子どもの頃は趣味が料理だったという味の素社長の藤江太郎氏。料理番組をチェックし、自分の包丁や鍋を揃えるほど熱中した。つくることも好きだったが、それ以上に家族や友人、親戚にふるまって喜ぶ顔を見るのが楽しかったという。
撮影:伊藤圭
うま味調味料「味の素」や「Cook Do(クックドゥ)」をはじめ、調味料主体の食品企業として知られる味の素社。創業以来100年以上にわたり、食べ物の味を決める重要な要素の1つ、アミノ酸の商品開発で世界をリードし続けてきた「アミノ酸メーカー」でもある。
気候変動やタンパク質クライシスが現実味を帯び、サステナビリティ経営の重要性が高まるなか、同社はアミノ酸というキーテクノロジーをどのように活用しようとしているのか。味の素の強みと今後について、社長の藤江太郎氏に聞いた。
強みを生かしフードテック事業展開
—— 味の素は1909年、アミノ酸を原料にした世界初のうま味調味料を発売しました。現在のグループビジョン「アミノ酸のはたらきで食と健康の課題解決を目指す」にも表れていますが、アミノ酸は創業当初からのキーテクノロジーということですね。
藤江太郎社長(以下、藤江) はい。食品会社であると同時にアミノ酸メーカーだという点が、当社の特徴ですね。創業のきっかけはアミノ酸の一種、グルタミン酸ナトリウムを成分とする「味の素」の製造・販売でした。以後、100年以上にわたってアミノ酸のはたらきを追求し続けてきました。
今や食品、飼料、医療用など用途は多岐にわたっており、アミノ酸技術を応用した半導体の絶縁材も開発。高性能パソコン向けの世界シェアはほぼ100%を占めています。
—— 食分野では、プラントベースミート(植物性代替肉)などのフードテックが注目されています。
藤江 そうですね。近い将来、人口爆発による食資源不足が起こる可能性が高いことはもう分かっています。プラントベースミートをはじめとするグリーンフード分野には、「成長4領域」の1つとして経営資源を投入して事業化し、社会課題を解決していきたいと考えています。
成長領域4分野の1つ、グリーンフード事業でも、アミノ酸技術(アミノサイエンス)との融合が同社の強みだ。
提供:味の素
—— フードテック分野における味の素の強みとは?
藤江 「味覚としておいしくできる」アミノ酸の技術を持っているということです。また、プラントベースミートはどうしても肉の食感を再現するのが難しいのですが、ジューシーさや弾力のような食感も当社の技術で変えることができます。
—— 微生物を利用して空気中の二酸化炭素(CO2)からタンパク質をつくる「エアプロテイン」というテクノロジーも研究されていますね。非常に興味深いと感じています。
藤江 味覚や食感、またコストの高さという面でまだまだ課題も多いですが、当社が培ってきたアミノ酸技術が生かせる部分もあるんです。
—— エアプロテインの製造にもアミノ酸が関係してくると。
藤江 タンパク質は多数のアミノ酸が結合した物質です。エアプロテインはアミノ酸やタンパク質を多く含む菌を発酵してつくるのですが、当社には優秀な菌を育てる独自の「菌株育種」技術があります。
—— コストについてはいかがですか。
藤江 いくら優秀な菌を育成できたとしてもコストが高ければ売れませんよね。でも、商業ベースに乗せられるような発酵収率(効率)を高める技術も持っているので、将来的なコストダウンも見込める。
今まで培ってきたアミノ酸の技術やノウハウが、プラントベースミートの「おいしさの設計」と商品化に生かせると思います。
医薬品製造にも独自のアミノ酸技術
—— 冒頭で触れていましたが、医療用分野でもアミノ酸技術が活用されているとは驚きました。
高校時代は牧場主に憧れ、北海道の牧場で3カ月修行したこともある。「当時の金額にして約3億円必要だと聞き、自分には無理だと諦めた(笑)」という。
撮影:伊藤圭
藤江 バイオファーマサービスは、次世代の成長ドライバーになると見込んでいる有力分野です。特に核酸医薬品の市場は今後急成長すると言われており、オリゴ核酸の受託開発・製造事業に力を入れています。
—— オリゴ核酸はなぜ注目されているのですか?
