2022年のノーベル物理学賞の受賞テーマである「量子もつれ」のイメージ。
©Johan Jarnestad/The Royal Swedish Academy of Sciences
日本では、特に自然科学賞に携わる研究について、ノーベル賞の受賞は「研究のゴール」のように思われがちです。
しかし、ノーベル賞を受賞するような研究も、過去から未来へと脈々と受け継がれていくものの一つです。
今年のノーベル賞のうち自然科学部門(生理学・医学賞、物理学賞、化学賞)を受賞したテーマのポイントを押さえつつ、その一歩先にある研究現場の「今」のエッセンスを3回にわたる連載でお届けします。
2回目は、10月4日に発表された「物理学賞」です。
※他の賞は次のリンクから御覧ください。生理学・医学賞、化学賞。
量子時代の到来を告げる基礎研究に光
左からアラン・アスペ博士、ジョン・クラウザー博士、アントン・ツァイリンガー博士の写真
REUTERS/Benoit Tessier/Carlos Barria/Leonhard Foeger
2022年のノーベル物理学賞では、現代でも注目されている量子コンピューターなどに関わる、「量子力学」の基礎研究に光が当たりました。
夜空に浮かぶ「月」は、私たちが目で見ていようが、見ていなかろうが、常にそこに存在しています。実は非常にミクロな量子力学が強く作用する世界では、こういった常識が「当たり前ではない」かもしれないのです。
今回、ノーベル物理学賞を受賞した、パリ、サクレー大学のアラン・アスペ博士、アメリカ、クラウザー研究所のジョン・クラウザー博士、オーストリア、ウィーン大学のアントン・ツァイリンガー博士の3人は、このような量子力学における直感的に不可思議な考え方を実験的に証明することに尽力した研究者です。
実証には、「量子もつれ」と呼ばれる特殊な状態になった粒子の「ペア」が利用されました。
量子もつれの状態にある粒子ペアの間では、一方に変化が起きれば、例え宇宙の果てにあろうとももう一方に連動した変化が起きると考えられています。
例えば、箱に赤色と白色のボール(粒子)が一つずつあったとします。目を閉じた状態で一方を手にとり、遠く離れた場所で手に持っていたボールの色を確認します。手に白色のボールがあれば、箱に残ったボールの色は赤色だと分かります(下図の上のイメージ)。ものすごく大雑把に言えば、このような関係が「量子もつれ」です。
実在世界のボール(上)と、量子力学の世界(下)の違いのイメージ。実在世界のボールであれば、一方のボールの色を見れば瞬時にもう一方のボールの色が分かる。見ていないときに「ボールの色が実在していない」というのが量子力学の世界だ。
画像:Nobel Prize
ただし、一番初めに手に取った段階で色が決まる実在世界のボールとは異なり、量子力学の世界では、実際に手の中を見る(観測する)まで、ボールの色(粒子の状態)が何色なのか「確定」することができません。(上図の下のイメージ)
「見えていないから分からない」のではなく、量子力学では観測するまでは「どちらでもない」という奇妙な状況が発生するのです。
相対性理論などで知られるアルバート・アインシュタイン博士をはじめとした当時の科学者たちは、この不可解な現象に疑問をもち、1935年にその矛盾を指摘する論文を発表しました。
ベルの不等式の検証、そして時代は現代に
その後、時代が大きく動いたのは1964年のことでした、当時CERN(欧州原子核研究機構)の研究者だった物理学者、ジョン・スチュワート・ベル博士(故)が、我々の世界が「実在的世界」であれば成り立つはずの条件式「ベルの不等式」を数学的に証明したのです。これはつまり、量子力学が予言するような世界を否定するための条件です。
今回ノーベル物理学賞を受賞することになった3人は、量子もつれ状態を利用して、このベルの不等式が「成立しないこと」(破れていること)を実証しました。
理論物理学を専門とする名古屋大学情報学研究科の谷村省吾教授は
「ベルの不等式が破れるということは、私たちの世界では観測していないものも常に存在しているという『実在論』か、物理現象が光の速さを超えて伝わらないという『局所論』の少なくとも一方が成り立たない世界になっているということを意味しています」
と話します。
この検証によって、量子力学は現代物理学の象徴とも言える現在の地位をさらに固めていきました。また、その応用研究として、量子コンピューターや量子暗号といった現代でも注目される技術の開発が進んでいます。
量子論の「外側」は存在するのか
名古屋大学情報学研究科の谷村省吾教授。
画像:取材時の画像をキャプチャ
一方で基礎研究に目を向けると、量子力学の最前線では新しい基礎的な理論体系も誕生しつつあります。
例えば、自然界には光速を超える速度で伝わる現象は基本的に存在しません。だからこそ、光さえも閉じ込めてしまうブラックホールの「内部」の情報を知ることは不可能だと考えられています。
しかし、谷村教授は「量子もつれ(量子エンタングルメント)の考え方を使えば、ブラックホールの内部の情報を知ることができると考えられています」と言います。これは「ホログラフィー原理」と呼ばれ、近年注目されている理論の一つです。
また、谷村教授は「『一般確率論』と呼ばれる、量子力学の限界を超えた物理現象を探す研究も進んでいます」と話します。
例えば、先程説明したホログラフィー原理や、理論物理学としてよく名前が挙げられる「超弦(ひも)理論」などの理論体系はどれも、量子力学の「枠組みの中」で誕生したものです。
これに対して、一般確率論は量子力学の「枠組みの外」を考える研究だといいます。
「量子力学が間違っていると言いたいのではありません。量子力学で説明できる限界がどこにあるのかを見定めようとしているんです。数学的には量子論の『外』はまだあると考えられています。その中で、ひょっとしたら量子力学の限界を超えるような物理現象もあるかもしれない。それを探そうという研究が注目されています」(谷村教授)
(文・三ツ村崇志)