REUTERS/Issei Kato
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
18歳人口の減少により、今や受験生の3分の2が第一志望に合格できる時代。かつて出身大学は企業にとって「どれだけ努力できる人間か」を推し量る手がかりでしたが、大学に入りやすくなった近年、企業は別のところに注目し始めているようです。教育をめぐる新たなトレンドとは?
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「受験戦争」はもはや死語。大学全入時代へ
こんにちは、入山章栄です。
突然ですが、読者のみなさんは大学受験にどんなイメージを持っているでしょうか。
僕や僕より上の世代は「競争が激しくて大変だった」という記憶を持つ人が大半なのですが、最近はずいぶん事情が変わったようです。
ライター・長山
この間、衝撃を受けたニュースがありました。18歳人口の減少で、今や受験生の3分の2が第一志望校に合格できるうえ、2021年度の大学入試では、試験を受けて入る「一般入試」と、推薦や面接などで入る「総合型入試」の割合が逆転して、ついに一般入試で入る人のほうが全体で見たら少数派になったそうです。
こういう記事を読むと「私たち世代の受けた偏差値教育って何だったんだろう」と空しい気持ちになってしまいます。でもこれって、世の中的にはいい変化なのでしょうか?
なるほど、40代後半の僕もまさに偏差値教育の申し子ですから、長山さんの気持ちは分かります(笑)。ちなみにBusiness Insider Japan編集部の常盤さんも同じ感じですか。
BIJ編集部・常盤
そうですね。もう内申点という言葉からして懐かしいです。偏差値が少しでも上がるようにと勉強をがんばった記憶があります。それが今こうなるとは……。あの苦労はなんだったんだと愚痴のひとつも言いたくなります。
われわれの大事にしていたものが、価値を失ったわけですからね。ちなみに、ミレニアル世代の野田さんはどうでしたか?
BIJ編集部・野田
僕が大学入試を経験したのはもう10年近く前ですが、そのときはまだ一般入試のほうが多かったと思います。僕もそうでした。AO組はおそらく、クラスのなかでも10人ぐらいだったような記憶があります。
まだ少数派だったんですね。そういうAO組を見て「あいつらラクしやがって……」とか思ったりすることはなかったんですか?
BIJ編集部・野田
いや、AO組はちゃんと勉強し続けている子が多かったですね。だいたい今の私立大入試は2科目とか3科目ですから、成績が崩壊している人にとっては、一般受験はむしろ一発逆転のチャンスなんです。
ライター・長山
なるほど。若い世代と話すと勉強になります。
学歴とは「努力できる人間であること」の証明だった
これは、何が正解という問題ではないと思います。もちろん一般試験も、AOもあっていい。でも興味深いのは、この大学受験の変容に関しては、僕の周りの学者や大学の関係者もよく議論していることです。その一つの説明は、僕の著書『世界標準の経営理論』で紹介しているシグナリングというものですね。経済学ベースの考え方です。
そもそもなぜ、われわれ世代はがんばって「いい大学」を目指してきたのか。これは、「シグナリング」で説明できます。簡単に言うと、よく知らない人の「努力」をどうやって判断するかということだと考えてください。
例えば、会社が新卒の人を採用したいとしましょう。でも人気のある会社なので、大勢の人が受けに来ます。特に昔は若い人の数が多く、会社の数が相対的に少なかったので、選抜が大変でした。
働く意欲のある人を採用しようと思っても、全員「御社が第一志望です」と言うので参考にならない。「大学で何してたの?」と聞くと、全員「頑張りました」「リーダーシップを発揮しました」と言うので、やっぱり区別がつかないわけです。自分が努力する人かどうかを知っているのは学生本人だけですよね。これを「情報の非対称性」と言います。
ちなみに、これと似た状況として取り上げられるのが中古車市場です。ジョージ・アカロフというノーベル賞を獲った経済学者が提唱した視点ですね。「レモン」というのは中古車を表すアメリカの俗語。レモンは皮が厚いので中身が腐っていても分からない。それと同じように中古車も塗装をしてしまえば事故車かどうか分からない、というわけです。
売り手だけが本当の中古車の価値を知っていて、買い手はそれを知らないから、本当の価値よりも高く売ることができる。これを情報の非対称性の中でも、特に「逆選択の問題(アドバース・セレクション)」と言います。
同じように就職活動でも、売り手である就活生が、自分の本当の努力レベルを知らない買い手である企業に、自分の「努力できる力」を大袈裟に言うインセンティブが発生するわけです。
学歴がシグナリングとして機能しなくなっている
ここで、学歴がシグナルとして大事になるのです。当時は受験競争も激しかったので、誰もが受験に向かって一生懸命に勉強しないといけなかった。結果、いい大学に入ること、すなわち学生が「努力した」という事実のシグナルになったわけです。
つまり学歴とは、経済学的に言えば「自分が真面目な努力家である」ことを示すためのシグナルとして使われるものと言えるのです。よく考えたら、受験勉強で学ぶことというのは、半分ぐらいはけっこう不毛な知識にしか見えないものもありますよね。受験が終われば思い出しもしない。
