東京国立博物館、150周年で所蔵の国宝すべて見せます。等伯、雪舟、法隆寺の宝物、三日月宗近も。

東京国立博物館150周年という節目の年だから実現した“奇跡の展覧会”の見どころを紹介します。

東京国立博物館150周年という節目の年だから実現した“奇跡の展覧会”の見どころを紹介します。

撮影:吉川慧

東京・上野の東京国立博物館(東博)が創立150周年を記念し、所蔵する国宝の全作品を展示する特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』を10月18日から12月11日にかけて開催する。10月17日、報道向けの内覧会が開かれた。

特別展は「国宝」と「歴史」を軸とする二部構成だ。どんな展示内容になっているのか。前期展示の一部を紹介する。

“奇跡の展覧会”ついにはじまる

150周年記念のキービジュアル。キャッチコピーは「150年後もお待ちしています。」

150周年記念のキービジュアル。キャッチコピーは「150年後もお待ちしています。」

撮影:吉川慧

展覧会の第一部は「東京国立博物館の国宝」だ。

日本で最も長い歴史を持つ博物館である東博は約12万件の美術・工芸品などを所蔵。今回は国宝89件に加え、重要文化財24件を含む選りすぐりの計150件を途中で展示替えをしながら公開する。

現在、国宝に指定されている国宝(美術工芸品)は902件あり、その約1割にあたる89件を東博が所蔵している。一つの博物館の国宝所蔵数としては国内最大だ。

これら89件の国宝を一定期間に全て公開することは、東博150年の歴史でも初めてのことだ。実際に展示室に入ると、居並ぶ「国宝」の迫力に思わず圧倒される。

東博の列品管理課登録室長の佐藤寛介研究員は5月の記者会見「各分野の研究員の理解と協力により、創立150年だから奇跡的にできたこと。仮に次にできるとしたら50年後になるかもしれません。この展覧会にかけている意気込みを感じ取っていただければ……」と、この特別展にかける思いを語っている。

展示される国宝、すなわち「類いない国民の宝たるもの」(文化財保護法)の特徴と見どころをいくつか紹介しよう(※会期中展示替えあり。観覧には日時指定の事前予約が必要)。


松林図屏風 長谷川等伯 筆 安土桃山時代・16世紀【10/18〜10/30まで】

松林図屏風 長谷川等伯 筆 安土桃山時代・16世紀

松林図屏風 長谷川等伯 筆 安土桃山時代・16世紀

撮影:吉川慧

まず来訪者を出迎えるのは、安土桃山時代に活躍した絵師・長谷川等伯の代表作「松林図屏風」だ。豊臣秀吉が天下統一を果たした頃に描かれたとされる。

離れた位置から眺めると、霞む木々の間から頬を撫でるひんやりとした空気が流れてくるような雰囲気を感じられる。

そしてもし可能なら最前列でも眺めてみてほしい。墨一色で表現された松林が激しい筆致によって描かれていることがありありとわかる。

等伯は中国・南宋時代の画僧・牧谿(もっけい)に私淑。霧の中から浮かび上がるよう松林の風景は、そこから学びとった水墨技法による自然描写によるものだ。日本水墨画の最高峰とも言われる。

孔雀明王像 平安時代・12世紀【10/18〜11/13まで】

孔雀明王像 平安時代・12世紀

孔雀明王像 平安時代・12世紀

撮影:吉川慧

平安時代の仏画を代表する作品。京都・仁和寺にあった弘法大師(空海)ゆかりの作例に基づくもの。

孔雀明王は孔雀を神格化した存在だ。孔雀が毒蛇や害虫を食べることから、病や災難を払い、様々な願いごとを叶える存在とされた。

この孔雀明王は「明王」でありながら怒りの形相ではなく、穏やかな表情だ。4本の手には右手に蓮華の茎と倶縁果、左手に孔雀の羽と吉祥果という赤い果実を持つ。

この絵の吉祥果は柘榴(ざくろ)の形をしていることから、安産祈願のために制作された可能性が指摘されている。細やかな截金(きりかね)文様も美しい。

この作品は明治の元老の一人、井上馨が所有していたが1903年(明治36年)に当時35歳だった実業家・原三渓が井上から1万円という破格で購入し、美術コレクターとして名を知らしめるきっかけとなった。

