どんどこ森の「サツキとメイの家」
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
スタジオジブリの世界に浸れる「ジブリパーク」が11月1日、愛知県長久手市でオープンする。建設の端緒となったのは、2005年の「愛・地球博(愛知万博)」で再現・展示された「サツキとメイの家」だった。
ジブリパークでの取材と宮崎駿監督と宮崎吾朗監督、鈴木敏夫プロデューサーら関係者の言葉を交えつつ、『となりのトトロ』の舞台となった昭和30年代の空気が詰まった「サツキとメイの家」に込められた意義を紐解く。
「トトロの草壁家を再現してみたらおもしろいのでは」
ジブリパークのエレベーター塔。『ハウルの動く城』などの世界観をイメージ。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
そもそも、なぜ「サツキとメイの家」がジブリパークのきっかけになったのか。話は今から19年前の2003年にまでさかのぼる。
2005年、愛知県長久手市で開かれた「愛・地球博」。その広大な跡地「モリコロパーク」の中にジブリパークはつくられた。
ジブリと愛知県の関係が深まった発端は、2003年の春にあった博覧会協会側と宮崎駿監督のやりとりだったと、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーはつづっている。
「宮崎監督は矢内氏に『映画を使って何かをするのなら、トトロの草壁家を再現してみたらおもしろいのではないか』という話をしました」
「すると、それを受けて矢内氏は、『本当にトトロの草壁家をつくりませんか』と、新しい提案をしてきたのです。つまり万博会場内に実物大の、細部までこだわった、昭和30年代にあったであろう家屋を建てようというのです」
「この矢内氏の意外な提案に、思わず宮崎監督も私も同意したのです」
「サツキとメイの家」は目玉パビリオンとして人気を集め、予約が殺到する人気ぶりだった。
万博終了後もメンテナンスと公開が続けられ、年間ペースで約10万人が訪問。2016年には累計来場が100万人を突破した。
宮崎吾朗監督と大村知事。(2022年10月12日、ジブリパーク)
撮影:小林優多郎
こうした一連の動きが愛知県とジブリの関係を深めるきっかけに。万博跡地の有効利用を図る愛知県の大村秀章知事はジブリ側にジブリパークの構想を提案し、今に至る。
ジブリパーク建設の指揮を担った宮崎吾朗監督はこう語る。
「今回のお話も『サツキとメイの家』がきちんと残っていたからだと思うんですね。あんな小さな家ですけど毎年かなりの方が訪れてくださって、その関係が今回のパークにつながっていると思っています」
(2022年10月12日、ジブリパークの報道陣向け内覧会の記者会見)
「本当に人が暮らせる家」を目指した。
撮影:小林優多郎(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
ジブリパーク開園に併せて「サツキとメイの家」も再公開される。
家屋の構成は和館と洋館がくっついた和洋併置式の住宅。明治以降に成立したスタイルだ。
建築史家の藤森照信氏によると、このタイプの家は「1960年代までは、戦前に開発された東京の郊外の住宅地には点々と見られた」(文春ジブリ文庫『ジブリの教科書3 となりのトトロ』より)という。
どんどこ森の「サツキとメイの家」
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
洋館部分は父の書斎。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
撮影:小林優多郎(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
和館の玄関に入ると、左に卓袱台(ちゃぶだい)や茶箪笥(ちゃだんす)、箪笥(たんす)が置かれた一間がある。
茶箪笥の中には急須や湯呑などが。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
壁にはゼンマイ式の時計、箪笥の上には明治ドロップの缶やラジオが。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
箪笥の中の引き出しには草壁家の人々の洋服や生活雑貨が入っている。本当に人が暮らしているかのようだ。
中には小トトロのアップリケが付いた服もあった。家庭内でミシンなどを用いて衣服を補修することが当たり前の時代だった。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
撮影:小林優多郎(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
草壁家宛の手紙も。
撮影:小林優多郎(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
茶の間の奥が炊事場。井戸水を組み上げる手押しポンプも据え付けられている。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
手押しポンプからは実際に水が出てくる。ひんやりとして心地よい。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
煮炊きをする火はガスコンロでもIHでもなく、竈(かまど)だ。
竈には羽釜と鍋。
撮影:小林優多郎(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
勝手口。
撮影:小林優多郎(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
こちらは風呂。ガス給湯器などなく、薪をくべてお湯を沸かしていた時代のものだ。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
和館には和室が2部屋。一方にはサツキの机がある。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
サツキの勉強机。教科書や参考書、ノート、ランドセルなどがある。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
続く和室には板の間と押入れ、洋服ダンス(クローゼット)がある。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