僕も世界史で出てきた「タタールの軛(くびき)」とか「カノッサの屈辱」などの言葉だけはよく覚えていますが、これらの単語が人生で役に立ったことは一度もありません。それでもこういう知識を頭に詰め込んできた。
シグナリングによれば、これらの不毛な知識は不毛でよかったのです。ポイントは、不毛な知識だろうがなんだろうが、とにかくそれらを覚えることでいい大学に入り、「自分は努力できる人間です」というシグナリングを出すことに価値があったからです。
では現在はどうなったかというと、まず少子高齢化で買い手(企業)有利の時代が終わり、売り手(若者)が比較的有利になっています。それに加えて僕のように、世界史を学んでも「カノッサの屈辱」という言葉しか覚えていないのでは意味がないという反省もあったかもしれない。そこでAO入試や推薦枠などによる選抜が増えてきました。
その結果、いま大学の学歴そのものはあまりシグナリングとして機能しなくなってきていると言われています。昔よりも有名大学卒の威光が薄れてきているのです。
何年か前、日本の代表的な大手企業の人事の採用担当者に、こんな話を聞きました。昔は慶応や早稲田の学生を採用しておけば、とりあえず安泰でした。彼らは現場で努力できる人材としてはバッチリだったわけです。
ところが今、AO入試や推薦などで入ってくる人たちは、同じ有名大学卒業でも、必ずしもそういう無駄な知識を丸暗記するような人たちではなくなってきている。結果、採用が難しくなってしまったのです。
そこでいま一部の企業の採用担当者は、出身の大学ではなく高校の名前を見ているそうです。そうすれば中学受験や高校受験のときに、どれだけ勉強したかが分かる。つまり大学名の代わりに、中高の学校名がシグナリングになっているのです。
しかしそれは学校名での選抜が、大学より前の段階に移行しただけのこと。これからは企業も、学歴以外の採用基準を編み出すことが求められるでしょう。
新しい教育を模索する動きが生まれている
問題はこれから社会で活躍する人が、僕のように「カノッサの屈辱」ばかり暗記していたタイプでいいのかということ。もっと多様な教育が求められることは言うまでもありません。
そういう意味では、今の日本の大学や高校は、けっこうおもしろくなっています。新しい教育のあり方を模索する動きが活発になっているのです。
例えば一番分かりやすいのが、出口治明さんが学長を務める立命館アジア太平洋大学(APU)や、秋田の国際教養大学のように、グローバルで海外の人たちと交流できる大学ができていることでしょう。APUは「小さな国連」と呼ばれるくらい、日本にいながらにして豊かな国際経験ができる。実際、APUを卒業した人材は企業から注目されているようです。
僕がいる早稲田大学でも、いま人気がある学部は政治経済学部よりも、国際教養学部と社会科学部。国際教養学部の学生の半分は留学生ですから、同学部のある早稲田大学11号館のエレベーターに乗ると英語と中国語しか聞こえてこない。企業から見たら、一番ほしい人材が集まっている学部かもしれません。
加えて僕が注目しているのは、中村伊知哉先生が始めた「iU(情報経営イノベーション専門職大学)」。中村先生いわく、「就職率0を目指している」とのこと。つまり、全員に起業させる。「もう企業に就職している場合ではない。親が進学に反対するような大学を目指す」というから、おもしろいですよね。
「灘・開成→東大」の時代は終わり
さらに、高校教育にも革命が起きつつあります。
その先頭を走っているのが、例えば通信制の「N高(角川ドワンゴ学園 N高等学校)」です。ある東大出身の某若手起業家によれば、尖った人材を育てるには、もう「灘・開成→東大」コースでは難しい。極端に言えば、「N高→iU」の方がおもしろいといいます。
それからSansanの創業者・寺田親弘さんが始める「神山まるごと高専」という高等専門学校では、徳島県の神山町で何十人という天才児を日本中からスカウトして英才教育をするという。こちらも全員起業家にするぐらいの勢いです。
こんなふうに偏差値以外の尺度を持った教育の動きが生まれ始めている。さらに今後はインターナショナルスクールや、全寮制のボーディングスクールなども増えるでしょう。
加えて、僕が関わっている島根県の隠岐では、島前高校があります。
そこでは「島留学」といって、日本中から問題意識を持った子どもたちが集まって共同生活をしています。僕はそこにさまざまな企業の幹部や経営者を連れていき、島の子たちと対話させるという研修プログラムを監修しています。これもおもしろいですよ。
偏差値しかモノサシがなかった時代はもう過去のこと。多様性にあふれる人材が、これからどんどん育ってくるでしょう。
BIJ編集部・常盤
いまの子どもたちは進路の選択肢が多くて、率直に言って羨ましいですね。世界史が専門の方には申し訳ないですけど、やっぱり私も「タタールの軛」や「カノッサの屈辱」を暗記しながら、「何のためにこんなことを覚えるんだろう?」と常に頭の片隅で思ってましたから。
それよりも自分の適性を中学、高校くらいから広げていけるような時代が来ているというのは、ちょっとワクワクするお話でした。ありがとうございました。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、音声編集:小林優多郎、編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。