納涼図屏風 久隅守景 筆 江戸時代初期・17世紀【10/18〜11/13まで】

納涼図屏風 久隅守景 筆 江戸時代初期・17世紀

納涼図屏風 久隅守景 筆 江戸時代初期・17世紀

撮影:吉川慧

江戸時代初期の画家・久隅守景による作品。粗末な小屋からは竹で組まれた棚が張り出している。その下に家族3人が筵(むしろ)の上でおぼろげな月を眺めつつ、夕涼みをしている。

3人の輪郭線、月などのモチーフが全て異なる筆法で描き分けられて、守景の卓越した画力が発揮されている。

描かれたのは江戸時代の初期。人物画といえば天皇、貴族、武士など権力階級が多い時代にあって、守景は名もなき人々を描いた。

納涼図屏風 久隅守景 筆 江戸時代初期・17世紀

納涼図屏風 久隅守景 筆 江戸時代初期・17世紀

撮影:吉川慧

守景は農村の人々の暮らしの姿をしばしば描いたという。テーマは「武士が領民のつつがない暮らしを守り、自らを戒める『鑑戒画(勧戒画)』として描かれたもの」(「国宝 東京国立博物館のすべて」公式図録より)だった。

この作品も、戦国の世が終わり安寧の世が訪れたことを意味する一枚かもしれない。

鷹見泉石像 渡辺崋山 筆 江戸時代・天保8年(1837年)【10/18〜11/13まで】

鷹見泉石像 渡辺崋山 筆 江戸時代・天保8年(1837年) 

鷹見泉石像 渡辺崋山 筆 江戸時代・天保8年(1837年) 

撮影:吉川慧

東洋と西洋の技法を織り交ぜて描かれた江戸期肖像画の名作だ。

渡辺崋山は三河(現愛知県)の田原藩士の子として江戸で生まれた。藩の家老として働きつつ、江戸画壇の巨匠・谷文晁らに絵を学び、画家としても名を馳せた。

蘭学にも関心を持ち、西洋画の技法を取り入れた独自の画風を築いたことで知られる。

モデルの鷹見泉石は下総の古河藩(現茨城県)の江戸諸家老で崋山と親しかった。この肖像画は泉石が浅草・誓願寺に参拝した帰り、崋山のもとを立ち寄った時の姿を描いたものだと伝えられる。

顔は西洋の陰影法を用いて写実的に、着物は東洋画の伝統的な筆使いで描かれている。この描き分けに注目だ。

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀【10/18〜10/30まで】

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀。二条天皇が御所脱出の際、三種の神器の一つである鏡を持ち出そうとし、源義朝の配下が阻止する様子。

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀。二条天皇が御所脱出の際、三種の神器の一つである鏡を持ち出そうとし、源義朝の配下が阻止する様子。

撮影:吉川慧

平安末期に起こった「平治の乱」を描いた平治物語の絵巻。この巻には源義朝らに幽閉された二条天皇が女房姿を装って御所を脱出し、六波羅にある平清盛の屋敷に逃れる場面が描かれている。

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀。女房姿に扮した二条天皇が牛車に乗って御所を脱出する場面。源氏方の武士が牛車の中身を調べようとするが、公家が止めている。

平治物語絵巻 六波羅行幸巻 鎌倉時代・13世紀。女房姿に扮した二条天皇が牛車に乗って御所を脱出する場面。源氏方の武士が牛車の中身を調べようとするが、公家が止めている。

撮影:吉川慧

成立は鎌倉時代。天皇の御所からの脱出という緊迫した様子が巧みに描かれている。同時代の絵巻に比べ紙の縦幅が大きく、抑制の効いた線描と鮮やかな色彩が特徴だ。当時でもトップレベルの絵師の手によるものだと考えられる。