洋服ダンスの中をみるとスーツやスラックス、ワンピースがある。入院していた母が退院してきたのだろうかと想像する。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
水回りから窓枠や家具、い草の優しい香りがする畳、服や雑貨などの細部にいたるまで草壁家の人々が住んでいるかのような「本物」の家として建てられていた。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
実際の建築に携わった吾朗監督は、こう記している。
「実物をつくるのならば、サツキやメイが感じたような手触り、香りや音といった気配が備わっている家にしたい。そのためには材料も作り方も全て当時のやり方で、そしてその頃のように本当に人が暮らせる家にすべきだと考えたのです」
(宮崎吾朗監督、文春ジブリ文庫『ジブリの教科書3 となりのトトロ』より)
「昭和30年代にあったであろう家屋」
「となりのトトロ」(C)1988 Studio Ghibli
「サツキとメイの家」を見ると、まず都市ガスはない。電化製品も電灯やランプなどぐらいだ。
では、サツキやメイが暮らしていた時代は、いつ頃だったのか。
関係者の言葉をたどると、舞台設定は「昭和30年代(1955〜1964年)」というのが定説のようだ。
美術監督を務めた男鹿和雄氏は「描く材料が昭和30年代の郊外だっていうのが嬉しかったですね」(『男鹿和雄画集』(徳間書店)のインタビュー)と語っている。
一方で、過去のインタビューで宮崎駿監督は「昭和30年初期というのは実は嘘」と述べていたこともあった。加えて「テレビ」がなかった時代という趣旨を何度か話している。
「昭和30年代初期というのは、実は嘘で、本当をいうとテレビがまだない時代の話なんです」
(宮崎駿監督、文春ジブリ文庫『ジブリの教科書3 となりのトトロ』)
「自分の思う日本というのは、東京郊外の、まだテレビのなかったころの日本なのです。そこを舞台にしながら、郷愁とか懐かしみとかで映画を作るのでなく、いまの子どもをリアルタイムで楽しませるものにしたい」
(『アニメージュ』1987年6月号)
ただ、鈴木プロデューサーら関係者の著述や証言を総合すると、いずれにしろジブリパークの「サツキとメイの家」は「昭和30年代にあったであろう家屋」を想定したものとみて良さそうだ。
サツキとメイの家で「過去と現在の変わりようを再認識」
撮影:小林優多郎(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
昭和30年代は終戦10周年(1955年)から東京オリンピック(1964年)にあたり、戦後復興が進んだ高度経済成長期間と重なる。
時代の空気を知るには、当時のモノやサービスの価格も手がかりとなるだろう。価格の上昇率は時代・商品によって異なるため単純比較はできないが、あくまで一つの参考として消費者物価指数と小売価格を見てみよう。
消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)では【99.7(2021年)÷16.6(1955年)=約6倍】となり、当時の1万円は今の約6万円相当となる。
また、総務省統計局「小売物価統計調査(主要品目の東京都区部小売価格)」によると、1955年は「うるち米5kg」が109円、「牛乳1本(180ml)」が13.5円。そんな時代だった。
当時の空気を色濃く伝える「サツキとメイの家」は、この60年あまりで大きく変わった日本社会を改めてふり返るきっかけを与えてくれる場所なのかもしれない。
吾朗監督もこう綴っている。
「考えてみれば、薪を焚く竈やお風呂は当然ですが、隣のおばあちゃんが様子を見に来てくれる縁側も、開け閉めする時にガラガラと音のする引き戸や雨戸も今では珍しいものになりました。マックロクロスケが棲み着くことができる暗がりを今の家に見つけることも至難です」
「多くの人たちの協力によって『サツキとメイの家』を建てていく過程は、私にとって暮らしの歴史をあらためて発見し、過去と現在の変わりようを再認識する過程でもあります」
(宮崎吾朗監督、文春ジブリ文庫『ジブリの教科書3 となりのトトロ』より)
宮崎駿監督は『となりのトトロ』にどんな思いを込めたのか。
茶の間の縁側からの風景。
撮影:吉川慧(Business Insider Japan)/(C)Studio Ghibli
夕暮れ時、完成した『サツキとメイの家』の茶の間に座っていると、映画のようでもあり、今はなくなってしまった祖父母の家にいるようにも錯覚します。
(宮崎吾朗監督、文春ジブリ文庫『ジブリの教科書3 となりのトトロ』より)
吾朗監督が記しているように、大人たちにとって「サツキとメイの家」は、どこか郷愁を感じさせてくれる空間になっている。
一方で、豊かな緑に囲まれたこの家にあるものは、今の子どもたちには新鮮に感じるものばかりだろう。
『となりのトトロ』のパンフレット。
撮影:吉川慧
宮崎駿監督は『となりのトトロ』の狙いについて以下のようにつづっている。
「長編アニメーション作品『となりのトトロ』の目指すものは、幸せな心温まる映画です。楽しい、清々した心で家路をたどれる映画。恋人達は、いとおしさを募らせ、親達はしみじみと子供時代を想い出し、子供達はトトロに会いたくて、神社の裏の探検や樹のぼりを始める、そんな映画をつくりたいのです」
「忘れていたもの 気づかなかったもの
なくしてしまったと思い込んでいたもの
でも、それは今もあるのだと信じて『となりのトトロ』を心底作りたいと思っています」
(宮崎駿監督、『となりのトトロ』パンフレットより)
また、1988年のインタビューではこう語っている。
「ノスタルジアではないんです。緑の中で暮らし、生物と出会う素晴らしさを描くことは、今の子供たちへの大切なプレゼント。本当の豊かさは何かを伝えたい」
(1988年4月20日付け秋田魁新報-共同通信配信、文春ジブリ文庫『ジブリの教科書3 となりのトトロ』より)
かつての子どもたちに郷愁を、今の子どもたちには新しい発見を……。
「サツキとメイの家」は、そんな体験をもたらしてくれることだろう。
ジブリパークは5つのエリアに分かれ、11月1日の“第1期開園”では「ジブリの大倉庫」エリア、『耳をすませば』の「地球屋」が再現された「青春の丘」エリア、『となりのトトロ』の世界観を表現した「どんどこ森」の3つがオープンする。
入園にはエリアごとに日時指定のチケット予約が必要。2023年2月入場分(11/10発売分)以降、チケットは先着順販売に。「青春の丘」は「ジブリの大倉庫」とのセット販売になる。詳細は公式サイトまで。
(取材・文:吉川慧)