注目を集めたものを、今度は実証研究の専門家が厳密に検証していくのです。
それに対して社会科学や人文科学の研究は、理論が提示された論文に、その検証が同時に載っていることが多い。つまり同じ研究者や研究グループが、一つの論文で理論の提示も、それに対する検証もやってしまうわけです。
「私はこういう理論法則を考えてみました。そして、現実のデータをとってみると、どうも当たっています」という論文がほとんどなのです。
そうなると、ここからあえて大胆に言いますが、論文を書く人は「自分の仮説を支持する研究結果を採用したい」というインセンティブが否が応でも湧きますよね。もちろん論文にはレフェリー(査読者)がいて、「本当にこの検証は正しいの?」というチェックをします。それでもそのレフェリーが自分で実験するわけではない。
おそらく、これも心理学分野で再現率が低い一因かもしれません。
理論を知る。でも信じすぎない
BIJ編集部・常盤
じゃあ私たちは、こういう実証研究の結果をどう受け止めて活用すればいいのでしょうか。
すごくいい質問ですね。それが今日、僕が一番申し上げたいことです。
少なくとも、社会科学や人文科学の研究において、「実証研究の結果は100%信じてはいけない」ということです。よくメディアで、耳目を引きそうな研究結果をいかにも100%正しいという感じで取り上げることもありますが、そもそもそれを信じてはいけません。
社会科学・人文科学系の研究者で、「自分の研究は100%正しい」という人がいたら、それも信じない方がいいでしょう。そういう方は、おそらく科学とは何かのトレーニングを受けていないのです。
一方で、このように実証研究の結果が100%正しいとは絶対に言えない世界だからこそ、特に経営学の分野においては、理論を理解してほしいと僕は思っています。それが僕が『世界標準の経営理論』を書いた最大の理由です。
人間を扱う分野には、自然科学のような正解がほとんどない。率直に言うと、完璧で普遍的な法則を見つけるのは僕はほぼ不可能だと思っています。
しかし、経営学の分野では、世界中の経営学者からコンセンサスが得られている、そこそこ普遍的な理論はあります。経営学における理論とは、絶対に正確ではないけど、ある物事を一定の角度で切り取って説明できうるナイフのようなものです。それを使って、仕事の何かを考えるときのあくまで参考(正解ではない)にしてもらうことで、時に自分の考えがクリアになったり、スッキリしたりする。とりあえずそれで十分、と僕は考えています。
実は、僕は『世界標準の経営理論』の最終章で、「経営理論を信じるな」と書いています。理論を知り、メカニズムを頭の整理には使って欲しい。でも同時に、それを信じすぎないようにしてほしい。
人間はどうしても楽をしたいので、答えだけを求めてしまうものです。でも、真理の追究というのは、そんなに簡単なものではない。追試失敗というのは、人間が真理に近づこうとするプロセスの一過程です。
もちろん僕は追試の再現性が低いことを是としているわけではありません。もっと再現性を上げるべきだと強く思っています。先ほど言ったように、特にこの分野では、理論を書いた人が自分で実証もしてしまうというマッチポンプ的なやり方がはびこっているので、そこは解消したほうがいいと考えています。最近の経営学や経済学ではそこを見直す動きがあるので、それに期待しています。
BIJ編集部・常盤
なるほど。追試が失敗したと聞いて「じゃあ、もう心理学を信じるのは一切やめよう」ではなく、自分なりの仮説を持って検証し続ける姿勢が大事だということですね。
いろいろと勉強になりました。ありがとうございました。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、音声編集:小林優多郎、編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。