秋冬山水図 雪舟等楊 筆 室町時代・15〜16世紀【10/18〜11/13まで】

秋冬山水図 雪舟等楊 筆 室町時代・15〜16世紀

秋冬山水図 雪舟等楊 筆 室町時代・15〜16世紀

撮影:吉川慧

日本史や美術の教科書、切手などにも使用される有名な「画聖」雪舟による山水図。雪舟らしい力強くも荒っぽい筆使い、構築的で堅固な画面構成などが特徴だ。

不明確な要素を多々含むことから、性格付けが難しい作品とされる。明治期には「夏冬山水図」と呼ばれた。

古今和歌集(元永本) 平安時代・12世紀【前・後期で場面替え】

古今和歌集(元永本) 平安時代・12世紀

古今和歌集(元永本) 平安時代・12世紀

撮影:吉川慧

平安時代に書写された『古今和歌集』。当時の装丁をそのまま残しており、仮名序と20巻が完全に揃ったものとしては現存最古の古今和歌集の写本だ。

流れるような筆跡の平仮名と美しい紙の装飾が特徴。紙には15種類の文様があしらわれ、裏面にも金や銀の箔で豪華に装飾されている。

書は藤原定実によるものだと推測されている。流麗な筆跡は紙の装飾にあわせて巧みに書き分けられている。

上下2帖の冊子本で、上巻末の奥書に「元永三年七月廿四日」(1120年7月24日)とあることから「元永本」と呼ばれる。

紅白芙蓉図 李迪 筆 中国・南宋時代 慶元3年(1197年)【10/18〜11/13まで】

紅白芙蓉図 李迪 筆 中国・南宋時代 慶元3年(1197年)

紅白芙蓉図 李迪 筆 中国・南宋時代 慶元3年(1197年)

撮影:吉川慧

中国・南宋の宮廷画家、李迪(りてき)の代表作。芙蓉(ふよう)は古来より富と豊かさを象徴する花として愛されてきた。

この作品では一日のうちに白から紅へと変化する酔芙蓉(すいふよう)を描いたものとされる。

時間経過の表現も特徴だ。2つの絵の間では朝から昼にかけての時間の流れ。それぞれの絵の中では蕾から満開になるまでの花の一生が表現されている。

白から紅へのグラデーションやみずみずしい花の様子が見どころだ。

竜首水瓶 飛鳥時代・7世紀【全会期】

竜首水瓶 飛鳥時代・7世紀

竜首水瓶 飛鳥時代・7世紀

撮影:吉川慧

聖徳太子ゆかりの法隆寺、その献納宝物の中でも珠玉の逸品と言われる水差し。古代金工の代表作として知られる。1878年(明治11年)に法隆寺から皇室に献納された「法隆寺献納宝物」の一つだ(現在は国有で東博が収蔵)。

全体の形はペルシア風。持ち手と注ぎ口は中国風で、龍の頭をかたどった注ぎ口は上あごが開く仕組み。持ち手の曲線は龍の身体と尾を表現。胴体には4頭の翼の生えた馬「ペガサス」が細い線で刻まれている。

竜首水瓶 飛鳥時代・7世紀

竜首水瓶 飛鳥時代・7世紀

撮影:吉川慧

詳細な制作年代や胴部に残された墨書の意味などは今も議論が続いているが、近年の調査によると全体は銅の鋳造でつくられ、金銀のメッキを重ねて色分けしていることがわかった。

台脚部分19世紀末ごろに破損によって修理されている。また、目のガラス玉には日本の素材が使用されたと判断される。

シルクロードの到達点としての飛鳥時代の日本の姿を伝えるものと言えるだろう。

舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦 作 江戸時代・17世紀【10/18〜11/13まで】

舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦 作 江戸時代・17世紀

舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦 作 江戸時代・17世紀

撮影:吉川慧

安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した本阿弥光悦が手掛けた「光悦蒔絵」の代表作の一つ。硯箱の蓋が高く盛り上がった独特の形状が特徴だ。

