スタートアップに転職し、年収を上げている20代の男女2人に話を聞いた。左はメガバンクからリーガルフォースに転職した木村友さん。右はイメージ写真。
撮影:横山耕太郎、今村拓馬
スタートアップ企業への転職者が増えている。
エン・ジャパンの転職サイト「AMBI(アンビ)」によると、2021年と2022年を比較すると転職件数全体は1.7倍に増加していたの対して、スタートアップへの転職者は2.3倍に増加していた(いずれも1月〜3月の合計値)。
一方で気になるのは、スタートアップに転職した場合に年収はどうなるのかという点だ。
エン・ジャパンは、「創業20年以内」や「事業の先進性」などいくつかの独自基準でスタートアップを定義している。
提供:エン・ジャパン
AMBIによると、2020年のスタートアップ転職時の平均年収は495万円だったが、2022年では549万円に伸びている(1月〜3月の合計値)。
賃上げが進まない日本で、スタートアップへの転職は給与を上げる有効な選択肢と言えるのだろうか?
スタートアップ転職によって年収が上がった人、業績悪化から急な年収ダウンを経験した人、20代の男女2人に話を聞いた。
20代で社内最速の「部長昇進」
リーガルフォースは2022年6月、シリーズDラウンドで総額約137億円の資金調達発表した。
提供:リーガルフォース
「銀行で課長になれるのは10年後。スタートアップに転職し、間違いなく経験を積めている実感があります」
AIによる契約書の審査・管理システムを手掛けるリーガルフォースに務める木村友さん(28)はそう話す。
木村さんは2017年に新卒でメガバンクに入行。その後、2020年9月にリーガルフォースに転職した。
リーガルフォースでの現在の肩書きは「営業部部長」。リーガルフォースによると、最年少、かつ入社後最速での部長ポスト昇進という。
希望しない異動、転職きっかけに
木村さんは「IT企業での経験もありませんし、法学部卒業という訳でもない」というが、リーガルフォースを選んだのは、「伸びそうな市場としてSaaSビジネスに興味があったから」と話す。
木村さんはもともとメガバンクでは、関西の支店で中小企業を担当していた。
「まさに半沢直樹の世界。当時は顧客に恵まれていたこともあって、顧客と伴走して提案していく銀行業務には魅力を感じていました」
木村さんが転職を考えたきっかけになったのは、信託部門への異動だった。
数年で他部署に異動になることは、メガバンクとしては当たり前の人事だったが、銀行業務を希望していた木村さんにとっては、将来のキャリアを考えるきっかけとなった。
「尊敬していた先輩からは『銀行は縮小していく。銀行に居続ける必要はない』とアドバイスされていましたし、転職する同期も多かった。
自分がどんなキャリアを歩みたいか考えた時、未開の地に飛び込んでみたいと決めました」
安定が約束された企業選びより「チャレンジ」を選んだ
転職後もメガバンクで学んだスキルをいかせているという。
撮影:今村拓馬
木村さんは、スタートアップへの転職について「企業の成長や安定が約束されている企業を選ぶことは不可能。その意味ではチャレンジでしかない」という。
「財務諸表など経営データの分析には慣れていますが、未上場の企業は公開されるデータも限られます。そもそも成長期の企業の多くは赤字。将来性は未知数な部分が大きい」
メガバンク同期の転職先は大企業ばかりだった。
リーガルフォースは2022年6月、シリーズDラウンドにおいて総額約137億円の資金調達を発表するなど、今でこそ上場が意識される注目スタートアップの1社として知られた存在になった。しかし、木村さんが入社した2年前の時点では、事業規模はずっと小さかった。
木村さんは「当時はメガバンクからの転職先としてはかなり異例だった」と振り返る。
武器は企業リサーチ力
木村さんはセールス部門の部長に抜擢された。
撮影:横山耕太郎
転職直後は、戸惑うことも多かった。
木村さんが担当していたのはフィールドセールス。インサイドセールスのチームが、新規の顧客を発掘し、その顧客に対して導入を提案するのが仕事だ。
木村さんの強みは、もちろん銀行時代に培った会計や財務知識、企業リサーチ力だ。
「営業先の企業を徹底的に調べるのはもちろんですが、データをもとにどこに弱点があるのか仮説を立てて、その解決策として提案します」
決裁権のない担当者とも、連携しながら商談を進めることが重要だという。
「導入に前向きな企業の担当者からは『上司をどう説得したらいいのか』と相談をもらうこともあります。
導入のネックになる部分を把握し、担当者と『刺さる説明を考える』など並走するように心がけています。前職で人を巻き込みながら仕事をしてきた経験が役立った」
木村さんは営業目標を達成し続け、入社10カ月後の2021年7月、課長に昇進。2022年4月に約100人の社員を要するセールス部門の部長に抜擢された。
「最後は飛び込める勇気が持てるか」
メガバンクから転職し、転職当時の年収は1割程度減少したが、今では転職前の1.5倍以上の年収になった。
リーガルフォースは社員の平均給与について公開しておらず、「年収や昇給は個人の成果で決めており人によって差がある」と説明している。
「大企業は知名度もあるし、退職金や福利厚生も充実しているのは間違いありません。安定した環境に身を置きたいならば、スタートアップ転職はしない方がいいと思います。