藤江 これまでの医薬品は化学反応という比較的シンプルな手法で製造される低分子医薬品が一般的でした。しかし近年、遺伝子組み換えのようなバイオテクノロジーを使った中分子・高分子の医薬品の開発も広がっています。
中分子・高分子の医薬品は、これまで治療が難しいとされてきた遺伝性疾患や難治性疾患を治せる可能性があるとされている。オリゴ核酸は中分子医薬品です。
—— オリゴ核酸の製造に関しても、強みを持っているということですね。
藤江 アミノ酸製造の技術とノウハウ、経験を生かした独自の製造技術があります。
少し専門的になりますが、オリゴ核酸の製造には一般に「固相合成法」という技術が用いられることが多く、少量生産に向いた製法です。
しかし当社は、固相合成法に加えて、大量生産向けの「液相合成法」という技術も持っています。
両方の技術を持っているので、まずは少量生産から始めたいというニーズ、大量生産に切り替えたいというニーズ、どちらにも対応できる。今まで治せなかった病気を治療するという社会課題を、ニーズに合わせて解決しながら経済価値を生み出せるという強みです。
オリゴ核酸製造は次世代を担う成長ドライバー。受託製造の2030年度の売り上げは2016年度比20倍超を見込んでいる。
提供:味の素
社会課題解決と経済価値は「両立できる」
——「社会課題の解決がビジネスにもなる」という技術を持っていると。
藤江 社会課題の解決と経済性はどうしてもトレードオフになりがちだと言われます。が、当社にはどちらも両立できる、つまり「トレードオン」にできるんだという発想があるんです。
—— サーキュラーエコノミーやサステナビリティ経営がテーマのイベントといった場でも、社会課題解決の取り組みとビジネスは両立しないという見方がまだ一般的です。
藤江 当社は、創業当初から「トレードオン」の発想で取り組んできました。振り返れば、多くの「トレードオン」事例が当社にはありますね。
——「トレードオン」の事例とは?
藤江 例えば、ブラジルでサトウキビジュースを発酵させて「味の素」をつくっていますが、製造時の副生物をサトウキビ畑に肥料として戻しているんです。あるいはコーヒー農園に肥料として販売する。しっかり利益が出てビジネスとして回り、農家の方々にも喜ばれています。
京都大学農学部入学後はウインドサーフィンに没頭。オリンピック出場を目指して猛練習し、日本代表候補にも選ばれたという。
撮影:伊藤圭
—— 本来ごみとなるはずの副産物を、肥料という形で経済価値に変えている。サーキュラー・エコノミー的な発想ですね。
藤江 インドネシアで始めた商品包材の紙パッケージ化もそうです。プラスチック製の包材だった時に比べて商品の単価は高くなったのですが、サステナビリティの取り組みが評価されて売り上げが増えました。
—— フィリピン味の素社長時代に事業利益を3年で25倍に伸ばしたそうですが、それも社会課題の解決に結びついていたのでしょうか。
藤江 その面もあります。フィリピンでは当時、4.2グラム入りの「味の素」の価格が1ペソ(当時の約2円)でした。従来は10グラム入り1ペソで販売していたのですが、原料価格が上昇し、販売価格を維持するために内容量を減らすことで対応していたんです。
ただ、その方法はプラスチックごみの増加にもつながるし、包材コストも割高になりますよね。なので、思い切って「9グラム入り2ペソ」に変えたんです。それが大当たりして、赤字だったフィリピン味の素の業績が回復しました。
取締役会は女性比率3割以上、幹部女性比率も2030年3割超に
東京・京橋の味の素本社ビル。
撮影:Business Insider Japan
—— 藤江社長は中国やフィリピン、ブラジルなどで10年以上の海外駐在経験をお持ちです。海外と比較して、日本のダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の現状をどう捉えていますか。
藤江 ダイバーシティ(多様性)が進展している海外、特にブラジルと比べると、日本ではインクルージョン(包摂性)がより大事だろうと思っています。とはいえ、取締役会ではすでに3割以上が女性ですし、女性の幹部比率も2030年には3割超えを目指しています。
—— ウクライナ侵攻、円安など、転換期とも言える時代に社長に就任されました。経営の舵取りをする上で、これまでの人生経験で役立っていることはありますか。
藤江 そうですね。人生経験という点では実のところ、自分の人生は挫折の連続だと思っているんです。初めて挫折を感じたのは高校時代。牧場主に憧れ、北海道の牧場で3カ月ほど修行をしました。でも、牧場経営をするには3億円くらい必要だと言われ、自分には無理だと諦めたんです(笑)。
—— それが京都大学農学部に進学された理由でしょうか。
藤江 直接は関係ないのですが、自然や環境にどこか親近感を持っているからだと思います。でも、大学生活に馴染めなかったんです。それが2つ目の挫折。
代わりにウインドサーフィンと出合って夢中になりました。ウインドサーフィンがロサンゼルスオリンピックの正式種目に決まったこともあり、出場を目指して猛練習したんです。ただ、日本代表候補にはなったものの出場はできず、それもまた挫折でした。
—— そうした経験が役立っていると。
藤江 はい。挫折を経験したおかげでいろいろなことを学べましたから。中でも、ウインドサーフィンから学んだ経験は大きいですね。
ウインドサーフィンは海に浮かべたブイを周回して順位を争う競技で、風や潮目を読む力が不可欠です。学生時代にたたき込んだその感覚からすると、味の素グループのビジョン「アミノ酸のはたらきで食と健康の課題解決を目指す」に必ず追い風が吹いてくる。だから、私たちの持てる実力を生かしていきたいと思います。
(聞き手・Business Insider Japan発行人 小林弘人、文・湯田陽子、撮影・伊藤圭)