金粉を撒いて波の地文に小舟を並べ、鉛の板で橋を架け渡す様子を表現している。

蓋にあしらわれている文字は平安時代の『後撰和歌集』にある源等(みなもとのひとし)の和歌だ。

「東路の佐野の舟橋架けてのみ 思いわたるを知る人ぞなき」

佐野の舟(船)橋」とは悲恋の民話で知られる群馬県高崎市にあったと言われる船橋だ。

ただ、蓋の文字には「舟橋」の文字はない。波と小舟をあしらったところに鉛の板を橋に見立てて横断させることで「舟橋」を表すという仕掛けだ。

扁平紐式銅鐸 伝香川県出土 弥生時代・前2〜前1世紀【全会期】

扁平紐式銅鐸 伝香川県出土 弥生時代・前2〜前1世紀

扁平紐式銅鐸 伝香川県出土 弥生時代・前2〜前1世紀

撮影:吉川慧

銅鐸は弥生時代の青銅祭器。弥生人の米作りのお祭りなどで豊穣を祈る際に用いられた可能性があると考えられているが、今なお謎が多い。

描かれているモチーフは狩猟や脱穀、水田に集まる生き物などの暮らしの風景。いまから2000年ほど前の弥生時代の生活感を伝えている。

埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀【全会期】

埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀

埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀

撮影:吉川慧

高さ130.5cmの有名な埴輪。「挂甲」は小さな鉄板を革紐などで閉じあわせた鎧のことだ。

甲冑を全身にまとい、右手に大刀、左手に弓を携え、背中には靫(ゆき:矢入れのこと)を背負う。頭の兜から足元の靴まで、完全武装した古墳時代後期の武人の様子を伝えている。

近年、バンク・オブ・アメリカの寄付をうけ、大規模に解体修理された。今回が約3年間に及ぶ修理後の初公開となる。

太刀 銘 安綱(名物 童子切安綱) 伯耆安綱 平安時代・10〜12世紀【全会期】

太刀 銘 安綱(名物 童子切安綱)  伯耆安綱 平安時代・10〜12世紀

太刀 銘 安綱(名物 童子切安綱) 伯耆安綱 平安時代・10〜12世紀

撮影:吉川慧

天下五剣の一つ。日本刀成立期の名工・安綱の最高傑作として知られる。「童子切」の号は源頼光が酒天童子をこの刀で切ったという伝説が由来だ。

太刀 銘 三条(名物 三日月宗近) 三条宗近 平安時代・10〜12世紀【全会期】

太刀 銘 三条(名物 三日月宗近) 三条宗近 平安時代・10〜12世紀

太刀 銘 三条(名物 三日月宗近) 三条宗近 平安時代・10〜12世紀

撮影:吉川慧

天下五剣の一つ。平安時代後期、京都で活躍した三条宗近の代表作。

柄から切っ先に向かって細くなっていく優美さが特徴。刃文に沿って三日月型「打のけ」がいくつも浮かんでいることから「三日月」の号で知られる。

太刀 銘 三条(名物 三日月宗近) 三条宗近 平安時代・10〜12世紀

太刀 銘 三条(名物 三日月宗近) 三条宗近 平安時代・10〜12世紀

撮影:吉川慧

太刀 銘 備前国包平 作(名物 大包平) 古備前包平【全会期】

太刀 銘 備前国包平 作(名物 大包平) 古備前包平

太刀 銘 備前国包平 作(名物 大包平) 古備前包平

撮影:吉川慧

包平は平安時代末期の備前国(現岡山県)で活躍した刀工の一人。「名物 大包平」は備前刀の最高峰かつ「日本刀の横綱」とも言われる名刀だ。

「大包平」の号は江戸時代の刀剣書『享保名物帳』に「寸長く大きなる故」とあることから、この名刀への敬意が由来とされる。

太刀 銘 長光(大般若長光) 長船長光 鎌倉時代・13世紀【全会期】

太刀 銘 長光(大般若長光) 長船長光 鎌倉時代・13世紀

太刀 銘 長光(大般若長光) 長船長光 鎌倉時代・13世紀

撮影:吉川慧

鎌倉時代に刀剣の名産地となった備前の刀工、長船派の長光の作。「大般若」の号は代付が破格の六百貫だったことから、600巻ある「大般若経」になぞらえたことに由来する。