まずは自分が何を求めているのか、それが大事。ベンチャーへの転職を決めたら最後はその環境に飛び込む勇気を持てるかどうかです」
また木村さんは今後のキャリアについてはこう話す。
「早い段階でマネジメントを経験できたので、仮に将来転職するとしても、創業期のベンチャーにも関わって行きたいなと思っています」
いきなりの月収25%カット
ジュンコさん(仮名)はフリーランスも含めて3回の転職を経験している(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
一方で、スタートアップに転職し、突然の減給を経験した人もいる。
「業績低迷で出資先のVC(ベンチャーキャピタル)と、会社の社長が対立するようになってしまったんです。経営方針が変わり、月収が額面で25%減りました」
当時、広報職として都内のアプリ開発スタートアップに勤務していたジュンコさん(仮名、28歳)はそう話す。
ジュンコさんは大学卒業後、都内の大手人材関連企業に新卒入社。約2年でその大企業を退社し、実家の自営業を手伝う傍らフリーランスのライターを約1年半経験した。そして2020年に、社員数が50人程度のスタートアップ企業に転職した。
転職当時は年収約600万円で希望通りの収入を得られていたが、働き始めて2年が経過する頃には業績が悪化。広報やマーケティング関連の予算が大幅にカットされたうえ、突然減給が言い渡された。
大事なのは「一緒に働きたい社長であるかどうか」
撮影:今村拓馬
突然の減給についてジュンコさんは、「ベンチャーならではというか、こんな経験は初めてでした」と振り返る。
転職活動を通じていくつもスタートアップを見てきたジュンコさんだが、特に規模の小さいスタートアップは、社長の一存で業務も年収も変わるリスクを身をもって感じたという。
「100人以下のスタートアップで働く場合は特に、社長と相性がいいかを見極めたほうがいい。
スタートアップで年収も含めて方針が変わるのはしょうがないこと。だからこそ『この社長ならば一緒に働きたい』と思えるかは大事だと思います。社長が尖りまくっている会社は注意した方がいいかもしれません」
ジュンコさんは結局、「広報職としてのキャリアがぶれてしまうことは避けたかった」という思いから、転職を決めた。
転職後2年目で年収700万に
撮影:今村拓馬
ジュンコさんは現在、社員数十名のフィンテックのスタートアップで働く。
勤務2年目で年収は約700万円で、新卒入社の大企業時代や前のスタートアップ時代と比べても年収は増えた。ただジュンコさんは「年収への強いこだわりはない」という。
大企業からフリーランス、そしてベンチャー企業とキャリアを重ねてきたジュンコさん。その度に年収も変化し、フリーランスの時には年収400万円を切ることもあった。
「これまでの生活を維持するために、最低年収500万円あればいいなと思っています。むしろ年収を800万とか1000万とか上げていく想像ができないというのが正直なところ。
年収に見合ったスキルと考えた時には、年収を上げるにはもっとスキルを磨かないといけないのですが、どういうスキルをどう伸ばしていったらいいのか、ぼんやり考えている段階です」
「あと10回転職したっていい」
ただ、スタートアップに身を置くことで、幅の広いスキルが身に付いているという実感もあると言う。
「とにかく状況がどんどん変わるので、状況に適応する力はつきました。大企業の時のような、ローテーション業務にはならないですし。今の私の場合は、広報だけでなくマーケティングや、投資家への情報発信など、新しい業務に首をつっこんでいます」
これからのキャリアについてジュンコさんは、「何だかんだスタートアップで経験を積んでいくのがいいかと思っている」と言う。
「私は『自分のために会社』があると思っているんです。会社はたくさんあるし、逃げ出すことになっても自分にとって適切な職場は見つけられる。そこに年収もついてくるかなと感じています。だからあと10回転職したっていいと思っています(笑)」
二極化する転職後の給与変化
エン・ジャパン「AMBI」の調査。上場企業とスタートアップの給与差は減ってきているものの、まだ差があるといえる。
提供:エン・ジャパン
エン・ジャパン「AMBI」の調査によると、スタートアップと上場企業の平均年収を比較すると、その差は縮まって入るものの、まだ年収差があるのが現実だ。
「AMBI」責任者の峯崎直哉氏は、企業の規模に関係なく「スタートアップ転職に限らず、転職後に年収が伸びるケースとそうではないケースの二極化が顕著になっている」と指摘する。
転職で給与が伸びやすい職種は、DX関連や、ITエンジニア、ウェブマーケティング職。また最近ではコロナ禍で新サービスを立ち上げが続いたことで、営業職のニーズも増え、年収が増える傾向にあると言う。
エン・ジャパンの峯崎直哉氏。
撮影:横山耕太郎
ただし、年収アップだけを基準に転職先を考えるのはリスクがあるとも指摘する。
「転職時の年収は需要と供給で決まる。一時的に高い年収に惹かれて入社しても、数年後には陳腐化するスキルということもある」
峯崎氏は、3年後の働き方がポイントだと語る。
「日本の場合は転職してすぐに重要なポストに就くことは少なく、2年後に役職登用することも多い。3年後にどんな仕事・働き方をしていたいのかを考えることが大事だと言えます」
(文・横山耕太郎)