刀身に沿って棒樋という溝が掻かれている。これは強度を保ったまま刀を軽量化する工夫だ。

「国宝刀剣の間」では東博が所蔵する国宝の刀剣19振を全期間を通じて一挙展示する。

「国宝刀剣の間」では東博が所蔵する国宝の刀剣19振を全期間を通じて一挙展示する。

撮影:吉川慧

東博では所蔵する国宝の刀剣19振を全期間を通じて「国宝刀剣の間」で一挙展示する。

人気ゲーム「刀剣乱舞」のキャラクターのモチーフとなった6振の国宝刀剣「太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)」「太刀 銘 備前国包平 作(名物 大包平)」、「短刀 銘 吉光(名物 厚藤四郎)」「刀 無銘 貞宗(名物 亀甲貞宗)」「太刀 銘 長光(大般若長光)」「太刀 銘 備前国長船住景光 元亨二年五月日(小龍景光)」も勢揃いする。

短刀 銘 吉光(名物 厚藤四郎) 鎌倉時代・13世紀

短刀 銘 吉光(名物 厚藤四郎) 鎌倉時代・13世紀

撮影:吉川慧

今回の特別展を担当する研究員の佐藤さんは刀剣・甲冑が専門分野だ。

佐藤さんはBusiness Insider Japanの取材に対し、展示の見どころ・楽しみ方について、こう語ってくれた。

刀剣の美しさは抽象的なもので、なかなか言葉や写真では伝えにくいところがあります。やはり実物でしか味わえないものってやっぱりありますよね……。実物と対面して、鑑賞を重ねることでジワジワとわかっていくものだと思います。

まずは全体の佇まいを感じてほしいですね。刀剣は見比べることによって、それぞれの魅力や特徴が見えてきます。この刀は上品な刀だなとか、力強い刀だなとか、華やかな刀だなとか……。見比べることによって見えてくる違いを、ぜひご自身の目で見て感じ取っていただけたら嬉しいです。

今回はそのために19振を一つの空間に展示する「国宝刀剣の間」を設けたんですね。

普段は一振り、二振りぐらいしか国宝の刀剣は展示できないので、ぜひ見比べることでそれぞれの刀剣の違いを味わっていただければと思います。

刀剣に限らず、ぜひ国宝の実物と対面して、国宝が放っている佇まい、オーラを感じてほしい。そういったものを提供する場が博物館の役割だと思っています。

佐藤さんが語った鑑賞の見どころは、こちらの記事でも詳報している。

第二部は「東京国立博物館の150年」

第二部では、日本の博物館の歴史とも言える東博の150年を3部構成で紹介。明治〜令和まで150年の歩みを「追体験」できる展示構成だ。

1872年の湯島聖堂博覧会で最も人気を集めたと言われる金のシャチホコのレプリカ。

1872年の湯島聖堂博覧会で最も人気を集めたと言われる金のシャチホコのレプリカ。

撮影:吉川慧

東博は、1872年に旧湯島聖堂の大成殿で開催した博覧会を機に発足した「文部省博物館」をルーツに持つ。1882年には現在地に移転。その後、旧宮内省の所管となり、1889年には帝室博物館に。日本最大の博物館の礎となった。

今回は約100年前の展示ケースなども活用し、レトロな展示空間の再現を試みた。

撮影:吉川慧

明治天皇が明治維新後の東京行幸で乗った鳳輦(ほうれん)も展示する。

鳳輦 江戸時代・19世紀。鳳輦は天皇が行幸で用いる乗り物。この鳳輦は安政2年(1855年)に孝明天皇が新内裏への還幸などの際や明治天皇の東京行幸で用いられた。

鳳輦 江戸時代・19世紀。鳳輦は天皇が行幸で用いる乗り物。この鳳輦は安政2年(1855年)に孝明天皇が新内裏への還幸などの際や明治天皇の東京行幸で用いられた。

撮影:吉川慧

東京帝室博物館だった時代、東博には「天産部」という自然史資料部門があった。

当時展示していたキリンの剥製標本も、約100年ぶりに国立科学博物館から里帰りさせた。総合博物館だった当時の東博の息吹を感じることができる。

キリン剥製標本 明治41年・1908年。明治40年(1907年)に初めて行きたまま日本にやってきた雌雄2頭のキリンのうちオスの「ファンジ」の剥製標本。関東大震災後、現在の国立科学博物館に譲渡された。(国立科学博物館蔵)

キリン剥製標本 明治41年・1908年。明治40年(1907年)に初めて行きたまま日本にやってきた雌雄2頭のキリンのうちオスの「ファンジ」の剥製標本。関東大震災後、現在の国立科学博物館に譲渡された。(国立科学博物館蔵)

撮影:吉川慧

総合博物館としてスタートした東博だったが、時代の変化にあわせて国立科学博物館や国立国会図書館、上野動物園など上野の山全体にある施設でそれぞれ機能を分担していった。

こうして上野の山は東博だけではなく、全体が「博物館」「美術館」となっていった。

遮光器土偶(重要文化財)青森県つがる市木造亀ケ岡出土 縄文時代・前1000年〜前400年

遮光器土偶(重要文化財)青森県つがる市木造亀ケ岡出土 縄文時代・前1000年〜前400年

撮影:吉川慧

麗子微笑(重要文化財) 岸田劉生 筆 大正10年(1921年)

麗子微笑(重要文化財) 岸田劉生 筆 大正10年(1921年)

撮影:吉川慧

風神雷神図屏風(重要文化財) 尾形光琳 筆 江戸時代・18世紀

風神雷神図屏風(重要文化財) 尾形光琳 筆 江戸時代・18世紀

撮影:吉川慧

本展では戦後に収蔵されたコレクションにも焦点をあて、最新の収蔵品である2メートル80センチの「金剛力士像」も公開する。

金剛力士像 平安時代・12世紀。かつて滋賀県の寺の門に安置されていたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で大破。近年の修理を経て、令和4年に新たに収蔵された。

金剛力士像 平安時代・12世紀。かつて滋賀県の寺の門に安置されていたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で大破。近年の修理を経て、令和4年に新たに収蔵された。

撮影:吉川慧

展覧会のラストには……

見返り美人図 菱川師宣 筆 江戸時代・17世紀

見返り美人図 菱川師宣 筆 江戸時代・17世紀

撮影:吉川慧

展覧会のラストでは、菱川師宣の見返り美人図が来場者を見送る。前に進みながらも、ふと後ろをふり返る瞬間の姿を捉えた名画だ。

その隣にはこんなメッセージがある。

「東京国立博物館は、明治から令和にいたる150年の歴史の中で、変わること無く文化財の保存と活用という使命に取り組むとともに、時代や社会の変化や求めに応じて、その活動内容をつねに変化させてきた」

「東京国立博物館はこれからも伝統を守りながら新たな取組に挑戦し、次の150年に向けて歩み続けていく」

東博の歴史は、明治維新から間もない1872年から始まった。この年は日本初の鉄道が開業した年でもある。

東博は、日本の近代化と博物館の歩みを体現する存在だ。

過去を大切に振り返りつつも、次の150年に向けて挑戦していく。「見返り美人」の姿からは、そんな東博のメッセージが感じ取れた。

国宝89件全てを見たい場合は公開日程に注意。

国宝 東京国立博物館のすべて』の観覧には日時指定の予約が必要だ。

また、展示される国宝89件は、作品保護の観点から期間中に展示替えがある。

絵画・書跡は前期(10月18日〜30日・11月1日〜13日)と後期(11月15日〜27日・11月29日〜12月11日)で大きく入れ替わる。長谷川等伯の「松林図屏風」など、2週間限定で展示される作品もある。

89件の国宝を全て見たい場合は、公開日程に注意が必要だ。最新情報は随時、公式サイトの出品目録をチェックしよう。

(取材・文:吉川慧)

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